アレクセイ・ヤグディン
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男子 フィギュアスケート | ||
金 | 2002 | シングル |
アレクセイ・コンスタンティーノビッチ・ヤグディン(Alexei Konstantinovich Yagudin, Алексе́й Константи́нович Ягу́дин, アリクセイ・カンスタンチーナヴィッチ・イグージン, 1980年3月18日 - )は、ロシア・サンクト・ペテルブルク出身の元フィギュアスケート選手。現在はプロスケーター。
史上最高のフィギュアスケーターとの呼び声も高く、ジャンプ、スピン、ステップ、スケーティング、表現力などフィギュアスケーターとして求められる全ての要素を極めて高いレベルで備え、フィギュアスケートの帝王とまで称えられた歴史的名選手であり、その演技やフィギュアに取り組む姿勢は、数多くの後進に影響を与えている。 特にそのトリプルアクセルは高さ、飛距離、姿勢、回転力、前後の流れなどの全てにおいて完璧なもので『世界一美しいトリプルアクセル』と称えられていた。
ソルトレークシティオリンピックではエフゲニー・プルシェンコとの頂上対決を制し、しばらくこの二人の時代が続くと思われたが、ヤグディンは先天性の股関節疾患を患っており、その年のグランプリシリーズを途中棄権をしたのを最後に再び競技会に姿を現すことは無かった。
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[編集] 経歴
ヤグディンは4歳よりフィギュアスケートを始め、10歳からはサンクトペテルブルグ・フィギュアスケート・アカデミーの総監督アレクセイ・ミーシンコーチのもとで習うようになる。1996年オーストラリア・ブリスベーンで開催された世界ジュニア選手権で優勝。17歳で長野オリンピックに出場するが、体調を崩し5位入賞に終わった。その後、当時頭角を現していたプルシェンコ選手をより熱心に指導するコーチの元を離れ単身アメリカに渡り、長野五輪金メダリスト、イリヤ・クーリック選手の指導者だったタチアナ・タラソワコーチに指導を受けるようになった。
2002年2月のソルトレークシティオリンピック、フリー・プログラムで滑った「仮面の男」では、4人の審判員が芸術点で6.0を出し技術点は全員5.9という完成度の高い演技をして金メダルに輝いた。同年3月の長野市で行われた世界選手権にも出場し、ここでも芸術点で2つの6.0を出し優勝している。
2003年にプロに転向。現在は「スターズ・オン・アイス」などで活躍中である。
[編集] その他
- オリンピックシーズン前年のフリープログラム「グラディエーター」では、斬新なトウステップを披露した。これは「ヤグディンステップ」と呼ばれることもある。そしてそれを存分に生かしたプログラムがオリンピックシーズンのショートプログラムの「ウィンター」である。(ただし、リンクの氷を削りすぎる、との批判もある。)
- 2001-2002シーズンのフリープログラム、「仮面の男」は彼の集大成と見ることができる。自身の好きなプログラムは、ショートは「ウィンター」、フリーは「アラビアのロレンス」をあげている。これらの演技は多くの人を魅了し、彼をきっかけに日本でも20~40代女性を中心とするファンが急増したと言われている。
- 患っている先天性股関節疾患は普通に生活するだけでも10年から20年に一度手術が必要なもので、その影響から世界一美しいと称えられたトリプルアクセルや4回転ジャンプはすでに不可能であり、アクセルジャンプとループジャンプに至っては2回転すら困難となってしまった(それ以外の3回転ジャンプはスターズ・オン・アイスで現在も跳んでいる)。
- ヤグディン,プルシェンコの次の時代の主役として期待されている、スイスのステファン・ランビエールやフランスのブライアン・ジュベールは共に尊敬する選手としてヤグディンの名をあげるなど、後進の模範となっている。
- 2歳年下のプルシェンコとの不仲がよく噂され、親しい友人であった時期が皆無であることは間違いないと本人も認めている。ただし、プルシェンコを嫌っているのではなく、共通のコーチであったミーシンを巡っての環境の変化が二人の間柄を作ってしまったと見るのが妥当である。ヤグディンはプルシェンコの実力を高く評価しており、自らが引退した時点でトリノの金メダルを取るのはプルシェンコだろうと明言している。また2006年にはプルシェンコと握手を交わして抱き合う姿が報じられた。
- ソルトレークシティオリンピックの表彰式で銀メダルのプルシェンコに対する拍手をあからさまに避け、いつまでも銅メダルのティモシー・ゲーブルに対して拍手を送っていたことは、プルシェンコが望むメダルではないことに対する配慮の表れであるとも言われるている。
- 日本のことを気に入っているようで、すでに来日は10回以上。日本料理では寿司が好物である(特にアナゴ)。ジュニアの大会にも多く足を運び、まだ無名だったころの安藤美姫や浅田真央のジャンプを絶賛したことがある。
[編集] 主な成績
大会/シーズン | 1993-1994 | 1995-1996 | 1996-1997 | 1997-1998 | 1998-1999 | 1999-2000 | 2000-2001 | 2001-2002 |
オリンピック | - | - | - | 5位 | - | - | - | 1位 |
世界選手権 | - | - | 3位 | 1位 | 1位 | 1位 | 2位 | 1位 |
ヨーロッパ選手権 | - | 6位 | 5位 | 1位 | 1位 | 2位 | 2位 | 1位 |
グランプリファイナル | - | - | - | 5位 | 1位 | 1位 | 2位 | 1位 |
スケートアメリカ | - | - | 2位 | - | 1位 | 1位 | 2位 | - |
スケートカナダ | - | - | - | - | - | 1位 | 1位 | 1位 |
エリック・ボンパール杯 | - | - | - | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 |
ボフロスト杯 | - | - | 3位 | - | 1位 | - | - | - |
ロシア杯 | - | - | 2位 | 1位 | - | - | - | - |
世界ジュニア選手権 | 4位 | 1位 | - | - | - | - | - | - |
ロシア選手権 | - | - | - | 2位 | 2位 | 2位 | 2位 | - |
[編集] 著書
- 2004年 - 「オーバーカム」(周地社)
[編集] 外部リンク
- Figure-Skating.com: Alexei Yagudin - 公式ウェブサイト
- ISU Biography Page
- "Stars on Ice" Profile
- olympics.org Athlete Profile - Yagudin
1908: ウルリッヒ・サルコウ | 1920: ギリス・グレイフストレーム | 1924: ギリス・グレイフストレーム | 1928: ギリス・グレイフストレーム | 1932: カール・シェーファー | 1936: カール・シェーファー | 1948: ディック・バトン | 1952: ディック・バトン | 1956: ヘイス・アラン・ジェンキンス | 1960: デヴィッド・ジェンキンス | 1964: マンフレート・シュネルドルファー | 1968: ヴォルフガング・シュヴァルツ | 1972: オンドレイ・ネペラ | 1976: ジョン・カリー | 1980: ロビン・カズンズ | 1984: スコット・ハミルトン | 1988: ブライアン・ボイタノ | 1992: ヴィクトール・ペトレンコ | 1994: アレクセイ・ウルマノフ | 1998: イリヤ・クーリック | 2002: アレクセイ・ヤグディン | 2006: エフゲニー・プルシェンコ |
1896: ギルバート・フックス | 1897: グスタフ・ヒューゲル | 1898: ヘニング・グレナンダー | 1899-1900: グスタフ・ヒューゲル | 1901-1905: ウルリッヒ・サルコウ | 1906: ギルバート・フックス | 1907-1911: ウルリッヒ・サルコウ | 1912-1913: フリッツ・カチラー | 1914: ゴスタ・サンダール | 1922: ギリス・グレイフストレーム | 1923: フリッツ・カチラー | 1924: ギリス・グレイフストレーム | 1925-1928: ウィリー・ボエケル | 1929: ギリス・グレイフストレーム | 1930-1936: カール・シェーファー | 1937-1938: フェリックス・カスパール | 1939: ヘンリー・グラハム・シャープ | 1947: ハンス・ゲルシュヴィラー | 1948-1952: ディック・バトン | 1953-1956: ヘイス・アラン・ジェンキンス | 1957-1959: デヴィッド・ジェンキンス | 1960: アラン・ジレッティ | 1962: ドナルド・ジャクソン | 1963: ドナルド・マクファーソン | 1964: マンフレート・シュネルドルファー | 1965: アラン・カルマ | 1966-1968: エメリッヒ・ダンツァー | 1969-1970: ティム・ウッド | 1971-1973: オンドレイ・ネペラ | 1974: ジャン・ホフマン | 1975: セルゲイ・ヴォルコフ | 1976: ジョン・カリー | 1977: ウラジミル・コバリョフ | 1978: チャールズ・ティックナー | 1979: ウラジミル・コバリョフ | 1980: ジャン・ホフマン | 1981-1984: スコット・ハミルトン | 1985: アレクサンダー・ファデーエフ | 1986: ブライアン・ボイタノ | 1987: ブライアン・オーサー | 1988: ブライアン・ボイタノ | 1989-1991: カート・ブラウニング | 1992: ヴィクトール・ペトレンコ | 1993: カート・ブラウニング | 1994-1995: エルビス・ストイコ | 1996: トッド・エルドリッジ | 1997: エルビス・ストイコ | 1998-2000: アレクセイ・ヤグディン | 2001: エフゲニー・プルシェンコ | 2002: アレクセイ・ヤグディン | 2003-2004: エフゲニー・プルシェンコ | 2005-2006: ステファン・ランビエール | 2007: ブライアン・ジュベール |