ホンダ・NS500
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホンダ・NS500(エヌエスごひゃく)は、ホンダ・レーシング(HRC)がロードレース世界選手権(WGP)・GP500クラス参戦用に開発した競技専用のオートバイ。
目次 |
[編集] 概要・歴史
ホンダは1977年にWGPへの復帰を表明。1979年イギリスGPで4ストロークのNR500をデビューさせた。しかしNR500は1981年までに優勝はおろか1ポイント(当時の得点制は1位15点~10位1点)も挙げることができなった。1980年の時点ではスズキの市販レーサーRGB500や、ヤマハの市販レーサーTZ500にもまったく歯が立たない状況だった。
1981年8月のイギリスGPに、USホンダ所属のフレディ・スペンサーがスポット参戦、NR500で一時は5位を快走する。しかし、逆にそのことでチャンピオン経験者でもある片山敬済や、それを上回る走りを見せたスペンサーをもってしてもトップを狙うことができないNRの現状が明らかになり、NRブロックの総責任者である入交昭一郎がNRと並行するかたちでNS500を開発することを決断した。
エンジンレイアウトは112度バンクの水冷2ストロークV型3気筒。1軸クランクエンジンで、リードバルブが採用されたはじめてのグランプリマシンである。NS500は前1気筒、後2気筒のレイアウトだったが、後に市販された公道用スポーツバイクNS400Rは前バンクが2気筒、後バンクが1気筒だった。
500ccの排気量で、350ccの車体と運動性。最高出力よりもトータルバランス。独創よりも実戦。そのコンセプトは見事に当たり、初年度の1982年から勝利を挙げる、翌年、フレディ・スペンサーの手によりチャンピオンマシンに。以降、さまざまな派生型を経て、1990年代初頭までWGPを走る長寿モデルとなる。
あらゆるライダーによって活躍したNS500ではあるが、反面勝ち星を挙げたライダーは少ない。しかし表彰台を獲得した回数は多い。このことから、NS500は当初の実戦的な扱いやすい車両というコンセプトを高レベルで達成していたことが伺える。
なお、市販レーサーであるRS500RはNS500の量産型と言えるものである。
[編集] 主なエピソード
- 1984年、ホンダは水冷2ストロークV型4気筒(90度Vバンク)のNSR500(I型)をデビューさせるが、先進的すぎるパッケージングや初期トラブルによる運用の不安定さ、信頼性の低さが目立っていた。エース・スペンサーには、ニューマシンのNSRとともに1983年のチャンピオンマシンであるNS500の熟成型を選択する使用権があったため、サーキットによっては1984年型NS500を選択し、見事に勝利を収めてみせた。結局、1984年シーズンのスペンサーはサーキットによってNSとNSRを使い分けることになった。
- レース直前にエンジントラブルが発生し、日本からエンジンを手荷物で空輸。この際、運んだ場所がアルゼンチンであったため、担当者は日本、アルゼンチン間ゼロ泊3日の珍記録を作ってしまった。
- リードバルブの採用により始動性が圧倒的に優れていたと言われ、ロータリーディスクバルブを採用していたヤマハやスズキのライダーが懸命に始動を試みている間にあっという間に走り去り、アドバンテージを築くのが必勝パターンであった。当時はWGPのスタート方法が押しがけスタート(エンジンを停止した状態からライダーが人力でバイクを押し出して始動する方法)であったため、この始動性の良さがNSの大きな武器となる。
- リードバルブの採用により中速域でのパワーが大きく、コーナーからの立ち上がりスピードが高かったと言われる。高回転域ではロータリーディスクバルブが優れているとされていたが、レースでは最高速よりも立ち上がり加速が重要な場面も多く、これもNS500の武器だったと言われる。リードバルブはモトクロス用マシン(モトクロッサー)に多用されていた方式だが、NS500の成功以後ロードレース用マシンにも多用されるようになった。
- 一般的にはアンダーパワーな車両とされているが、レース中の最高速度を達成したこともある。ヤマハやスズキ(あるいは同じホンダのNSR500)などの4気筒マシンに比べると、3気筒のNS500は絶対パワーは低いとされたが、前述のように中速域でパワフルな上、車体が小さくて軽くコーナリング性能の面でも有利だった。結果、立ち上がり加速が高く、コース状況によっては直線での最高速の面でも有利に働いたようだ。
- さまざまな派生型があり、無限製のパーツで強化が図られた車両も存在する(1987年キリ車)また、市販型であるRS500Rとの互換性が高く、有力なプライベートライダーのRSにはNSの部品が組み込まれ、ワークスのサポートに回ったこともある。
- 実は1982年から1983年のNSは、スペンサー車以外は市販RS500Rの先行開発車だったという説がある。この説を裏付けるものとして、片山及びルッキネリのフレーム号機と外観上のスペンサー車との相違点が挙げられる。よく車体を比べると、スペンサー車とそれ以外はスイングアーム、サイレンサー、クランクケースなどに違いが見受けられる。また、スペンサー車とそれ以外にはパワー差があったとされる。
- 初期のNSの純正ホイールはカーボン製コムスターホイールであったが、後年はマルケジーニなどの鍛造マグネシウム合金製を使用するライダーが多かった。これが1984年開幕戦(南アフリカ)でのホイール破損事件(カーボン製コムスターホイールを装着したNSR500の後輪が破損しスペンサーが負傷)と関係があるかどうかは定かではない。
[編集] 主なライダー
NSで活躍したライダーは下記のとおり。
- フレディ・スペンサー(1983年、1985年GP500チャンピオン)
- 片山敬済(1977年GP350チャンピオン)
- ランディ・マモラ(GP500ランキング2位複数。無冠の帝王)
- ワイン・ガードナー(1987年GP500チャンピオン)
- ロン・ハスラム(ロケットロン。1987年ランキング4位)
- マルコ・ルッキネリ(1981年GP500チャンピオン。ホンダ移籍後低迷)
- ピエール・フランチェスコ・キリ(原田哲也(1993年GP250チャンピオン)のチームメイトとして著名。1987年にNSで4位入賞)
- レイモンド・ロッシュ(後にカジバを経てスーパーバイク世界選手権に参戦)