スタジオぬえ
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株式会社スタジオぬえは、東京都練馬区に本拠を置く、主にSF作品を中心とした企画製作スタジオ。
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[編集] 略歴
1972年、同人会(ファングループ)SFセントラルアートの中心メンバー、高千穂遙(当時は本名の竹川公訓)、松崎健一、宮武一貴、加藤直之の4名が有限会社クリスタルアートスタジオを設立。初期の主業はSF界の重鎮野田昌宏に紹介された『ひらけ!ポンキッキ』の美術・イラスト制作であった。1974年にクリスタルアートスタジオを発展解消する形で、スタジオぬえへと移行する。
SFマガジンをはじめとして、早川書房の国内外のSF文庫など多数のSF小説、ムック等の表紙・挿画等のほか、SF作品のビジュアル解説も多数手がけ、当時は未開であった国内SFアート分野のフロンティアとして認められていく。とりわけハインラインの小説『宇宙の戦士』の挿絵用にデザインしたパワードスーツは、『機動戦士ガンダム』のモビルスーツに大きな影響を与えたとして、今日でも高く評価されている。
アニメーションの分野では、『宇宙戦艦ヤマト』『宇宙海賊キャプテンハーロック』などの松本零士作品や、日本サンライズ(現サンライズ)のスーパーロボット系作品で、メカニックデザインや演出助言などに貢献。映画スターウォーズや機動戦士ガンダムの影響で日本中にSFブームが広がると、次第に裏方からファンに認知される存在となった。
1980年代には企画業にも進出。とりわけ初の原作テレビアニメ『超時空要塞マクロス』は斬新な発想で「スタジオぬえ」の名を一躍有名にし、劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』も製作された。また、高千穂遥の小説『クラッシャージョウ』『ダーティペア』も日本を代表するスペースオペラ作品として、テレビ、映画、OVAでシリーズ展開され人気を博した。その後は製作協力を中心とした活動にもどり、今日まで様々なSF作品に関与し続けている。
[編集] 特色
[編集] SFアート
設立当初はSFアートという分野の需要がなかったため、豊富なSF知識を活かしてよろず屋的に仕事を開拓していった。テレビアニメの演出では長浜忠夫監督らに重用され、ロボットの透視図解など作品世界をひろげる優れたアイデアを提供した。
その一方で、アニメの制作現場では「ぬえメカ」と呼ばれ、デザインは秀逸で未来的だが、線が多く複雑かつ稠密で作画しづらいとアニメーター達には大変に不評であった(このため高千穂遥から企画のヒントを得た『機動戦士ガンダム』で、日本サンライズは大河原邦男を起用した)。特に1980年代までのぬえの仕事はイラスト上でこそ魅力的なものの、理想が先に立ち過ぎて製作現場の側の現実を十分に理解したものとは言い難いものが多く、実際、制作事情の厳しいアニメ製作の現場では到底活かしきれるものではなかった。
実際、ぬえ自身が原作・企画として直接関わった『超時空要塞マクロス』ではデザインの稠密さが一因となって作画スケジュールが事実上破綻、当時としては深刻なレベルの品質低下を発生させ、ファンの間でかなり大きな話題となった事は有名である(特に第11話は『テレビ紙芝居』と揶揄されるほどの状況であった)。ただし、インターネットがある現在と違って当時は個人で簡単に情報を発信する手段が存在しなかった時代であり、ファンの間での話題としては、アニメ雑誌の読者欄やアニメファン同士の口コミのレベルに終わった。
初期との比較において、現在では多少はアニメ製作サイドの現実に則したデザインに変化したとされるが、それでもその稠密なデザインや設定はアニメーター泣かせと言われる事がある。
[編集] スタジオぬえ批判
コアなSFファンからは、1982年にマニア層向けのSF専門誌『SFイズム』誌上において、スタジオぬえのデザインが理詰めではないとして批判が繰り広げられた。大友克洋のSF漫画『武器よさらば』に登場するプロテクター・スーツと対比する形で、ぬえがデザインした『宇宙の戦士』のパワード・スーツが実際には人間の骨格では装着できないとの指摘がなされた。同時にスタジオぬえの『SFマガジン』の連載記事で披露された宇宙戦艦論などを批判する投稿記事「スタジオぬえ批判」が連載された。
同様にぬえのデザインについては、当時盛んに用いられた概念である「SFマインド」の有無についての批判や論争も、数多くのアニメ趣味誌やSF趣味誌で見られた。ただし、ぬえのメンバーについては、高千穂を筆頭に当時の「SFマインド」肯定派の一翼を担っていると見られていた人物たちではある。
[編集] その他
- 社名の「ぬえ」とは、日本の伝説の妖怪「鵺」のこと。メンバーのあだ名である生き物、蛇(高千穂)、ゴキブリ(松崎)、タヌキ(宮武)、吸血コウモリ(加藤)をかけあわせたイメージから命名された。
- 企画への参加、受注した仕事など、メンバーは基本的に個別に活動しているが、関与作品で会社名のみがクレジットされる場合もある。
- SFセントラルアート時代から会誌「クリスタル」を発行し、ファンとの交流会クリスタルコンベンション(通称クリコン)を定期開催していた。その参加者から第二期メンバーの河森正治、細野不二彦が輩出された。
- 学生の同人活動が母体という点で後輩であるDAICON FILMの才能を買い、山賀博之、庵野秀明らを関西から呼んで『超時空要塞マクロス』の制作を手伝わせた。のちに『新世紀エヴァンゲリオン』などを制作するガイナックスの誕生に寄与したという功績も考えられる。
- 代表作『超時空要塞マクロス』は、本来彼らが指向していた「SFマインドに溢れたハードSF」の企画が通らなかったため、ダミー(当て馬)として気楽に考え出したパロディー企画であった。だが、これが彼らの期待にある意味では反してスポンサーの目にとまり採用されてしまった。やむなく慌ててリアルロボット系作品に仕立て直したため、シリアスさと軽妙さが入り混じった独特の作風になったという逸話がある。
- 『超時空要塞マクロス』第1話では、主人公一条輝のバルキリーが墜落して、架空のぬえ社屋を破壊するシーンがある。
- 1978年放送の『まんが日本絵巻』第17話『妖怪ぬえ退治 源頼政』に登場する妖怪「鵺」はスタジオぬえによるデザイン。宇宙戦艦ヤマトで演出を務めた石黒昇が『まんが日本絵巻』の総監督だったため。
[編集] 主なメンバー
- 河森正治(メカニックデザイナー、監督、演出家 サテライト取締役兼任)
- 細野不二彦(元メンバー 漫画家)
- 佐藤道明(元メンバー)
- 石津泰志(元メンバー)
- 森田繁(脚本家)
- 瑞原芽理(元メンバー 漫画家)
[編集] 主な作品
[編集] アニメーション
- 1973年 ゼロテスター(ジョン・デドウ名でメカニックデザイン)
- 1974年~宇宙戦艦ヤマトシリーズ(松本零士のメカ原稿を清書)
- 1977年 無敵超人ザンボット3(メカニックデザイン協力)
- 1978年 宇宙海賊キャプテンハーロック(メカニックデザイン協力)
- 1978年 闘将ダイモス(メカニックデザイン)
- 1979年 機動戦士ガンダム(松崎健一が脚本参加。ミノフスキー粒子などの背景設定を考案)
- 1982年 テクノポリス21C(原作)
- 1982年~超時空要塞マクロスシリーズ(原作)
- 1983年 超時空世紀オーガス(原作)
- 1983年 聖戦士ダンバイン(宮武一貴が主役メカ、ダンバインをデザイン)
- 1988年 宇宙の戦士(パワードスーツのデザイン刷新)
- 1992年 新世紀GPXサイバーフォーミュラ(メカニックデザイン)
- 1996年 天空のエスカフローネ(原作:河森正治)
- 2002年 機動戦士ガンダムSEED
- 2003年 サブマリン707R
- 2004年 機動戦士ガンダムSEED DESTINY
[編集] 特撮
[編集] 小説
[編集] 玩具
[編集] 解説書
- 1978年 『SFワンダーランド』(広済堂から出版された豆本。構成は松崎健一。宮武一貴、加藤直之らのイラストで多数のSF作品を紹介)
- 1978年 『宇宙でパズル』(広済堂豆たぬきの本124。構成:松崎健一、イラスト:細野不二彦)