日本の右翼思想・左翼思想
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日本の右翼思想・左翼思想(にほんのうよくしそう・さよくしそう)は、日本の政治における右翼思想・左翼思想。
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日本の第二次世界大戦後の右翼・左翼
現在の日本国内で右翼・左翼という言葉が用いられる場合、日本固有の事情に立脚した戦後右翼・戦後左翼のことを指すことが多く、原義の右翼・左翼という言葉を知らずに日本の政治地図にあてはめて特有の意味を想定したたま用いられる例が多い。右翼・左翼は相対的に思想対立を表現すると前述したが、日本特有の意味においては、「アジア・太平洋戦争の善悪」・天皇制の肯定・否定」「日米安保条約の可否」が重要な対立軸でありつづけた。日本における左右両翼の対立軸をこのように説明する事情は以下のとおりである。
戦後右翼
戦後右翼は基本的には大東亜戦争と天皇制の肯定を基調とする思想およびそのような思想を持つ人物や団体のことを指し、「戦後民主主義」は押し付けられたものと認識されている。その一方で、右翼の中の「反共派」は、日本を討ち果たし占領した敵であるはずのアメリカや、日米同盟を賛美する傾向にあり、「民族派」は、反米と日本の民族的独立を主張する傾向にある。
現在の日本では、経済面での主義主張が右翼と呼ばれることは滅多にない。また極右のことを限定して右翼と呼んでいたり、日本国内での民族間対立も表立って起きなかった隠蔽されていたため、戦後右翼が狭義では主流になったことはないと言えるが、自民党の政権支配率や靖国問題など政治経済の枢要は政治的な一時の例外を除いて一貫して戦後右派的な保守派が握ってきたと言える。この道筋は、朝鮮戦争勃発に伴う逆コースにより、アメリカが、占領日本を当初の理想社会ではなく「反共の防波堤」化する必要に迫られ、公職追放処分者を復権、逆にレッドパージを実行したのが決定づけたと言えるだろう。経済政策の面について述べれば西側陣営に属しており、その意味でも常に右派が中心である。
伝統的な「左翼」の主張するところによれば「戦後右翼の主張する愛国心は政府への隷従を強いるもので、戦争に直結するものである」。その主張によれば、愛国心というのは「国家の利己的な利権確保・利益追及の結果であるアジア諸国への侵略を下支えした」のであり、「国家への忠誠、個人よりも国家を優先させる思想だったため個人の権利が侵害された」という。また、「国粋主義をとる立場は自国の優越を自明としていたため、そこからは特に中国人・朝鮮人への差別が引き起こされてきた」という。
また右翼団体と呼ばれている組織で有力なものは暴力団などの犯罪組織との密接な関連がしばしば指摘され、右翼団体というより暴力団の隠れ蓑であるという説もある。このほか街宣車で戦後右翼的主張を述べる任侠系右翼(行動派右翼)も戦後では代表的な右翼のひとつである。一部では政府与党の有力者と秘密裡に結託、警察当局が罪を不問に付す・狼藉を見て見ぬふりする事を条件に、政府が表立って行なう事を憚られる暴力などの不法な実力行使を代理しているとも言われる(『公安警察の手口』ちくま新書、週刊金曜日インタビュー『右翼を育てている公安の実態』ともに鈴木邦男)。
また、1990年代後半以降、特に北朝鮮による日本人拉致問題が明らかになって以降、日本全体が右傾化しているという主張がある。これについては後述する。
戦後左翼
戦後左翼は基本的にアジア・太平洋戦争の否定と反省を出発点としており、潜在的に天皇制の否定を秘めた思想およびその思想をもつ人物や団体のことを指す。戦後左翼は、より広範な「戦後民主主義」の賛同者と概ね重複している。戦後左翼は当初は日本共産党にリードされていたが、すぐにさまざまな潮流に分岐した。「人権」「平和主義」「主権在君の否定」がこれらすべてに共通して支持されている。これらの観念は戦後60年間においておおいに定着しているため、戦後民主主義信奉者を「左翼」と呼びえるかどうかは議論の余地がある。
日本国内の高度成長期以降の左翼活動は学生運動(特に新左翼と呼ばれる潮流)に由来する部分が最も目立っている。日本国内において左翼が最も伸張したのは、高度成長の恩恵をこうむる以前(1950年代 - 1960年の労働運動と、高度成長以降の学生運動によるものとの二段階に分けて考えることができる。しかし、現在の日本の「左翼」イメージは主に学生運動とその残滓に大きく規定されている。新左翼の特徴は旧左翼(日本共産党など)と異なり、日米の「帝国主義」はもとより、中ソその他の「スターリン主義」(堕落し、帝国主義の補完物となった自称社会主義国)に対して反対したことだが、1970年代後半以降になると世間的には学生運動の末期に登場した赤軍派など過激派或いはテロリストの時代のイメージが強くなった。現在でも彼らの活動が警察により摘発されることがある。
1970年代に学生運動が沈静化しただけでなく、1990年前後にソ連を中心とする社会主義国多数が相次いで崩壊し、残った国々もドイモイや改革・開放政策などを実施し一党による独裁や計画経済色を薄めていった(但し“開放”は経済面においてのみであり、政治面では変化はない)。これにより共産主義運動の衰退は決定的となり、それ以降の共産主義・社会主義的な運動は著しく退潮した。またバブル崩壊以降労働組合の力も弱まり、左翼の主要な活動であった労働運動も不調である。共産主義国が退潮する前から左翼の主張から共産主義に直結するものは見られなくなっていたが、日本では旧左翼を中心に比較的、心理的な結びつきがあったと見られる。現在は、政府批判、フェミニズム、反戦運動、ないし「アジア善隣外交」に関する発言のみが目立つ状態になっている。ただし、学生運動世代までの人々をはじめとして、基本的な捉え方が共産主義・社会主義思想に基づいている活動家は多いと見られる。そのため戦後左翼的思想が明白にそれと示されない形で浸透している場合もあると言われる。また日本赤軍などの過激派とのつながり(潜伏)が指摘される平和団体や人権団体があり、これらを隠れ蓑としてもっぱら戦後左翼的政治活動のみをしている例も多く見られると言う主張がある。
戦後左翼が主導する反戦運動は反体制色や反米運動色が強いとされ、中ソへの軍縮呼びかけやアフリカ難民への支援活動などは実績が少なくあっても余り目立たない状況であった。日本の左翼活動は戦前から終戦直後までは反王権的民族自決型共産主義だったが、冷戦時代に入りソ連が超大国となったことでこれら社会主義国家にも反対し(反スターリン主義)、資本主義諸国の代表であるアメリカと日本政府を敵とみなす方向(反帝国主義)へと変わっていった。これは戦後最大のデモ・大衆活動であった安保闘争やその当時多く用いられた「日帝」(日本帝国主義の略)「米帝」(アメリカ帝国主義の略)という言葉や、東アジア反日武装戦線といった組織名に良く現われている。
日本の左翼の顕著な特徴は、新左翼においては初期の頃から反スターリン主義の立場にあり。ソ連や中国などの既存の社会主義・共産主義に対しても徹底して批判的だったことであろう。
右翼と左翼の歩み寄り
田中清玄が60年安保で全学連に資金提供をしたことに典型的にみられるように、戦後右翼の多数も実は反米であるため、ソ連崩壊後、右翼・左翼の指導者レベルでは、アメリカを共通の敵とした歩み寄りが起きている。
「反帝」の旧左翼と「反共」の旧右翼には、共通項は皆無だが、「反帝・反スタ」の新左翼と「反米・反共」の新右翼の間には、反米(反帝)・反共(反スタ)という共通項があり、そこから接近の回路も開かれてくる。右翼民族派の一部には、新左翼の一部と連携する傾向もあり、最近では、エスタブリッシュメント層出身者が多い親「新左翼」的エリートの天皇制肯定やアジア主義の提唱、また反米右翼の親米保守派攻撃の動きがそれである。ただしこうした動きは、末端活動家レベルにまでは浸透していない模様で、反発も起きている。
最近の傾向
「右傾化」と称される評論
近年「日本は右傾化している」との評論があるが、これに対し旧来からの右翼団体の構成員が増えている形跡は乏しい。従って近年の「右傾化」による論調と、旧来からの右翼(団体としての右翼)の主張とは性質を異にする部分が多く存在する。
これらの傾向が生じた背景として、以下のような理由が説として挙げられている。
- ソ連などの社会主義国家の崩壊
- 1990年代前半に冷戦構造及びソビエト連邦が崩壊して共産主義が著しく衰退した後、政治に興味の薄い層が共産主義を標榜する戦後左翼的主張に不信感を持つようになったという見方は比較的多い。
- 独裁的共産主義国家への批判
- 戦後左翼の運動はいくつかの矛盾を抱えていた。戦後左翼は反米の旗印として「軍国主義」「思想統制」「人権弾圧」「階級差別」への反対を掲げていたが、中華人民共和国や北朝鮮、大韓民国などの国は抑圧的な一面を備えており、この点を嫌う結果とする向きも多い。この理由によって「右翼」から中国や韓国、北朝鮮に同調的と見なされる朝日新聞、北朝鮮による日本人拉致問題で北朝鮮擁護に回ったとされる筑紫哲也、主体思想国際研究所理事の武者小路公秀などに批判的な論調が高まったとされる。これらの国に批判的な一部の新左翼も同類と見る傾向も見られる。対中国・対北朝鮮強硬派の石原慎太郎、安倍晋三、中川昭一などが、日本国内の一部の市民や中国国務院外交部(日本の外務省相当)から「右翼」と呼ばれている。
- 福祉政策への批判
- また社会民主党などが打ち出す福祉政策についても、労働組合が労働貴族化しているとか、積極的差別是正措置が行き過ぎているという主張、差別をダシにした利権を生み出しているという主張が出てきている。この主張からは、左翼とされる人物はその甘い汁を吸っている利権団体にすぎず、さらには利権維持のために差別の解消を意図的に妨害していると認識される。これらの批判を行う人物としては、北朝鮮制裁を主張し人権擁護法案に反対している安倍晋三や西村幸祐などが含まれる。ただしこの件については、左翼であるが部落解放同盟と対立関係にある日本共産党、長野県知事田中康夫[1]、京都市長の桝本頼兼[2]なども同様の発言をしている。
- 中・韓の「反日」教育
- 共産主義イデオロギーによる国民の糾合が難しくなった江沢民政権・胡錦濤政権下の中華人民共和国が「愛国教育」にシフトチェンジしたこと、民主化によって金泳三政権・金大中政権・盧武鉉政権下の大韓民国で日本非難が以前よりも政府に容認されるようになったことが日本国民に「過激な反日教育が実在している」と映り、嫌中・嫌韓感情を抱かせ「右傾化を誘発した」という主張もある。日本同様“反共の防波堤”であった朴正煕~全斗煥政権への批判は、政府の対外宣伝とは裏腹に市民的自由を抑圧した軍事独裁であった(光州事件など)にも拘らず少ない。批判していたのは、実態を独自のネットワークによって知っていた左派である。
- 国旗・国旗・天皇制批判への反発
- 「世界の国々で一般的に行われている国旗(日章旗)掲揚と国歌(君が代)斉唱に反対」したり(左右両者の見解は国旗及び国歌に関する法律参照)、「天皇制に対する執拗な批判」を繰り返す左翼に対して右翼や日本人の大勢が反発している。
これらの主張を行う人物に対して現代の草の根的な右翼は「反日左翼」「自虐左翼」とのレッテルで把握している。戦後しばらく岸信介などタカ派の代表とされる人物の多くが親韓派と呼ばれ韓国と深いつながりを持っていたことが知られるが、「右翼」は近年の反日的な韓国に対しても批判的な見方をする。結果として『マンガ 嫌韓流』などが出版されるに至っている。この違いは韓国の政治・社会の体質を「反共」と看做す世代と「反日」と看做す世代との差とも考えられる。。
インターネット上では、電子掲示板、ブロゴスフィア(ブログの集合体)といったインターネットコミュニティではこれまで一般国民にあまり知られていなかった、教科書では知ることのできなかった歴史的事実や自虐的と言われる戦後教育についての情報が共有されるようになり、歴史の検証・愛国主義を基調とした議論が活発になった。
ネット右翼
このようなネット上での右派の隆盛に加え、中でも過激な場合、左派の電子掲示板やブログに殴り込み荒らしを行なうことも見受けられた。この傾向を形容してネット右翼という言葉が作られている。ネットと冠するものの、ネットから外へ、政治団体、市民団体、報道機関に対し組織的集中的に抗議電話、電子メールを送ったりして圧力を掛ける、オフラインでの抗議行為もネット右翼として見なされる場合も多い。
自然発生的に生まれた言葉であり使用する各人によりネット右翼の定義は様々である。いわゆるネット右翼に対する批判としては、以下のようなものがみられる。
- 自分たちが気に入る内容であれば検証もなしに事実として流布する傾向(福島瑞穂の朝まで生テレビにおける失言の噂、イラク日本人人質事件における「ヒミツの大計画」等)、批判的言説を陰謀論と見なすなどの傾向が顕著である。
- 自国が絡んだ過去の戦争や、自国の軍備増強について肯定的に受け止める。「日本は核を持とう」「気に入らない国だから武力行使し、体制を転覆してもいい」など。そうした言説こそが「愛国心」の発露だと認識している節が見られる。
- 極論が出る場合もあり、「中国朝鮮擁護=地球市民=世界平和」などと解釈する人も見られる。
- ネット、特に匿名環境に限定して表現活動している例が多く、各種運動体や法人格を持つ政治団体等への組織率は低い。匿名でなければ発言できない点を批判する意見もある。
- 匿名で発言者の実像が隠されているのがネット右翼の特徴とされるにもかかわらず、ネット右翼はニートや引きこもりの若者であるという批判がある。この批判もネット上が中心であるが、毎日新聞や香山リカなどがこの見解を公言した(いずれのケースも直接的統計的根拠は示されていないが、若年層で自民党支持率が高いこと[3]、ネット利用率が高いこと[4]ことは事実である)。このことから、愛国を謳いながらも所得税納税などの国家に対する貢献を行なっていないネット右翼も存在し、自分の主張と行動が一致していないことを批判されることも多い。上述のように、ネット右翼は身勝手で感情的で、残酷な言葉ばかりを並べてはいるが、自身の言動は無力だったりもするかもしれない。
また、煽り用語としてもネット右翼は使われる。この場合しばしば定義が非常に広くなりがちで、極端な例として
等が挙げられる。どちらもネット右翼であるため、批判か単なる煽りかが解りづらく、前述の泥沼化の一因となっている。
ネット左翼に対する批判
上記ネット右翼の傾向は新しい歴史教科書の採用阻止活動に見られるように、日教組の全国ネットワークを有する左派にも見られ、インターネットを利用した左派の工作活動もネット左翼とみなされる場合が多い。ただし「ネット左翼」よりも「ネット右翼」のワードの方が頻繁に見かけられ、「ネット左翼」と呼ばれる勢力のプレゼンスは比較的強くない。
インターネット発の政治運動は右派よりもむしろ少数勢力に甘んじている現状からの必要性から左派のほうがより組織的、精力的に行っており、各々のオンライン・コミュニティの中で政治的議論や運動の企画を行っているのだが、ネット内外問わず既成の革新的言論が衰退し、日本世論の正常化の影響で、相対的にネットにおいても保守の動向が目立っている。ただし保守的言説にも様々な色合いの違いがあり、日米同盟重視派と批判派では核武装論などで見解の相違が見られる。
これらインターネット上では、「ウヨ(ク)」「サヨ(ク)」が互いを罵倒する言葉として用いられてきたが、特に最近の傾向として、純粋に公平な福祉政策や環境問題への取り組みを重んじる勢力は別として、それらを隠れ蓑に「市民活動と称しているが、一部の市民・党派や、特定のプロパガンダ、外国勢力などのために活動を行っている者」という意味で「プロ市民」、 、自虐史観派・東京裁判史観派という意味で「ネット左翼(サヨク)」という蔑称をもちいて批判することが目立っている。
関連項目
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