右翼思想・左翼思想
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右翼思想・左翼思想(うよくしそう・さよくしそう)とは政治思想の分類方法の一つ。相対的な対立構造を表現するのに用いられ、用例が多岐にわたるため対立軸を明確にせずに「右翼思想」「左翼思想」それぞれが単独で意味をなす訳ではない。
政治学上は基本的に以下のように定義される。
各国の政治的区分および時代において独自の分類基準が存在する。日本における独自の右翼・左翼分類およびその派生語彙に関しては、日本の右翼思想・左翼思想を参照のこと。
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[編集] 語源
右翼・左翼の語源はフランス革命時代の議会において議長の右側の席を保守派が左側の席を急進派が占めたことに由来する。ただし、その時期と当該派閥に二説あり、
判然としない(詳細に調査すれば判別可能と思われる)。この時代はまだ党派政治が発達していなかったが、議場では主義主張の似通った人々がまとまって座っていることが多かったことから、国民公会では議場中の座る位置を指して派閥の名前とすることがしばしばあった。したがって、この時代での右翼・左翼は、思想についての一般語というより、具体的党派名を指す意味合いが強い。また、場所を党派名の代わりにした例としては、議場の上段(後列)を占めた勢力を山岳派、議場の下段(前列)に座った勢力を平原派と称した、というような例がある。
国民議会説を採った場合、右翼という言葉の元になった王党派は、貴族や高等僧などが中心で、階級構造を守り、強い場合王権の強化などを、弱い場合立憲君主制などによって階級構造を維持しようとする勢力であった。左翼の元になった共和派は、大衆や商工業者・啓蒙的知識人が中心で、階級構造の打破を目標とし、ひいては王制廃止による共和制の樹立をも主張する勢力であった。
国民公会説を採った場合、右翼という言葉の元になったジロンド派は、所有権の保証と経済活動の自由を求め、革命のそれ以上の進行を望まない、というような集団であった。左翼の元になったジャコバン派は、急進的で革命の進行を求める、といった集団であった。
[編集] 用途の拡大
前述の王党派・共和派ないしジロンド派・ジャコバン派の簡易な呼び分けとして左右の用例が登場したが、呼び分けの容易さから様々な場面で用いられるようになった。
[編集] 保守派・急進派
最初の用例がどちらであるにせよ、右翼・左翼の基本的な用途として保守派・急進派(革新的、進歩的)の対立を表現することが多い。ただし、後述するが意味が派生を重ねているため、「何に対して」保守・急進なのか振れが大きい。ただ基本的にはフランス革命時の構造である、
- (保守側;アンシャン・レジーム)絶対王政 - 立憲君主制 - 貴族の求める社会像 - 商工業者の求める社会像 - 共和制(急進側)
という構造になるだろう。 保守的・進歩的という言葉を後述する右翼・左翼の派生語彙の意味で使っている例も多く見られる。東西冷戦期には資本主義=右翼、社会主義=左翼という認識で一般的に使われていた。
急進派は「すなわち封建的階級構造の打破という点でフェミニズムがこれに該当する」とされフェミニズムが左翼に分類されることもあり、フェミニズム団体と他の政治的左翼が連携している場合もある。実際には政治的左派系団体においても女性差別が指摘されることもある。
性悪説が右翼で、性善説が左翼という説もあるがこの説は整合性に欠ける。何故なら、性悪説は人の本性は悪いから変えなければならないという革新的な側面があり、一方の性善説も人の本性は善いから守らなければならないという保守的な側面がある。「人は変えられない」という思想の持ち主が右翼、「人は変えられる」という思想の持ち主が左翼であるという説もある。
あるいは「体制=右翼、反体制=左翼」という見方を取られることもあるがこれは正しくない。何故なら現在の中国にたいして独立紛争をおこしているチベットや東トルキスタン等の反体制勢力を左翼と呼ぶことはまず無いからである。余談だが日本で連想される右翼・左翼のイメージとは逆の現象が起こっている韓国や中国では、日本で言われる左翼のように「自由」や「人権」などを唱えている人々や団体は「右翼」と呼ばれる。
[編集] 宗教右翼・左翼
保守・革新の対立軸の派生として、宗教的な文脈においても右翼・左翼が用いられ、既成の教義を社会問題に適用する態度を宗教・教派における宗教右翼と呼び、信仰を公私に峻別するなどの実際的な傾向(俗人主義)を同様の意味で宗教左翼と呼ぶことがある。例えばキリスト教が支配的な地域では、公立学校における宗教教育に積極的なのが右派、否定的なのが左派と呼ばれることがある(インテリジェント・デザイン論争なども参照)。しかし、あくまで教派内での呼び分けであり、一般に誤って政治的な左右と結び付けられることも多いが無関係である。
[編集] 資本主義自由主義・共産主義社会主義
ジロンド派とジャコバン派の特徴は後々の世界的な東西分裂、すなわち資本主義・自由主義陣営vs共産主義・社会主義陣営の対立構造にそのまま再現されており、西側すなわち資本主義・自由主義は右翼、共産主義・社会主義は左翼に分類される。冷戦時代の対立は比較的長く激しかったため、冷戦の最前線である日本において、単に左翼と呼ぶ場合は社会主義者や共産主義者のことを指す場合が多い。
特にアメリカではこの区分が重視されており、左翼を大きな政府、右翼を小さな政府として分類していることが多い。さらに強調して、分配など管理機構を持つ集団主義を左翼、規制の無い個人主義を右翼とするという定義も主張されている。この軸は本来の定義(フランス革命時)に近い。
[編集] 民族主義・国際主義
右翼が民族主義・国際主義の軸で語られる場合、日本・ドイツ・イタリアなどでは単に右翼と呼ばれるときは偏狭な民族主義・人種主義の意味で用いられていることがある。これらは「一般的な政治的保守派の傾向から(王制を含めて)現状を維持し伝統や文化を守るという思想と、啓蒙思想期に発達した民族自決主義・国民国家思想が融合し、このような意味が派生した」という説、または「ナチスやファシスト党が共産党を迫害したため、共産党側がこれらを右翼と呼んだ」という説がある。
一方の左翼が民族主義・国際主義の軸で語られる場合、国際主義が左翼とされている。右翼と呼ばれる勢力から国家主権の喪失・伝統的文化の破壊・道徳の堕落・移民労働者の輸入の思想として批判されるグローバリズムも左翼と呼ばれていることがある。しかし、グローバリゼーションを認める左派は中道左派に限られており、現実には左翼は反グローバリゼーションを主導している。このため、厳密には区別される。
左翼勢力がナショナリズムを利用することがある(フランス革命の左翼にも)。近代ではマルクスが発明した被圧迫民族解放理論に基づく運動が多かった。日本においてもこれは例外ではなく、冷戦期の安保闘争において戦後の日本人の底辺に横たわる反米民族主義をすくみ取ったのは大半が親米に転向した右翼ではなく左翼であった。現代でもこの傾向は反グローバリゼーションを機にいっそう強まっており、ナショナリズム、特に文化に対抗軸を見出すようになってきている。
[編集] 極右・極左
極右と極左はそれぞれ右翼・左翼の極端であると定義する。しかし実際には前述したような対立すべてを含むわけではない。
極右は主に国粋主義・排外主義・個人主義が極端に走ったもので、極右とよばれる思想は具体的には「我が人種は古来から優秀だった」と唱え復古運動を展開し(国粋主義)、自人種以外の人種を劣等として混血者や移民を差別・攻撃する(排外主義)などの行動が起こる。その結果虐殺や戦争を起こす。また多くの場合極端な個人主義に由来し、社会規制などを嫌悪する自存自衛的性格を持ち、事務所への銃撃などでそれら運動への反対者をも攻撃・排除するテロリズムを起こす。日本では戦前に5・15事件や2・26事件など極右によるテロが頻発した。実は世界初のテロを起こしたのは極右である。
極左は一般的には共産主義の過激派を指す場合が多い。単なる教条主義が極左と呼ばれることもあるし、暴力が伴うことで初めて極左に分類される事例も存在する。日本では主に暴力革命を主張する左翼勢力に対して公安などにより「極左」と定義されるケースがほとんどである。極左は具体的には右左を問わず自分達の主義主張に反対する勢力を排除し、そのための手段として無差別殺戮や要人暗殺、粛清や私刑などテロリズムも厭わない。革命戦争を主張し、そのための軍拡も必要悪と考える。極左はその性質上、あらゆるものの革新を必要とするので個人の改造(洗脳)が起きる。また、しばしば内ゲバなどセクショナリズムに陥る。
反対者への攻撃については、今現在は極左・極右とも立脚点が違うだけで、その内容は大差ないと言ってよい。実際には左右は単なる呼称であり、人脈や取り引きなどで繋がっている場合も多い。
以上が右翼・左翼についての基本的な用例の列挙であるが、たとえば本来ジロンド的自由主義を指したリベラリズムが修正資本主義・漸進的改革派という左派の思想をさすのに使われる傾向にあったり、「急進的民族主義」「保守的共産主義」は稀に用いられるが一部に語弊を感じる者がいるなど、用例が多岐に渡るため明快に指示範囲を規定できない。ただし基本的な位置付けというものはあり、これは後述する。
[編集] 右翼と左翼の位置付け
右翼と左翼を位置づける際にまず問題となるのが、右翼左翼という言葉は基本的に「自称としてよりは他称として用いられ政治的対立者を批判するのに用いられている」という点である。右左共、自らの立場はむしろ個別の**主義といった言葉で説明されることが多い。例えば日本においては、右翼を自称するのはもっぱら暴力団(の政治団体)であるし、左翼とされる団体も市民とか平和とか人権を冠につけた団体を名乗っている。このことは右翼左翼は相対的位置づけであることを意味する。また別の問題としては、右翼左翼という言葉に含まれる対立軸は複数あるということがある。
例えば日本でならば、中国や北朝鮮を批判する勢力の中には国粋主義に近く反米的傾向を持つ勢力もあり、自由主義に近く親米的傾向を持ち、米国の核武装を当然視する勢力もある。中国を賛美する勢力も中国をスターリン主義として批判する勢力も、どちらも左翼と呼ばれることがある。従って、右翼と呼ばれる人物と左翼と呼ばれる人物が必ずしも対立している訳ではなく、協調していることもある。
以上のように、右翼と左翼を定義する絶対軸はないものの、基本的には、右から左に極右 - 保守(右翼、中道右派) - (中道) - 革新(中道左派、左翼) - 極左という漸変的モデルが比較的一般的であるといえる。ただし、右翼・左翼については資本主義・共産主義の軸と民族主義・国際主義の異なる軸があるため、左翼の反対が必ずしも右翼であるというわけではない点に注意したい。また右翼は保守派とされるが、共産党やそれに近い独裁政党の保守派を右翼とは呼ばれない。例えばスターリンは自らを「最左翼」と名乗っている。
右翼側については、資本主義・自由主義・保守主義の類と、民族主義・国粋思想・復古思想の類を区別し、前者を中道右派ないし右派、後者を(狭義の)右翼ないし極右、と呼ぶ向きもある。左翼側についても同様に、修正資本主義・修正社会主義や社会民主主義を中道左派ないし左派とし、共産主義や無政府主義を狭義の左翼ないし極左、と呼び習わす例もある。
また、そのような区分に基づき、極右・極左はともに教条主義であり(極右は特権的な専制に、極左は大衆的な独裁に陥りやすい)、議会制民主主義と個人の権利を重んじる中道勢力と対立する、という方法で区分し、極右と極左の媒介にファシズム(ナチズム)を置いて、中道 - 中道右派 - 極右 - ファシズム - 極左 - 中道左派 - 中道、という円環状の漸変構造を提示する主張もある。ファシズムを極右に分類することもあるが、ファシズムはソレルら極左の思想家だけでなく、一党独裁制・恐怖政治・ギロチンといった伝統的な左翼に影響を受け、ナチスに至ってはボルシェヴィキの組織や宣伝を範としている[1]。また、カンボジアのポル・ポトも共産主義と同時にナショナリズムを標榜するなど円環モデルも一般的になりつつある。
ただし円環状の漸変構造による説明をする際は右翼左翼という言葉に複数の直交する対立軸が混ぜられていることは注意すべきである。ナチスとグローバル資本主義は資本主義・社会主義軸では前者が左翼で後者が右翼、民族主義・世界市民思想軸では前者が右翼で後者が左翼に分類されると分けて考える必要もある。アメリカでは「大きな政府 - 小さな政府」「文化・宗教的保守 - 革新」の二次元で右翼と左翼を説明しようとする試みがよく支持されている (例:The World's Smallest Political Quiz)。
[編集] 右翼・左翼が本来持つ共通性
前述のとおり右翼と左翼の根幹が同じという説の存在、および右翼的要素と左翼的要素の混在する事例が増えてきたことにより、近年では右翼左翼という分類自体が無意味であるという論調も多く見られるようになった。ここでは近年のそのような例を列挙する。また、心理学においても右翼政治家と左翼政治家が非常に似通った性格を持っていることが明らかにされている。
[編集] 日本における右翼と左翼の混交事例
日本においては精力的に活動していた左翼が熱心な右翼に転向する、あるいはその逆の動きというのがかなり頻繁に起きている。代表的なものを上げれば、右翼の大物フィクサー児玉誉士夫は社会主義に傾倒した後右翼活動家となっている。一方、東大教授の安井郁は軍国主義に傾倒した後左翼活動家に転向している。他に、渡邉恒雄は学生時代に日本共産党に入党していたが、同党を脱党して読売新聞に入社し、その後は児玉と親密な関係を持っていたことが知られている。藤岡信勝・自由主義史観研究会代表も湾岸戦争まで共産党員であった。
また田中清玄が60年安保で全学連の委員長唐牛健太郎に資金提供をしたことはあまり関係はないが、戦後右翼の多数も実は反米であるため、ソ連崩壊後、右翼・左翼の指導者レベルでは、アメリカを共通の敵とした歩み寄りが起きている。
「反帝」の旧左翼と「反共」の旧右翼には、共通項は皆無だが、「反帝・反スタ」の新左翼と「反米・反共」の新右翼の間には、反米(反帝)・反共(反スタ)という共通項があり、そこから接近の回路も開かれてくる。右翼民族派の一部には、新左翼の一部と連携する傾向もあり、最近では、エスタブリッシュメント層出身者が多い「新左翼」の天皇制肯定やアジア主義の提唱、また反米右翼の親米右翼攻撃の動きがそれである。ただしこうした動きは、末端活動家レベルにまでは浸透していない模様で、反発も起きている。
[編集] ネオコンとトロツキズム
9・11テロ以降、アメリカ外交に強い影響を与えているネオコンは「ネオコンサバティズム」(新保守主義)の略であり彼らの支持者は一部で極右呼ばわりされた。
しかし、ネオコンの論客や人脈には共産主義者、特にトロツキストだった人物が多い。スターリン主義であるソ連との戦争を支持し、パレスチナ問題の際は多くのユダヤ人が離れ、1950年代以降は民主党から共和党タカ派へ鞍替えした。その基本的な主張の一つ「アメリカ的な民主主義の輸出」は、マイケル・リンドによればトロツキズムの世界革命論の焼き直しであり、文化自由会議や米国民主主義基金に継承されたとしている。ネオコンのカリスマ的存在であるノーマン・ポドレツは「ネオコンは元来左翼でリベラルな人々が保守に鞍替えしたからネオなのだ。」と断言している。つまり、左翼がネオコンに至ったことからして両者に通底する何らかの部分があったとしても不思議ではない。また、ネオコンはウィルソン主義を継承しているという見方もある。
[編集] 中国共産党と資本主義
中国では鄧小平による改革開放以降、マルクス主義とは矛盾しない[2] 形で先進国で観測された資本主義過程を再現している。近代化を目的に「成熟した資本主義」を準備する現在の中国は、半封建的だった毛沢東時代とは違って史的唯物論に忠実であり、その究極地点こそが共産主義だと認識されている。現に1987年に中国共産党は現在の状態を生産力が低い初期段階に規定している(この考えに通じるのは中国のマルクス主義者だけでなく、日本では大西広などがいる)
よくある疑問として「共産主義の保守派を左翼と呼ぶのか?」というものがある。しかし共産主義者はマルクス主義にのっとり自らを最も革新的であると位置づけ、自分に反抗する者は全て保守反動[3]であるとするので、右派と言っても相対的な意味ばかりで、自らが右翼を名乗ることは無い。また、西側諸国ではいかなる形の共産主義者も全て左翼と呼んできた経緯があり、共産党保守派を右翼とは呼ばなかった。結果として共産党保守派は右翼ではない。現在の香港で、いわやる左翼(民主建港協進聯盟など)が愛国主義を煽動したり(左翼ナショナリズム)、支持者に経済界があるのは、中国では体制として共産主義があるからである。つまり、自由主義が体制としてある日本で反体制である左派のイメージと大きく異なって然るべきである。結局は現行の右翼左翼という用語は保守革新で定義される右翼左翼と同義語として用いられているわけではない、というのが現状である。。
[編集] 関連項目
[編集] Des partis politiques d'autres pays
- Cuba, Parti communiste cubain, PCC
- Porto Rico, Parti indépendantiste portoricain (PIP)[4]
- Chine, Parti communiste chinois
- Viêt Nam, Parti communiste vietnamien