エフゲニー・プルシェンコ
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男子フィギュアスケート | ||
金 | 2006 | シングル |
銀 | 2002 | シングル |
2004世界選手権のエフゲニー・プルシェンコ | |||
基本情報 | |||
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国籍: | ![]() |
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出身地: | ソーニェチヌイ | ||
身長: | 178 cm | ||
コーチ: | アレクセイ・ミーシン | ||
所属: | Yubileyny Sports Palace | ||
ISU パーソナルベスト | |||
SP+FS トータル: | 258.47 | 2006 冬季オリンピック | |
ショートプログラム: | 90.66 | 2006 冬季オリンピック | |
フリースケーティング: | 167.81 | 2006 冬季オリンピック |
最近の結果: | |||
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大会名 | ポイント | 順位 | 年 |
冬季オリンピック | 258.47 | 1位 | 2006 |
ヨーロッパ選手権 | 245.33 | 1位 | 2006 |
エフゲニー・ヴィクトロヴィッチ・プルシェンコ (Евге́ний Ви́кторович Плю́щенко, イヴギェーニー・ヴィクタラヴィッチ・プリューシンカ, 1982年11月3日 - )はロシアのフィギュアスケート選手。愛称はジェーニャ。
目次 |
[編集] 人物
ハバロフスク近郊のソーニェチヌイ(Солнечный)に生まれる。フィギュアスケートの才能を見込まれ幼くして家を出て、オリンピックに出場経験のあるスケート選手のアレクセイ・ミーシンの保護下で経験を積む。
2001年ライバルのアレクセイ・ヤグディンを抑えて世界選手権に初優勝するも、2002年のソルトレークシティオリンピックではショートプログラムの四回転ジャンプで転倒し4位、フリースケーティングは2位、結果は銀メダルに終わる。
2005年6月18日にサンクトペテルブルクで結婚。
2006年2月16日にトリノオリンピックで金メダルを獲得。その後行われたエキシビジョンでは、全選手のリーダーとして大活躍。
2006-2007シーズンは競技には出場せずに休養することを宣言した。
2006年6月15日に3450g、52cmの男児誕生。名前は当初クリスチャン・エフゲニーヴィッチ・プルシェンコ(Кристиан Евгенийвич Плющенко)と言っていたが、後にクリスチャンからイェゴールに変わった。
2007年2月には離婚が報道された。
2007-2008シーズンからのアマチュア競技会への復帰に関して、8月より本格的なトレーニングを再開すると長年のコーチであるアレクセイ・ミーシンが発言。プルシェンコ自身も復帰を決意するコメントを出している。
[編集] スケート
プルシェンコのキャリアを支えているのは、神の子とまで呼ばれていたアレクセイ・ヤグディンすら上回る、当時の水準とはかけ離れた圧倒的技術力である。
プルシェンコは1997年に弱冠15歳にして四回転 - 三回転コンビネーションジャンプを成功させ、その後世界で初めてISU公式戦で四回転 - 三回転 - 二回転、そして四回転 - 三回転 - 三回転コンビネーションジャンプを成功させた。現在ISU公式戦で4-3-3コンビネーションジャンプを成功させた選手は他にいないが、現在の採点法では4-3-3コンビネーションの価値はかなり減少しているので挑戦する選手はおらず、プルシェンコ自身もプログラムに取り入れていない(参照)。
スピンでも男子では珍しい高難度のビールマンスピンを得意としていたが、2005年に背中の手術をしてからは封印している。ステップにおいても世界で最初に最高評価のレベル4を獲得した。
また、2004年世界選手権まで使用されていた旧採点システムの技術点で、6点満点を最も多く出した選手である。
ユーモアのある明るい性格でも知られ、アイスショーやエキシビションでは、女装やかぶりもの、肉襦袢(じゅばん)に金色のブリーフパンツという姿で腰を振りながら、トム・ジョーンズの"Sex Bomb"に合わせて踊るなど、奇抜なパフォーマンスも平気でこなす。 2006年10月・12月に来日した際も、ショーの最中に笑いをとるコスチュームで現れ観客を喜ばせた。
[編集] 主な成績
- 1996年 - 1997年
- 世界ジュニア選手権 優勝
- 1997年 - 1998年
- 1998年 - 1999年
- 世界選手権 2位
- ヨーロッパ選手権 2位
- ISUグランプリファイナル 3位
- 1999年 - 2000年
- 世界選手権 4位
- ヨーロッパ選手権 優勝
- ISUグランプリファイナル 優勝
- 2000年 - 2001年
- 世界選手権 優勝
- ヨーロッパ選手権 優勝
- ISUグランプリファイナル 優勝
- 2001年 - 2002年
- 冬季オリンピック(ソルトレークシティー) 2位
- ISUグランプリファイナル 2位
- 2002年 - 2003年
- 世界選手権 優勝
- ヨーロッパ選手権 優勝
- ISUグランプリファイナル 優勝
- 2003年 - 2004年
- 世界選手権 優勝
- ヨーロッパ選手権 2位
- ISUグランプリファイナル 2位
- 2004年 - 2005年
- ヨーロッパ選手権 優勝
- ISUグランプリファイナル 優勝
- 2005年 - 2006年
- 冬季オリンピック(トリノ) 優勝
- ヨーロッパ選手権 優勝
[編集] エピソード
- コーチであるアレクセイ・ミーシンはプルシェンコの第一印象を「やせっぽっちのチキンのようだった。脂のない、安いチキンのようだったよ」と語っている。
- アレクセイ・ヤグディンとの不仲がよく噂されるが、あるインタビューで「(同じコーチのもと)ヤグディンと一緒に練習していたとき、彼から学んだことはありますか?」という問に「Nothing!(何もない)」と答えたことは有名である。
[編集] 外部リンク
- ISU Crystal Report - Evgeni PLUSHENKO
- オフィシャルサイト(英語)
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