尾藤イサオ
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尾藤 イサオ(びとう いさお、1943年11月22日 - )は東京都出身の歌手。本名は尾藤 功男(びとう いさお)。現在はアトリエ・ダンカン所属。父は落語家で寄席で活躍した3代目松柳亭鶴枝。
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[編集] 経歴
1953年に、曲芸師鏡小鉄の内弟子となり、幼少時代は太神楽の曲芸師として活躍。1961年に18歳で歌手デビュー。1962年にはアニマルズのカバー「悲しき願い」(原題 Don't Let Me Be Misunderstood)がヒット。1963年には、第20回記念「日劇ウエスタンカーニバル・プレスリー賞」を受賞。マック・ザ・ナイフのカバーもヒット。一時期はブルーコメッツのメンバーでもあった。
1966年、ビートルズ日本公演の前座として内田裕也、ブルージーンズ、ジャッキー吉川とブルーコメッツと出演。合同演奏などを行う。ビートルズ来日前に渡辺プロダクションよりの移籍に絡む問題でブールジーンズのリーダーを脱退した寺内タケシを含めたメンバーで1964年東芝音楽工業より発売されたアルバム「サーフィン&ホッドロッド」と1965年発売の「レッツゴーモンキー」はグループサウンズ時代の前の傑作日本のロックとして記念すべき名盤。現在CDで入手可能。
エネルギッシュで熱いシャウトのヴォーカルは彼の特徴でもあり、ボクシングアニメ「あしたのジョー」の主題歌を歌ったことが話題となる。後年、テレビ朝日の『いきなり!黄金伝説。』の「カラオケで100点取るまで歌い続ける男」に出演。伝説に挑戦中のココリコの遠藤章造に助っ人として登場し、「あしたのジョー」を歌うも100点を出すことは出来なかった。
[編集] エピソード
[編集] 舞台
- ファニーガール(1980年)
- スライス・オブ・サタデー・ナイト(1992年)
- 香港ラプソディー(1993年アートスフィア柿落とし公演)
- マイ・フェア・レディ(2002年)
他多数。
[編集] 映画
- 1973年「股旅」
- 1976年「やくざ戦争 日本の首領」
- 1981年「の・ようなもの」
- 1989年「男はつらいよ ぼくの伯父さん」
- 1993年「帰って来た木枯し紋次郎」「米百俵~小林虎三郎の天命~」
- 1994年「四十七人の刺客」「居酒屋ゆうれい」
- 1997年「シャ乱Qの演歌の花道」「緑の街」
- 1999年「のど自慢」「ビッグショー!ハワイに唄えば」
- 2000年「どら平太」
- 2001年「かあちゃん」
- 2002年「クロエ」
[編集] ドラマ
- 水戸黄門 第9部(1978年 TBS・C.A.L.)第21話「偽者にされた黄門様・奈良井」 小六役
- 「すずらん」(NHK連続テレビ小説1999年136回よりレギュラー出演)
- 「花の乱」レギュラー出演(NHK大河ドラマ 1994年)
- 「私は貝になりたい」(TBS新放送センター落成記念特別企画 1994年)
- 「特捜刑事マイアミヴァイス」(吹き替え。リカルド・タブス役1984年~1989年)
他多数。
[編集] 楽曲
- マック・ザ・ナイフ
- 審判のテーマ
- 悲しき願い
- 涙のギター
- あしたのジョー主題歌
- 彼女はムービング・オン/シー・ユー・アゲイン雰囲気(日本ヘラルド映画「の・ようなもの」主題歌)
- 悲しき願い'60s to '90s
- サラマンドラ(NHKみんなのうた)・・・1984年にはステレオ音声で再録音した。
- 赤鬼と青鬼のタンゴ(NHKみんなのうた)・・・1984年にはステレオ音声で再録音した。
- フラミンゴのワルツ(NHKみんなのうた)
- 熱き鼓動(私立ジャスティス学園PS版主題歌)
- 心21(徳島県健祥会テーマソング、作詞作曲水野有平)