放送室 (ラジオ番組)
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放送室(ほうそうしつ)は、TOKYO FMをキーステーションにJFN36局ネットで放送中のラジオ番組。「松本人志の放送室」とも呼ばれる。放送開始当初はJFNCが制作していたが2005年7月にTOKYO FMに移行された。
目次 |
[編集] 概要
「肩の力を抜いて話すことができる場所が欲しかった。」というダウンタウンの松本人志が、放送作家でありまた小学生時代からの親友である高須光聖と1時間に渡り様々な内容のトークを繰り広げる番組。また番組名は二人が中学生時代「放送部」に所属していたことから高須が命名したものである。
松本の話し相手がタレントではない高須であるのは、松本曰く「話し相手が芸人、タレント、アナウンサー、DJといった人ではない番組を一つやっておきたかった。」、「高須とはもともと友人同士だがお互い忙しくなり話す機会も減ってしまった。それならばいっそのこと仕事にしてしまえばいい。」という理由からである。
番組当初のコンセプトは「誰にも(聴いていることを)言うな。」であったが、現在はそのコンセプトについて言及することは無い。内容は大抵の場合はお互いが近況報告をしあい、そこから色々な内容へと発展していく。話題となることは多岐に渡り、芸能界やダウンタウンの番組の裏話、二人の少年時代の話などが比較的多い。一般には知られていない番組スタッフや二人の少年時代の同級生の名前などが平然と飛び交うのでリスナーでは全く付いていけない話題も少なくない。
番組の途中で1曲だけ音楽がかかるが、これは松本と高須が毎回交互に選曲しており70年代~80年代の歌謡曲が多い。一時間で(オープニングとエンディングを除き)1曲しか音楽が流れないというのはFMラジオとしては非常に珍しく、また前述の番組内容と相まってこの番組はラジオ番組の中でも独特の雰囲気を醸し出している。
また基本的には2本撮りであるが、間の休憩はほとんどないらしく松本が疲労を口にすることもある。3本撮りの場合、「横蹴り3本シュート」等と称し、疲れている様を隠そうとしない。しかし、乗ってくれば肉体的な疲れは感じさせない盛り上がりを見せる。
[編集] 歴史
- 2001年10月4日 : 木曜日の深夜1時30分からJFNが当初37局フルネット(当時)で放送を開始。
- 2003年3月27日 : fm osakaがネット打ち切り(ちなみに、同年4月にKiss-FM KOBEがJFNに加盟したため、それ以降はKiss-FM KOBEで放送されている。)AIR-G'が一旦ネット打ち切り。
- 2004年9月頃 : fm fukuokaが一旦ネット打ち切り。
- 2005年4月1日 : 番組開始当初の時間が、「やまだひさしのラジアンリミテッドDX」の枠となったため、全国で放送時間が変更し、それぞれの地域でバラバラの放送時間に。TOKYO FMでの放送時間が、土曜日の26:00~27:00に移動。AIR-G'、fm fukuokaがネット再開。
- 2005年7月1日 : TOKYO FMへ制作を移行。それにより、ホームページもTOKYO FMのサイト内へ移動した。が、AFBとRADIO BERRYが一旦ネット打ち切り。
- 2005年8月頃 : RADIO BERRYがネット再開。
- 2005年9月30日 : FMYとμFMがネット打ち切り。(10月7日にJOY FM制作の「ウラニーノ・へボロックアワー」ネットを開始する為。しかし、事前予告を用意しないままネットを打ち切られた為、ウラニーノのHPのBBSに批判の書き込みが相次ぐ。)
- 2005年10月1日 : AFBがネット再開。
- 2006年3月25日 : AIR-G'で再び打ち切り。
- 2006年4月:ウラニーノの番組の放送時間変更に伴いFMYでネット復活。
- 2007年1月5日: ウラニーノの番組の打ち切りに伴い、1年3ヶ月振りにμFMでネット再開。
[編集] 企画
- テーマ :第50回目の放送までは毎週50音順にテーマが用意されていた。(例:「あ」の週なら「相方」「愛」について語る、など)その後はハガキ、メールでテーマが募集されるようになったが、ハガキを全く読まないで進行する回も多い。
- ノベルティー :2002年4月11日放送の回でこの番組のノベルティー(「ひとしずく」という松本人志の自宅の水道から汲んだ水)を作ろうという提案がされたが、衛生的な理由により不可能になり、番組特製の耳栓が作られ、ハガキの投稿者にプレゼントされている。
- 12人の公開録音 :2002年6月20日、27日放送 松本人志がこの番組のリスナーの数を「12人」と発言したことから企画され、斉藤敏豪や一般人を含む12人の前で公開録音が行われた。27日の放送では斉藤がトークに参加した。
- ゲスト出演 : 2003年1月16日放送の回では木村祐一、千原ジュニアが出演。2003年1月30日放送の回では松本、高須双方の母親が電話でゲスト出演。2003年7月17日放送の回では山崎邦正がゲスト出演。2005年8月27日放送の回では清水宏泰と城間康男がゲスト出演。
- 史上最大の公開録音 : 2003年12月27日、日本武道館で「高須ちゃん生誕40周年祭り」と称した公開録音が行われた。ゲストに小・中学生時代の同級生や業界関係者が出演し、サプライズゲストとして浜田雅功が出演した。
- カプリチョーザ杯 :下段参照
[編集] カプリチョーザ杯
番組内で松本人志がカプリチョーザについての話をしたことで、後日カプリチョーザから食事券がプレゼントされた。 松本はこれを優勝商品とし、「カプリチョーザ杯」として電話による後輩芸人のダジャレ大会を企画した。 以後、この大会は不定期に開催され、毎回カプリチョーザから商品の食事券が提供されている。 参加者は事前に与えられたテーマに関する言葉を松本・高須との電話の会話の中で織り込み、 織り込んだ言葉の数と面白さを競う。
[編集] これまでに開催・放送されたカプリチョーザ杯
※出演者の後の()は与えられたテーマ
- 第一回カプリチョーザ杯(2004年12月16日放送)
- 第二回カプリチョーザ杯(2005年01月06日放送)
- 第三回カプリチョーザ杯(2005年04月23日放送)
- 第四回カプリチョーザ杯(2005年09月09日放送)
- カプリチョーザ杯総集編(2005年03月31日放送)
- 第一回と第二回の総集編。
- カプリチョーザ杯決勝戦(2006年01月14日放送)
- 第一回〜第四回の優勝者による大会。
- 参加者:千原兄弟・千原靖史(乗り物)、FUJIWARA・藤本敏史(飲み物)、DonDokoDon・平畠啓史(花)、バッファロー吾郎・竹若元博(国名)
- 優勝:平畠啓史
[編集] 書籍
- 「松本人志 放送室」 松本人志 著 TOKYO FM出版 ISBN 4887450834
- 「放送室の裏」 松本人志・高須光聖 著 ワニブックス ISBN 4847015150
- 「放送室 (その2)」 松本人志・高須光聖 著 TOKYO FM出版 ISBN 4887451199
- 「放送室 (その3)」 松本人志・高須光聖 著 TOKYO FM出版 ISBN 488745158X
[編集] JFN系列の放送時間
- 金曜深夜1時 長野、石川、富山、福井、岐阜、三重、滋賀、岡山、香川、徳島、高知、広島、山口、山陰、佐賀、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄
- 金曜深夜2時 秋田、新潟、愛媛、福岡
- 金曜深夜3時 青森、福島、静岡
- 金曜深夜4時 宮城
- 土曜深夜2時 TOKYO FM、群馬、栃木、熊本
- 土曜深夜3時 岩手、山形、兵庫
- 日曜深夜1時 愛知
[編集] 主題曲・主題歌
[編集] スタッフ
- 編成 宮野潤一(TOKYO FM)
- ディレクター 長谷川朝二(オフィスまあ)
- AD 塚本英明(スノーバード)
[編集] 外部リンク
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