RO&D
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
RO&D(あーるおーでぃー、Roughly Obsess and Destroy)は、かつて存在した、KAIENTAI-DOJO所属のTAKAみちのくが率いるプロレスラーのユニット。全日本プロレスを舞台として活動していた。RO&Dの名前が決まる前までは、「吉田屋USA」→「RAGD(ラフ・アンド・グレイツ・デンジャラスクルー)」というユニット名であった。
RO&Dに所属するプロレスラーはほぼ外国人であり、多くはTAKAみちのくがWWEに参戦していたときの人脈によるものが大きいといえる。太陽ケアだけはもともと全日本プロレスに所属していたのを勧誘して仲間にしたものである。
当初は全日本正規軍の対抗勢力として、「最強で最悪」の軍団という触れ込みの元、武藤敬司たちと抗争を展開していた。ところがそのRO&Dにデカい顔をさせまいと名乗りを上げた抵抗勢力のVOODOO-MURDERS(以下「VM」と表記)が出現、結果RO&Dは「最強」の座はともかく「最悪」の座は奪われた感がある。しかしその反動で全日本の正規軍に勝るとも劣らないファンからの大きな支持を獲得する結果につながり、大会前のメンバー紹介から始まる前説(通称RO&Dタイム)や(前説終了後に必ずVMが割り込み同様にメンバー紹介と前説を行なうのが恒例)勝利後には観客といったいとなって「R・O・D・ブイヤーーーーッ! 」と叫ぶことはもはや恒例となっていた。
2004年から抗争していたユニットにはLOVEマシンズ、健介ファミリーなどがあったが、2005年からはTARU率いるVMとの抗争が主となっていた。
2004年は太陽ケア&ジャマール組が世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝し、また一時期三冠ヘビー級王座を除く全日本プロレスのすべてのベルトを獲得していた。またレスラー同士の結束は固く、世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝した後、「この勝利をギガンテスに捧げる」と急性心不全で急死した仲間にメッセージを送ったほどである。
2005年7月代々木大会にはTAKAみちのくが“強力助っ人”として蝶野正洋を全日本マットに参戦させる。これはTAKAが新日本参戦時に所属していたCTUと蝶野が当時共闘していたことから実現できた。
2006年初頭のシリーズに於いて太陽ケアとディーロ・ブラウンに仲間割れが生じ、同年3月まで確執が続いたものの和解、また新メンバーのマット・モーガンを迎えた(5月シリーズ開幕戦でのTAKAのマイクであまりにもバカでコントロールしきれないので戦力外通告に近いものが言い渡されている)。右手指複雑骨折で戦線離脱していたTAKAみちのくも5月に復帰。6月にはWWE時代にジャマールとタッグを組んでいたRO'ZがRO&D入りした。しかし、9月3日の札幌大会で突如RO'ZがVMに寝返り、RO&D脱退を表明した。
2006年9月17日VMと解散を賭け対決したが、ディーロとブキャナンが試合の途中でVMへ裏切り敗戦してしまう。試合後にTAKAとケアを救出しに来た武藤敬司とカズ・ハヤシに、解散せずに共闘してVMを倒すよう提案されるが、TAKAはすでに一度言ったことだからとRO&D解散を決定。3年間の歴史に幕を降ろした。最終所属レスラーであるTAKAとケアは、これ以降本隊と共闘していくこととなった。