教育学部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
教育学部(きょういくがくぶ)とは、大学において、教育学の教育研究、または加えて教員養成を目的とする学部のこと。後者については名称と関係なく学際的である。
目次 |
[編集] 日本の教育学部
日本国内においては、教育学部は、多くの国立大学に置かれているほか、若干の私立大学にも置かれている。公立大学では学部として置いている例がない(後述)。このような事情から、日本の教育学部に関しては、国立大学が主導的な役割を果たしていると考えられている。
なお、学士が称号の扱いであった際は、ゼロ免課程(後述)以外の学生は、教育学部を卒業すると「教育学士」と称することができた。1991年(平成3年)の学士の学位への昇格にともない表記が変更となり、現在、教育学部を卒業して授与される学位としては「学士(教育学)」や新課程の「学士(教養)」「学士(学術)」が主な例となっている。
[編集] 国立大学
日本の国立大学の教育学部には、一般に教員養成系と呼ばれるものと教育学系と呼ばれるものの2つがある。教員養成系は、旧制の(高等師範学校以外の)師範学校の流れをくむもので、小学校の教員・中学校の教員の養成が主な役割である。教育学系は、旧制の国立総合大学(旧・帝国大学)の文学部および旧制の文理科大学からの分離独立、もしくは新制大学が発足する際の学部の新設によって成立したもので、教員養成をもっぱらにはせず、教育とその関連領域に関する基礎的な研究が主たる役割であり、卒業生は教育学の研究者を目指すか、一般企業で人事などの仕事に就く。教員養成系に関しては、教員養成大学・教員養成学部などとも呼ばれる。
なお、大阪大学の人間科学部は、文学部の中の教育学関係講座をふくむいくつかの専攻が母体となって設立されたが、教育学部であった時期がなく、教育学系に分類できないまれな例である。また、広島文理科大学、広島高等師範学校、広島師範学校、広島青年師範学校を前身とする広島大学の教育学部には、教員養成系と教育学系が並存し、さらに高等学校教員養成を主な役割とする課程もあった。さらに、兵庫教育大学以降に新設された学校教育学部は、小中学校の教員養成を役割としつつ、現職教員の資質向上のための再教育機関としての役割も持っている。
[編集] 私立大学・公立大学
私立の日本大学と早稲田大学等には、高等師範部が併設されていた。第二次世界大戦降伏後、早稲田大学の高等師範部は教育学部(私立大学では初)に、日本大学の高等師範部は文学部を経て文理学部に改組された。
他にも教育学部を置く私立大学はいくつか存在するが、教員養成を主目的としているのは文教大学・常葉学園大学・岐阜聖徳学園大学(旧「聖徳学園岐阜教育大学」)のみである。
また日本国内の公立大学には、教育学部は置かれていない(都留文科大学のように、教育学科を置いていたり、他学科も教員養成色が強かったりするケースはある)。
[編集] 日本の国立大学における教育学部の歴史
[編集] 教育学部の成立期
第二次世界大戦終了後の学校教育法(昭和22年法律第26号)などの施行に伴う学制改革により、就学前教育(幼稚園などにおける教育)・初等教育(小学校などにおける教育)・中等教育(中学校・高等学校などにおける教育)の教員養成は、アメリカ合衆国にならって大学が担うこととなり、日本全国の師範学校・青年師範学校は、新制大学に改組することが計画された。
新制大学では、各学部での専門教育を行うための基礎としてリベラル・アーツ(学芸)としての一般教育科目をおくことになった。そのとき、旧制高等学校を母体とする文理学部などを置く大学では、旧制高等学校を母体とする学部が、旧制高等学校を母体とする学部を置かない大学では、旧師範学校の守備範囲の広さも手伝って、新設の学芸学部が一般教育を行った。こうして、「教師という鋳型にはめこむ機関」と後世批判された師範学校は、学問領域のほぼ全分野をカバーする総合学部に生まれ変わった。なお、この経緯から、「学芸学部」と「教育学部」の2つの学部が並立した(大半は学芸学部)。
新制大学の成立期には、2級免許状(高等学校教諭の2級免許状を除く)が取得できる2年課程(前期課程とも呼ばれた)と1級免許状(高等学校教諭の1級免許状を除く)を取得できる4年課程(後半の2年間は後期課程とも呼ばれた)が並存した。なお、「学芸学部」においては、教職課程の履修は、卒業に必須とされていなかったが、旧制学校の名残りからか、ほとんどが教員免許状を取得と合わせて卒業した。
[編集] 教育学部の創成期
日本全国の学芸学部は、その後、東北大学教育学部から宮城師範学校・宮城女子師範学校・宮城青年師範学校を母体とする教員養成課程が宮城教育大学として独立(宮城教育大学の独立は1965年4月)した1966年(昭和41年)までにすべて教員免許状取得を必須とする教育学部に改称して、各地にあった学芸大学も東京学芸大学を残して教育大学の名称となった(東京学芸大学だけが教育大学に改称しなかったのは、当時、東京教育大学という別の大学があったためである。東京教育大学はその前身に東京高等師範学校が含まれていたため教育大学を名乗っていたが、教員養成系大学ではない、総合大学であった。東京教育大学は1978年に閉学となり、その伝統は新たに設置された筑波大学に引き継がれた)。こうした改称の背景には、1958年(昭和33年)の中央教育審議会答申以降の流れである、戦前のように教員養成は教員養成の場で行おうという動きがあったといわれ文部省が押し切った。改称とあわせて、講座制をとっているところを含めて一律に学科目制へ移行している。これ以降、教員養成系の教育学部はその学際性が外部からはみえなくなり、「教育(学)を学ぶところ」というイメージが強まってしまった。
なお、教育大学では、2年課程は消滅し、理科などを中心に高等学校教員養成を目的とする特別教員養成課程が小中学校教員養成課程とは別に置かれるようになった。また、広島大学では、学制改革の際に設置された教育学部が、1978年(昭和53年)に広島文理科大学・広島高等師範学校の流れである教育学部(教育学科、心理学科、教科教育学科[旧・高等学校教員養成課程])と広島師範学校・広島青年師範学校の流れである学校教育学部(小学校教員養成課程・中学校教員養成課程・養護学校教員養成課程)に分立した。
さらに、1978年(昭和53年)の兵庫教育大学の新設を皮切りに、現職教員の資質向上のための再教育機関としての役目も持った教育系大学の新設もされはじめ、上越教育大学と鳴門教育大学が開学した。これらの3大学は1971年(昭和46年)の中央教育審議会答申に基づき設置された。いわゆる「新構想教育大学」と呼ばれ、最初に大学院修士課程が創設されてから学部が発足している。なお、鳴門教育大設置に伴い、徳島大学教育学部は総合科学部へ改組された。
[編集] 教員養成課程の縮小
1990年代の教員採用数に減少が見込まれたことから、1987年の山梨大学と愛知教育大学を皮切りに、教員免許状の取得を任意としたゼロ免課程を導入する教育学部が増加した(ただし、大阪教育大学では「教養学科」と学科として設置された)。教育学部の学際性を生かして、既存の縦割りの分野ではない環境や心理、生涯学習、福祉、地域、などの分野の体系的教育がめざされている。ゼロ免課程の導入で教員養成大学・教員養成学部は、その目的である教員養成の特徴が目立たなくなり、教員養成大学・教員養成学部の存在意義が曖昧になってきている。そのため、教員養成系の教育学部の中には、規模を縮小してでも教員養成に集中するか、教員養成課程 も ある複合学部として新たな道を模索するかの岐路に立たされているところがある。どちらにせよ、教育学部が以前のそのままの姿で残っている大学はなく、なんらかの形で改組を余儀なくされている。
教育学部の最も大きな改組は、1992年(平成4年)の神戸大学に発達科学部が置かれたことに始まる。以後、
- 文化教育学部 - 1996年(平成8年) 佐賀大学
- 教育人間科学部 - 1998年〔平成10年〕 横浜国立大学、山梨大学、新潟大学
- 教育文化学部 - 1998年〔平成10年〕 秋田大学、1999年〔平成11年〕 宮崎大学
- 教育地域科学部 - 1999年〔平成11年〕 福井大学、鳥取大学
- 教育福祉科学部 - 1999年〔平成11年〕 大分大学
- 人間発達科学部 - 2005年〔平成17年〕 富山大学
- 地域教育文化学部 - 2005年〔平成17年〕 山形大学)
が教育学部からの改組により設置されている。学部名の変更には、教員養成課程からの路線変更という意図がはっきりと表れている。
なお、鳥取大学の教育地域科学部は、2004年(平成16年)にさらに地域学部へと改組された。これには、鳥取大学が実学中心しかも理系に偏重した学部構成であり、この3年前まで県内には他に大学がなかった、という選択肢の少なさも影響したといわれている。「教育」の語が含まれない学部へと改組していく教員養成学部が増えていくことで、教育学部が全体として教員養成指向を弱めることになり、やがては、教育学部を教員養成系・非教員養成系と区別することが無意味になるかもしれないとも考えられている。実際、神戸大学の発達科学部は、一部に教員養成系の跡があるものの、すでに旧帝国大学の教育学部や、旧教養部を再編した総合科学部・教養学部などの学際系学部と内容的にほとんど差がない。これはある意味、戦後の原点への回帰ということができ、大学における教員養成という、物事を客観的にみることができ、専門を生かすこともできるという利点が認められた形といえよう。 また、広島大学では、広島文理科大学・広島高等師範学校の流れをくむ教育学部と広島師範学校、広島青年師範学校の流れである学校教育学部に分離されていたが、2004年(平成16年)に教育学部として、再び単一の学部に改組された。
[編集] 教員大量退職時代を迎えて
一時は教員採用数の激減によって、新課程を設置するなど存在意義があいまいになりつつあった、国立大学教育学部だが、団塊の世代の教員が退職する時期となり、教員大量退職時代が来つつあるため、東京、埼玉、神奈川、千葉、大阪、などでは特に小学校教員が大幅に不足する事態が予想されている。 これまで文部科学省で、教員養成課程の定員増は認められていなかったが、方針転換がされて教員分野の定員抑制が2005年3月撤廃された。 そのため、教育学部の学生定員を教員養成系に特化する動きも出てきており、埼玉大学、京都教育大学、岡山大学では非教員養成系を廃止、愛知教育大学、三重大学、滋賀大学、奈良教育大学でも、大幅に教員養成課程に学生定員を移行している。
[編集] 卒業後の進路
師範学校の流れを汲む教員養成系の教育学部においては、教育関係(主に小中学校教員、学校の事務職員など)、公務員、福祉関係が主な進路であった。1990年代以降は、ゼロ免課程の新設などにより、サービス業、製造関係、放送や新聞などのマスメディア関係など、教育とは直接関係のないような分野にも広がっている。また、大学院に進学する者も増えてきている。
教育学系の教育学部や、高等師範学校および高等師範部の流れを汲む教育学部、学科においては、従来より教職や大学院進学以外の進路も主流を占め、各分野に卒業生を送り込んできた(例えば、元警察庁官僚で、中国管区警察局長を最後に国政へ転進した阿南一成、日韓経済協会会長および東レ特別顧問を務める飯島英胤など)。このような就職状況の背景には、「これらの学部が教員養成のみを目的とした学部ではないこと」あるいは、「中等教育教員の採用選考にあたり文学部、理学部といった学部の出身者と競合すること」などが理由として挙げられる。さらに今日においては、少子化による中等教育教員の採用減の影響により、今まで以上に多様な分野に進出する傾向にある。
[編集] 教育学部を置く国立大学
[編集] 教員養成系の教育学部
- ※かつては、徳島大学にも存在した。
[編集] 教育学系の教育学部
- 北海道大学
- 東北大学(以前に教員養成系統を分離し宮城教育大学を設置)
- 筑波大学(第二学群人間学類教育学主専攻から人間学群教育学類へ改組 2007年4月設置予定)
- 東京大学
- 名古屋大学
- 京都大学
- 広島大学(教員養成系と併存)
- 九州大学
- ※かつては、東京教育大学にも存在した。