大韓航空機撃墜事件
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大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、1983年9月1日に大韓航空の旅客機が、ソビエト連邦の領空を侵犯したためにソ連の戦闘機により撃墜された事件。
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[編集] 概要
撃墜されたのは、大韓航空のボーイング747-230型機(HL7442)で、ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港)からアンカレッジを経由し、ソウルに向かうKAL007便。ソ連の領空を侵犯したあと、領空から出て30秒後に、樺太の近海でソ連防空軍の スホーイ Su-15TM迎撃戦闘機からミサイル攻撃を受け墜落した。乗員・乗客合わせて269人が死亡。死者の中にはアメリカのラリー・マクドナルド(Larry McDonald)下院議員も含まれていた。
なお、この事件には、ソウル経由で日本へ帰国する途上であった日本人乗客も28人搭乗していたことや、日本の自衛隊が事件の様子をレーダーなどで観測・傍受しており、その傍受内容が国連安全保障理事会で公開されたなど、日本も深く関わっている。なお、日本の反ソ連感情が高まる原因となった事件でもある。
[編集] ソ連による情報操作
当初ソ連当局は撃墜の事実を否定していた。上記のように、日本の自衛隊が稚内で傍受していたソ連軍機の生々しい交信の一部を国連安全保障理事会で公開したことにより、初めて公式に撃墜の事実を認めた。
007便は樺太沖に墜落し、日本の船が墜落現場に駆けつけたとき既にソ連船がコックピットボイスレコーダー、フライトデータレコーダーなど遺品を回収していた。しかしながら、ソ連当局は『スパイ飛行説の反証となりうる可能性がある』との理由から、その後回収したことを長期間秘匿した。これはソ連崩壊後、ロシアによって公開されることになる。それまでにソ連は分析を済ませ、スパイ行為説を否定する見解を1983年11月28日に極秘報告書として出していた。つまり、ソ連は国家の面子のために真相を封印したのである。
[編集] 航路逸脱の原因の解明
『なぜ007便は航路を逸脱したのか』、『なぜソ連は民間機を撃墜したか』、という大きな謎が長らく解明されずにいたが、ソ連が崩壊するとともにロシア政府が、事故発生後にソ連海軍が回収したものの、その後回収したことを長いこと隠しておいた007便のブラックボックスをICAOに提出した。ICAOはこれを高い解析技術を持つ第3国であるフランスの航空当局に提出、解析を行い、その結果をもとに調査の最終報告を提出した。
[編集] 最終報告
その内容は『航路逸脱の原因は、乱気流もしくは積乱雲回避のため一時的にヘディングモード(方位角モード。方位のみを指定する自動操縦)へ切り替えたままINSモード(外部情報に頼らず論理的な通過点を自機の受ける加速度等から推測してたどって行く航法)に戻し忘れたか、もしくはINSモードに切り替えたが、所定の航路から7.5マイル離れていたために作動しなかった』というものである。どちらが正しいかについては『死人に口なし』で、もはや分からないために両論併記という形となった。
この最終報告は撃墜事件が発生してから10年余りも経って報告されたため、マスコミの興味も薄く、一般にはあまり知られておらず、その為に専門知識に欠ける多くのマスコミやジャーナリストの間においてさえ、いまだに『原因は未解明である』とされてしまうことも多い。その為か、事件当時ソ連の発表したスパイ飛行説(後述)が、その後も『陰謀マニア』のみならず、ジャーナリストの間にすらおいても長く根強い支持を得ていると言う奇妙かつ異常な状況になっている。また、下記のように、最終報告書も原本のみ渡されるなど、遺族にさえも十分に事故原因が理解されていないという現実もある。
[編集] 事件の経過
※時刻は東京/ソウル時間。
- 13:05 - KAL007便が、ジョン・F・ケネディ国際空港を出発。
- 20:30 - アンカレッジ国際空港に到着。
- 21:20 - アンカレッジ国際空港出発予定。しかし、追い風のためソウル(金浦国際空港)開港 (6:00) 前に到着することがわかり、出発を見合わせ。
- 21:50 - 予定より30分遅れてアンカレッジ国際空港を出発。
- 22:00 - 離陸。
- 22:02 - ウェイ・ポイント「ベセル」へ向かうため方位角245度へ機首を向ける。以降、機首は245度のまま(※方位角90・180・270・360 (=0) 度は順に東・南・西・北)。
- 22:27 - カイルン山電波局付近を通過し、レーダー圏外へ。(このとき、すでに予定航路 (J501) を北へ11km逸脱していたことがのちに判明。管制官からの警告はなかった)。
- 22:49 - アンカレッジの管制官に「ベセル」通過を報告。実際のベセルより22km北の位置であった。アメリカ空軍レーダーサイト「キングサーモン」の圏内であったが、これは管制権を持っていなかったため特に警告はしなかった。通常はこの後、最も北よりの北太平洋航空路であるR20(ロメオ20)に向かう予定だった。
- 00:51 - ソ連の防空レーダーが、カムチャツカ半島北東を飛行する航跡を確認。アメリカ軍機と判断。
- 01:30 - 007便、ソ連を領空侵犯。ソ連軍機は迎撃を試みるも接触できずに帰投。
- 02:28 - 007便、カムチャツカ半島を通過。ソ連のレーダーから消える。
- 02:36 - 007便、樺太に接近しソ連軍は警戒態勢に入る。
- 02:54 - この時点より007便のボイスレコーダーの録音が残る。操縦士らは雑談に興じていた。
- 03:05 - 007便、後続便(同航路を2分遅れで飛行するKAL015便)と通信し、お互いの風向風速がまったく異なっていることに気付く。しかし、操縦士らはフライトプランを見て誤差の範囲内だと判断し、コース逸脱には気付かなかった。
- 03:08 - ソ連軍機(スホーイ Su-15TM迎撃戦闘機)が007便を視認。暗いため機種の判別はできていない。航法灯と衝突防止灯が点灯していることを報告。
- 03:20 - 東京の管制官、007便に高度変更を許可(燃料節約のための高度上昇)。
- 03:21 - ソ連軍機(MiG-23P迎撃戦闘機)、警告射撃。しかし、曳光弾は搭載されておらず、徹甲弾(光跡を伴わず、弾丸の航跡が見えない)のみ発射。007便も気付かず。
- 03:23 - 007便、高度上昇し3万5000フィートに到達。これに伴う速度低下で、ソ連軍機は007便の真横まで追いついてしまう。
- 03:23 - 攻撃命令発令。
- 03:25 - ゲンナジー・オシーポピッチの操縦するSu-15TMがミサイルを発射。通常の手順に従い、赤外線誘導式とレーダー誘導式の計2発。30秒後(03:26:02)、007便の尾翼に赤外線誘導式が命中。結果、方向舵制御ケーブル周辺、油圧系統等を損傷(ICAOの最終報告書による推測)し、約1.75平方フィートの穴が開いて急減圧が発生。機体は一時上昇した後、降下し始め、操縦不能に陥る。
- 03:26 - 007便、東京の管制官に急減圧の発生と高度1万フィートへ降下する旨交信をしたものの、雑音により途中で交信が途絶する。これ以降、セルコールによる呼び出しを含めてコールするが応答せず。
- 03:27 - ブラックボックスの記録途絶える(着弾の衝撃のため)。その後も007便は左へ旋回しながら降下し続ける。
- 03:38 - ソ連及び稚内レーダーから007便の機影消える。この頃、日本のイカ釣り漁船「第五十八千鳥丸」が海馬島の北18・5海里沖で飛行機の爆音と海上での爆発を目撃した。
[編集] 事件の発覚
航路を外れた007便は自衛隊の稚内レーダー部隊により観測されていた。しかし、この時点で洋上飛行中(のはずであった)007便はATCトランスポンダから識別信号を発しておらず、自衛隊はソ連国内を飛行する所属不明の大型機として、その周りに飛行するソビエト軍戦闘機を、迎撃訓練を行う戦闘機として扱った。
これとは別に、陸上幕僚監部調査第2部別室(通称「調別」、電波傍受を主任務とする部隊)は、ソ連の戦闘機が地上と交信している音声を傍受。「ミサイル発射」のメッセージを確認したが、この時点ではソ連領土内での領空侵犯機に対する通常の迎撃訓練が行われていると考えており、実際に民間機が攻撃されていたという事実は把握していなかった。この録音テープは、のちにアメリカがソ連に対し撃墜の事実を追及するために使用するが、公式には日本政府からアメリカへの引き渡しは行われておらず、どのような経緯で渡ったのかは不明である。
- 撃墜直後、稚内のレーダー部隊は所属不明機の機影が突然消えたことを捉えた。しかし、行方不明機がいないか日本や韓国(大邱)、アメリカ(エルメンドルフ)、ソ連(ウラジオストク)の各航空当局に照会したところ、前記の3国からは該当機がないとの返答を受け、ソ連からは返答そのものがなかった。
- 撃墜30秒後、それまで007便を通信管制していた東京の管制に雑音が混じった007便からの呼び出しが入ったが、そのまま連絡が途切れた(急減圧により緊急降下する旨の交信の内容は、その後音声分析により判明)。付近の飛行機からも007便へは無線が通じず、30分後から遭難の可能性ありとして当局に捜索を要請した。
- 9月1日の朝の時点で、日本政府が大韓航空機が行方不明になったことを公式発表し、各国の通信社が東京発の情報として大韓航空機の行方不明を報じたが、「樺太に強制着陸」などの誤報も飛び交った。この様な報道に対し、ソ連は「該当する航空機は国内にいない」、「領空侵犯機は日本海へ飛び去った」と事件への関与を否定した。
- アメリカは、この日の内にソ連が007便を撃墜したと発表。傍受テープも、雑音除去・ロシア語のテロップを付けた上で一部放送した(日本の軍事情報であるこのテープを公開することについて、中曽根康弘首相や後藤田正晴官房長官をはじめとする日本政府首脳は全く相談を受けていなかった)。
- 9月2日:ソ連のニコライ・オガルコフ参謀総長が「領空侵犯機は航法灯を点灯していなかった」、「正式な手順の警告に応答しなかった」、「日本海方面へ飛び去った」と発表した(後に、航法灯は点灯しており十分な警告は行われていなかったことをパイロット自身が証言する)。これに対してアメリカのロナルド・レーガン大統領はソ連政府を『うそつき』と非難した他、多くの西側諸国の政府がソ連の対応を非難する。
- 9月6日:国連安全保障理事会で傍受テープが公開された。この後、ソ連のアンドレイ・グロムイコ外務大臣は撃墜を認める声明を正式に発表した。
- 9月9日:ソ連のオガルコフ参謀総長が「大韓航空機は民間機を装ったスパイであった」との声明を発表。
- 9月13日:緊急安保理事会でソ連への非難決議が上程されるが、常任理事国のソ連の拒否権の行使により否決。
[編集] 機体の捜索
[編集] ソ連による捜索妨害
事件の調査のため日米ソが樺太の西、海馬島周囲の海域を捜索したが、ソ連は領海内への立ち入りは認めず、公海上での捜索に対しても日米の艦艇に対して進路妨害などを行った。その後、機体の一部や遺品など一部の回収物件は日本側へ引き渡されたが「遺体は見つからなかった」、「ブラック・ボックスは回収していない」と主張していた。
しかし、事件直後から機体の破片や遺体の一部が次々日本の沿岸に流れ着いていたため、この様なソ連の発表内容は当時から疑問視されており、実際、ソ連崩壊後に行われたイズベスチヤ紙の取材で、複数の遺体とその一部、数々の遺品が回収されていたことが明らかにされているが、その全てが証拠隠滅のために焼却処分にされていた。
[編集] ブラックボックスの回収
また、ソ連崩壊前に日本テレビの『追跡』の取材で、樺太の地元住民が『極秘』と書かれたブラックボックスの回収指示書を政府から渡され、実際にその指示書と同じものを海中から引き揚げたこと、住民が密に持ち帰った部品がブラックボックスのものであること、が判明していた。この番組では、政府の許可を取って潜水艇により事故現場が撮影されており、遺骨の一部が撮影されていた。
[編集] 遺品とブラックボックスの引渡し
また、ブラック・ボックスも実際には回収されており、モスクワに対して「スパイ飛行説の反証となりうる可能性がある」との報告がなされていたため、ブラック・ボックス回収の事実は、その後ソ連が崩壊し冷戦が終結する後まで完全に封印されていた。その後、ロシア政府はブラック・ボックスを原因調査のために第3国(フランス)へ引渡した他、残された遺品の遺族たちへの引渡しを行った。
なお、ICAOの最終報告書は、日本の遺族には原本のコピーのみが手渡され、日本政府は『ICAOによる調査の中立性、一貫性を失う恐れがある』(1994年11月14日の村山富市総理大臣(当時)による答弁書)ことを理由に日本語への翻訳を拒否している。ボイスレコーダーの音声は、ジャーナリストとしては小山巌が初めてIACO本部へ出向いて聞き、著書『ボイスレコーダー撃墜の証言』に収録した。ブラックボックスの記録は捜査資料のため、基本的にマスメディアに公開されることは無いが、この事件の音声の一部が流出し、日本テレビの番組で放送されたことがある。
[編集] 各国の対応
- 韓国や日本、アメリカの犠牲者を出した西側諸国では政府による正式な抗議のみならず、ソ連製品の不買運動など多くの市民によるソ連に対しての抗議運動が起こった。
- アメリカはソ連の国営航空会社であるアエロフロート航空機のアメリカ乗り入れを無期限停止し、同じくパンアメリカン航空機のソ連乗り入れも停止した。
- 大韓航空は、遺族からの賠償請求には事件の原因の不可知論を理由に拒否したため、多くの遺族は和解に応じざるを得なかった。
[編集] 領空侵犯原因『諸説』
ソ連政府によるブラックボックスの隠匿などの情報操作により、事件についての多くの疑問点が、ソ連が崩壊し冷戦が終結した1990年代まで解明されないままであった。このため、ソ連崩壊後にロシアによってブラックボックスの内容が公開され、『故意に領空侵犯をした』と言う説が完全に否定された後に行われたICAOによる調査で、航路逸脱の原因は、
- 慣性航法装置の入力ミス
- 慣性航法装置の起動ミス
- 慣性航法装置は飛行前にジャイロを安定させる動作(アライメント)が必要である。この動作から実際のナビゲーションを始めるまでにスイッチの切り替えをするが、切り替え前に機体を動かしてしまったのではないかとする説。
- 慣性航法装置の切り替えミス
- 航路に乗るまで方位角モード(HDG)で飛行し、航路に乗ってからは誘導モード(NAV)にするはずが、乱気流もしくは積乱雲回避のためにヘディングモード(方位角モード・方位のみを指定する自動操縦)のままINSモード(地理的に主要な場所に設置されている電波標識に向かって飛行する自動操縦)に切り替えが行われなかった、もしくは機械が切り替わらなかったとする説。実際に、切り替え忘れのため日本航空機が航路を逸脱しソ連軍のスクランブルを招いた事例がある。
- なお、007便のボイスレコーダーには機長と副操縦士があくびを繰り返すのが記録されていることから、設定ミスもしくは切り替えミスに気づかなかった原因として疲労によるヒューマンエラーを指摘する声もある。実際、操縦士ら3人は、事故前にソウル→アンカレッジ→ニューヨーク→トロント→アンカレッジという勤務スケジュールであり、休養も取っていたが、小宮巌は著書で、『時差に疲れて休養を取るというのは、単に眠ればよいという単純な時間のつじつま合わせでは解決しない』と述べており、乗員らは時差ぼけが抜けきらなかった結果、注意力が散漫になったと主張している。
- 原因が上記の何れかによるものであるという内容の最終報告が行われた後になっても、007便が航路を逸脱し領空侵犯を行うに至った理由について、いわゆる『陰謀マニア』と言われるような人々(その多くは航空機及び航法装置について何の専門知識を持たない)によって様々な説が囁かれ続けている。
なお、ロシアによるブラックボックスの内容公開を受けて、ICAOが調査した最終報告『航法装置の設定ミスまたは故障説』が出る以前に、領空侵犯の原因としてよく言われた説には下記のようなものがある。
- 『アメリカ軍部の指示説』
- 『燃料節約説』
[編集] アメリカ軍部の指示説
[編集] 説の趣旨
アメリカ軍部が同盟国である韓国に対し、ソ連極東に配備された戦闘機のスクランブル状況を知るため、もしくは、近隣で偵察飛行を行なうアメリカ空軍機に対するソ連軍機の哨戒活動をかく乱するために、民間機による故意の領空侵犯を指示し、事故機がこれに従ったとする説である。
撃墜事件直後のソ連政府が『非武装の民間機を撃墜した』ということによるイメージダウンを覆い隠すために、007便のブラックボックスを回収したという事実を隠してまでこの説を強硬に主張したほか、当時、アメリカ国内でもマスコミを中心に当局の陰謀の存在が議論されたが、現在では当事国のロシア政府によってさえも否定されている。
にも拘らず、ICAOによる最終報告やロシア政府による最終報告書への事実の裏づけが行われた現在になっても、その事実を知らない一部の陰謀マニアによって、あたかも真実かのように主張されることがある。
[編集] 説の根拠
- 機長が元韓国空軍の軍人であり、この計画に従うことに躊躇しないと言う説(アエロフロートやルフトハンザ航空、1970年代の日本航空などがでそうであるのと同様、大韓航空のパイロットには元空軍軍人が多い)。
- 実際に撃墜の日に現場近くをアメリカ空軍の偵察機であるボーイングRC-135が偵察飛行していた。
[編集] 説の欠点
- 単にスクランブルの様子を観測、もしくは哨戒活動を錯乱するだけのために果たしてアメリカ軍は民間人数百人の命をかけてまで領空侵犯を指示する意義があったのか?(なお、当時の航空地図には、赤字で「ソビエト領内に侵入した場合、無警告で撃墜される恐れがある」と注意書きがされていた)。公になった際にはアメリカは人道面で国際的な非難を浴び信頼を失うのは確実であったはずで、そのようなリスクに見合ったメリットがあるとは考えにくい。
- また、大韓航空はこの5年前の1978年にもコラ半島のムルマンスク上空でソ連領空を侵犯しソ連空軍機の迎撃をうけており、機体損傷に伴いソ連領内へ不時着、乗客2人が死亡し乗員乗客が長期にわたって拘束を受けるという事件を起こしており、いくら元軍人といえども、撃墜される可能性が高い飛行経路を、数百人の民間人を乗せたままの民間機で飛行することに全く躊躇しないというのは説明がつきにくい。
- 仮にスパイ飛行だとしても、007便はそれを隠蔽するための偽装を行った形跡がまったく残っていない。例として、ウェイ・ポイント(航路上の通過地点)の通過時刻が予定と毎回ずれているがそれをずれたまま報告している(ふつう通過時刻がそれほどずれることはない)、同一航路の他の便より低い気温を報告している(=北方へ逸脱している)など。また、蛇行した航路については、誤差を持ったレーダー記録の各点を線でつないだ結果の見かけのものだとする意見もある。
- 事件後に心理学者が交信記録の音声を分析したところ、機長も副操縦士も平常の精神状態であったと分析されており、戦闘機による追尾や警告射撃を受けていたことに気づいていたという点は見受けられなかった。
- 他機や地上からの無線による呼びかけに対して、電波状況などの理由により応答しないことは日常茶飯事であり、また、後続機がコースの逸脱に気づいていたという証拠も無く、後続機よりもコースの離脱に気づいている可能性の高い地上からの呼びかけには撃墜直前まで応答しているため、後続機からの呼びかけを意識的に無視していたとは考えにくい。
[編集] 燃料節約説
[編集] 説の趣旨
この説は、機長が燃料節約のために意図的に航路を北にずらし、スクランブルを受ける危険を承知でソ連領空を侵犯したとするものである。
[編集] 説の根拠
当時の大韓航空機は航空運賃が安く(現在においても同様である)、燃料を節約することは機長の使命であったといわれていることが、説の根拠となっている。
[編集] 説の欠点
- 上記のように、当時の状況におけるソビエト連邦領空への侵入は危険であることを当然機長もわかっていたはずであり、そこまでの危険を冒してまで領空周辺を飛ぶ必要があったのかという疑問点が残る。
- また、大韓航空はこの5年前の1978年にもコラ半島のムルマンスク上空で航法上のミスにより(カードゲームをしていたために航路を逸れたと言う証言もある)ソ連領空を侵犯しソ連空軍機の迎撃をうけており、機体損傷に伴いソ連領内へ不時着、乗客2人が死亡し乗員乗客が長期にわたって拘束を受けるるという事件を起こしている (大韓航空902便 (ボーイング707)。仮に撃墜に至らずソ連領内に強制着陸させられたとしても、それが同社に与える損害は計り知れないものだということは分っていたはずである。
[編集] ソ連空軍機による007便に対しての認識の疑問点
この事件の最大の疑問点は、民間機と認識した上で撃墜したのかということであるが、ソ連崩壊後に行われた、撃墜した戦闘機のパイロットや地上の指揮官に対するその後のインタビューの中で、『007便が航行灯を点灯していた』ことと、『パイロットも地上も007便を民間機だと認識していなかった』ことが明らかになった。
これを裏付けるように、1976年に函館空港でのベレンコ中尉亡命事件でアメリカに亡命し、空軍顧問となっていたビクトル・イワノビチ・ベレンコ元ソ連空軍中尉は、事件当時、アメリカ国防総省の依頼で交信を解読し「領空を侵犯すれば、民間機であろうと撃墜するのがソ連のやり方だ。ソ連の迎撃機は、最初から目標を撃墜するつもりで発進している。地上の防空指令センターは、目標が民間機かどうか分からないまま、侵入機を迎撃できなかった責任を問われるのを恐れ、パイロットにミサイルの発射を指示した」と、1997年8月の北海道新聞のインタビューで証言している。
また、アメリカ軍が撃墜後のソビエト軍の地上基地同士の交信を傍受した中で、撃墜2時間後に「どうやら我々は民間機を撃墜してしまったらしい」という報告もなされていた。
[編集] その他
- このHL7442号機は1972年にコンドル航空(ルフトハンザ・ドイツ航空の子会社でチャーター便を運行している)のD-ABYH号機として製造、1979年に大韓航空に売却された機体である。
- この事件を主題とした番組では、テーマソングにサラ・ブライトマンの「A QUESTION OF HONOUR」が使われる。
- ロック・ギタリストのゲイリー・ムーアが1984年にリリースしたアルバム「VICTIMS OF THE FUTURE」収録の「Murder In The Skies」という楽曲で大韓航空機撃墜事件ついて取り上げており、「罪のない269人が殺害された」と歌っている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『目標は撃墜された』 - セイモア・ハーシュ著、篠田豊訳、1986年、ISBN 4-16-341150-X
- いわゆる「ハーシュ・レポート」。事件後の各国の対応を情報機関の内情にも突っ込んで取材し、コース逸脱原因についても考察。
- 『大韓航空機撃墜の真実』 - アンドレイ・イレーシュ著、川合渙一訳、1992年、ISBN 4-16-346960-5
- いわゆる「イズベチヤ・レポート」。ソ連のグラスノスチに伴い、イズベチヤ紙が民間機を撃墜した理由を中心に証言を集め特集した。
- 『撃墜』上・中・下 - 柳田邦男、1991年(初版は1984年)、ISBN 4-06-184976-X
- 事件後の各国の駆け引きのほか、逸脱原因についての実験と考察も。
- 『ボイスレコーダー撃墜の証言』 - 小山巖、1998年、ISBN 4-06-209397-9
- ロシアがICAOに提出したブラック・ボックスをもとに解明された撃墜の様子・逸脱の原因・遺族のその後。