黄金山神社 (涌谷町)
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黄金山神社 | |
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所在地 | 宮城県遠田郡涌谷町 |
主祭神 | 金山毘古神 天照皇大神 猿田彦命 |
社格等 | 式内社(小)・県社 |
例祭 | 9月15日 |
黄金山神社(こがねやまじんじゃ)は宮城県遠田郡涌谷町黄金迫(こがねはざま)に鎮座する神社。日本で初めて金を産出した場所である。延喜式神名帳の「陸奥国小田郡 黄金山神社」に比定される。
神社の祭神は鉱山の神の金山毘古(かなやまひこ)神で、現在は商売繁盛の神様として信仰されている。例祭は9月15日。
[編集] 歴史
740年代、平城京で聖武天皇が大仏塗金のための黄金を切望していた。当時、日本国内では金は採れないとされ、全て輸入に頼っていた。将にその時、陸奥国守百済王敬福が管内の小田郡(現遠田郡)で産出した黄金900両を貢上した。天平21年(749年)正月4日のことであった。900両もの砂金を収集し、奈良の都まで運ぶためには1年から2年の歳月が必要であり、実際に砂金が発見されたのは747年頃と考えられる。この黄金発見によって東大寺大仏は無事完成し、小田郡は永年、陸奥国は3年間免税とされた。
天平年間の金の産出地については、明治時代末まで牡鹿郡(現石巻市)の金華山とされていた。当地には金華山黄金山神社があり、信仰を集めていた。江戸時代末の文化7年(1810年)に、国学者・沖安海が、『陸奥国黄金山神社考』で金の産出に由来する神社は遠田郡の黄金山神社であるとした。明治には大槻文彦が『陸奥国遠田郡小田郡沿革考』でその説を発展させ、昭和32年、東北大学による発掘調査で奈良時代の建築物跡と屋根瓦が発見され、また、地質調査によっても涌谷町の土質には純度の高い良質の砂金が含有されることが判明し、確実なものとなった。昭和34年(1959年)、附近一帯が「産金遺跡」として県指定の史跡となり、昭和42年(1967年)には「黄金山産金遺跡」として国史跡の指定を受けた。
明治5年5月、県社に列せられた。明治42年に現在の社殿が建てられた。黄金山神社の入口には、遺跡の保存と展示を行う「天平ろまん館」が建てられている。