鷲谷亘
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鷲谷 亘(わしや わたる、1956年 - )は、昭和後期から平成期(1980年代-)のプロ野球審判員。秋田県由利本荘市出身。審判員袖番号は29(1988年初採用から1996年引退まで、現在は空番)。
[編集] 来歴・人物
東洋大学までは投手。大学時代は小柄だったことと、同期にプロでも活躍した松沼雅之という大投手がいたため、控えであった。卒業後にセリーグ審判部に入局する。日本シリーズの出場はないが、オールスターには1990年に出場している。若くして一軍審判となるなど、将来を期待されていたが、視力減退を理由に1996年引退。その後郷里の秋田県に帰り、現在は審判用具を中心としたスポーツ用品販売などを行う会社「GO-STOP-CALL.COM」を経営している。
鷲谷審判が担当していた試合で、人々の記憶に忘れられない試合は2試合ある。1つ目は1982年8月31日の大洋-阪神戦(横浜スタジアム)において、阪神の島野育夫・柴田猛両コーチによる審判団殴打事件である。三塁塁審をつとめていた鷲谷が阪神の藤田平の三塁線上の飛球をファウルと判定したことに両コーチが激高、岡田功審判らとともに暴行を受けた(岡田功の項目参照)。2つ目は1994年5月18日の巨人-広島戦(福岡ドーム)で、この試合巨人の槙原寛己がプロ史上15人目の完全試合を達成している。鷲谷が球審をつとめていた。
「鷲」の文字は、後楽園球場のドット数が少ない審判名欄に記載することが不可能だったため、同球場では「ワシ谷」と表記されていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- GO-STOP-CALL.COM[1]