鷹司和子
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鷹司 和子(たかつかさ かずこ;1929年(昭和4年)9月30日 - 1989年(平成元年)5月26日)は日本の皇族。神宮祭主。昭和天皇第三皇女で幼少時の称号は孝宮。孝宮和子内親王。1950年(昭和25年)5月21日明治神宮宮司鷹司信輔理学博士公爵の長男、平通(後に日本交通公社交通博物館調査役)との結婚により臣籍降下。官位は勲一等。
[編集] 来歴・人物
今上天皇、常陸宮正仁親王の姉であり、他に東久邇成子、池田厚子、島津貴子が兄弟にいる。夫・平通との間に子は無く(一度妊娠も死産したという)、松平乗武(平通の妹章子の夫。)の子尚武を養子に迎えた。尚武は日本電気通信システム社長等を務める。1964年4月29日に勲一等宝冠章を受章。
1966年1月28日には夫鷹司平通が外出先で一酸化炭素中毒により急逝。行きつけのバーのマダムとの心中だったことが報道された。和子のショックは並ならぬものだったようで、夫の死後は各種メディアからのインタビューなど“公の場への露出”は殆ど避けていたという。夫の死後、留守宅を強盗に襲われるなどの事件が続き、晩年は赤坂御用地に居宅を移していた(この居宅は後に秋篠宮家仮邸となる)。1989年5月26日、父・昭和天皇死去の後を追うように死去。59歳という比較的若年で病没した背景には、夫の痛ましい急逝のショックを和子が乗り越えることができなかったからと考えられる。