黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会
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黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会(くろわしきぜんにほんばれーぼーるせんしゅけんたいかい)は毎年5月初めに大阪市(大阪府立体育会館など)で行われる日本のバレーボール大会である。毎日新聞社と日本バレーボール協会が主催し、優勝チームには男子が天皇杯、女子は皇后杯が授与される。
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[編集] 競技方式
[編集] 出場枠
本大会に出場できるのは男女各32チームで、以下のカテゴリーから出場する(2006年現在)。
- Vリーグ(全チーム)
- V1リーグ(全チーム)
- 地域リーグ(プレイオフ出場チーム)
- クラブチーム(クラブカップ優勝チーム)
- 大学チーム(全日本インカレ上位4チーム)
- 高校チーム(全国高校選抜優勝大会優勝チーム)
- 地域推薦(北海道・東北、関東、東海・北信越、近畿、中国・四国、九州の計6チーム)
- 開催地推薦(大阪府内の他枠で出ないチームから選ばれる。)
[編集] 試合形式
以前は完全なトーナメントだったが、2003年から一部方式を変えた。前半2日間はグループリーグ(4チーム×8組)を行う。但しVリーグ・V1リーグ所属のチームとそれ以外のチームとで2チームずつ入るようにし、同じカテゴリーのチームとの直接対決をしない対抗戦方式で2試合を行い、各組第2位までの16チームが後半4日間の決勝トーナメントにコマを進める。
コートは準々決勝までは3面コート、準決勝と決勝戦はセンターコートバージョンで実施する。
[編集] 歴史
- 1952年 - 毎日新聞創刊70周年記念事業として『全日本都市対抗バレーボール優勝大会』の名称で第1回大会が開催される。会場は大阪プール特設コート。出場チームは男女各16チーム。
- 1953年 - 会場を大阪府立体育会館に移す。
- 1957年 - 男子優勝チームの八幡製鉄が台湾に派遣される。
- 1962年 - 6人制大会に移行。
- 1968年 - 韓国から男女1チーム、台湾から男子1チームが参加。
- 1976年 - 若鷲賞が創設される。
- 1980年 - 女子はアメリカ・コロラドスプリング市が優勝、初の日本国外のチームが優勝する。
- 1981年 - 大会名を『全日本都市対抗バレーボール選手権大会』に改称する。
- 1984年 - 大会名を『黒鷲旗全日本バレーボール男子・女子選手権大会』に改称する。大学生チームが初参加。参加チームは男女各32チームとなる。
- 1985年 - 大阪府立体育会館の改築で、会場が大阪市中央体育館に移る。
- 1986年 - 大阪城ホールで開催される。
- 1987年 - 会場が新築された大阪府立体育会館に戻る。
- 1988年 - 高校生チームが初参加。
- 2007年 - 新大会『天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会』の新設に伴い、『黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会』にリニューアルされる。『天皇杯』は各都道府県大会・ブロック予選を経てベスト4のみ翌年1月に首都圏の体育館で準決勝・決勝戦を行う予定。『全日本選手権』としては大阪での決勝は2006年の第55回記念大会が最後となる。『黒鷲旗』は参加チームを男女16チームする。
[編集] 新大会
- 黒鷲旗選抜大会にはプレミアリーグの全参加チームをはじめ、大学、高校などの強豪チームを選抜して16チームでのトーナメント大会として従前の全日本選手権と同じ5月に大阪で行う。
- 新たにスタートする全日本選手権大会は男子を天皇杯、女子を皇后杯とし、中学生以上のレベルにおける日本の6人制バレーボールの日本一決定戦と位置づけて開催。
- 4-7月に都道府県予選(1次予選)、9-10月にブロック予選(2次予選=全国9ブロック)を行い、その勝ち抜けチームとプレミアリーグ全参加チームを含めた24チームで行う。
- 1回戦は12月に全国各地で行い、翌年1月にベスト16以後の試合を1カ所集中の形で行う予定。第1回・2007-08年の大会は川崎市を中心に行う。
[編集] 歴代優勝チーム
回 | 年度 | 男子 | 女子 |
---|---|---|---|
1 | 1952年 | 八幡製鉄 | 倉紡万寿 |
2 | 1953年 | 八幡製鉄 | 日紡足利 |
3 | 1954年 | 日本鋼管 | 鐘紡四日市 |
4 | 1955年 | 日本鋼管 | 倉紡倉敷 |
5 | 1956年 | 住金小倉 | 日紡貝塚 |
6 | 1957年 | 八幡製鉄 | 日紡貝塚 |
7 | 1958年 | 住金小倉 | 日紡貝塚 |
8 | 1959年 | 日本鋼管 | 日紡貝塚 |
9 | 1960年 | 八幡製鉄 | 倉紡倉敷 |
10 | 1961年 | 東レ九鱗会 | 日紡貝塚 |
11 | 1962年 | 日本鋼管 | 日紡貝塚 |
12 | 1963年 | 東レ九鱗会 | 日紡貝塚 |
13 | 1964年 | 松下電器 | 日紡貝塚 |
14 | 1965年 | 日本鋼管 | 日紡貝塚 |
15 | 1966年 | 松下電器 | 日紡貝塚 |
16 | 1967年 | 八幡製鉄 | 日紡貝塚 |
17 | 1968年 | 松下電器 | 日立武蔵 |
18 | 1969年 | 松下電器 | 日紡貝塚 |
19 | 1970年 | 日本鋼管 | ヤシカ |
20 | 1971年 | 日本鋼管 | ユニチカ貝塚 |
21 | 1972年 | 住友軽金属 | 日立武蔵 |
22 | 1973年 | 松下電器 | 日立武蔵 |
23 | 1974年 | 新日鉄堺 | 日立武蔵 |
24 | 1975年 | 新日鉄堺 | 日立 |
25 | 1976年 | 新日鉄堺 | 日立 |
26 | 1977年 | 新日鉄堺 | 日立 |
27 | 1978年 | 富士フイルム | 日立 |
28 | 1979年 | サントリー | 日立 |
29 | 1980年 | 新日鉄 | 米国・コロラドスプリング市 |
30 | 1981年 | 松下電器 | ユニチカ |
31 | 1982年 | 日本鋼管 | 日立 |
32 | 1983年 | 富士フイルム | 日立 |
33 | 1984年 | 新日鉄 | 日立 |
34 | 1985年 | サントリー | 日立 |
35 | 1986年 | 富士フイルム | ダイエー |
36 | 1987年 | 富士フイルム | 日立 |
37 | 1988年 | 新日鉄 | 日立 |
38 | 1989年 | 新日鉄 | ユニチカ |
39 | 1990年 | 新日鉄 | イトーヨーカドー |
40 | 1991年 | サントリー | ユニチカ |
41 | 1992年 | 日本電気 | ダイエー |
42 | 1993年 | 日本電気 | 日立 |
43 | 1994年 | NECブルーロケッツ | 日立ベルフィーユ |
44 | 1995年 | サントリー | ユニチカ・フェニックス |
45 | 1996年 | NECブルーロケッツ | ダイエー |
46 | 1997年 | NECブルーロケッツ | NECレッドロケッツ |
47 | 1998年 | 松下電器 | ダイエー |
48 | 1999年 | NECブルーロケッツ | オレンジアタッカーズ |
49 | 2000年 | サントリー | ユニチカ・フェニックス |
50 | 2001年 | JTサンダーズ | NECレッドロケッツ |
51 | 2002年 | 東レアローズ | 東レアローズ |
52 | 2003年 | NECブルーロケッツ | パイオニアレッドウイングス |
53 | 2004年 | JTサンダーズ | 東レアローズ |
54 | 2005年 | 東レアローズ | パイオニアレッドウイングス |
55 | 2006年 | 東レアローズ | 久光製薬スプリングス |
[編集] 外部リンク
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