東日本旅客鉄道新潟支社
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東日本旅客鉄道新潟支社(ひがしにほんりょかくてつどう・にいがたししゃ)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)の支社の一つ。旧日本国有鉄道の新潟鉄道管理局を継承している。
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[編集] 概要
新潟県内のJR東日本管轄路線のうち飯山線の全区間を除く全線と、磐越西線の福島県内区間のうち喜多方駅以西、羽越本線・米坂線の山形県内区間のうち、それぞれ酒田駅以南、今泉駅以西を管理している。
新潟駅を中心とする新潟市内の区間(信越本線・新潟駅~新津駅間、白新線・新潟駅~豊栄駅間、越後線・新潟駅~内野駅間)は、昼間20分間隔のヘッドダイヤにより運行されている。また、新潟駅を中心とする新潟近郊区間ではSuicaが利用できる(詳細は後述)。東日本管内の地域支社の中では首都圏、仙台都市圏に次いで3番目のサービスエリアである。
[編集] 問題点
新潟支社はこのように利用者へのサービス向上を図っているが、その一方で、他の地域支社と比較してファシリティの整備が立ち遅れている点が数多くある。
新潟支社管内の主力車両はキハ110系やE127系を除けば、ほとんどが旧国鉄時代のもので、これらを改造・更新しながら現在も使用し続けている状況である。その中でも115系は首都圏で300番台や1000番台が大量廃車される一方で製造から40年前後が経過した0番台がここでは未だに使われている。また気動車は全て2ドア車である上にキハ110系以外は旧性能車が大勢を占めている(特にキハ52とキハ58は製造から40年以上で、車両更新工事を受けているとはいえ老朽化がかなり進んでいる)。さらにこれらは電化区間も走行するため、(イベント列車などを別にすれば)ダイヤ編成や利用者サービスなどの面で不公平が生じている(例として、新津~新潟間普通列車の所要時間は電車・キハ110系では19分だが、旧性能気動車では23分掛かる)。
新潟支社管内の電化区間は、交流となっている羽越本線の村上駅~酒田駅間を除き、全て直流である。しかし新潟支社は交流電化区間があるにも関わらず、一般型の交直流電車を1両も保有していないため、同区間を走行する普通列車は全て気動車による運行となっている(但し鶴岡駅~酒田駅間の1往復のみ、秋田支社から車両・社員を借用して電車による運行を実施)。尚、JR東日本の交流電化区間を管理する支社で、一般型交直流電車を持たないのは新潟支社だけ。またJRグループ全体を見ても、電化区間の普通列車が全て気動車で運行されているケースは非常に稀である。
またJR東日本管内では唯一、発車メロディを使用していない支社でもある。発車ベルそのものを使用している駅も少なく、上越新幹線では新潟駅・燕三条駅・長岡駅・浦佐駅・越後湯沢駅・ガーラ湯沢駅の全6駅、在来線では新潟駅・白山駅(いずれもワンマン列車は使用せず)・長岡駅の僅か3駅のみにとどまっている。
前述の通り、新潟近郊区間にはSuicaが導入されているが、弥彦線と羽越本線については区間内にもかかわらず、接続駅以外ではSuicaを使用することができない(2008年春のサービスエリア拡大時に改善される見通し)。指定席券売機の設置駅も少なく、現在設置しているのはガーラ湯沢駅を除く新幹線停車5駅と新発田駅・直江津駅の7駅のみにとどまっている。
[編集] 支社所在地
[編集] 管理路線
※管轄境界駅については、管理を担当している駅を記載している。
- 上越新幹線(越後湯沢駅~新潟駅)
- 上越新幹線支線(越後湯沢駅~ガーラ湯沢駅、法手続き上は上越線支線)
- 信越本線(妙高高原駅~新潟駅)
- 羽越本線(新津駅~酒田駅)
- 上越線(土樽駅~宮内駅)
- 米坂線(萩生駅~坂町駅)
- 磐越西線(山都駅~新津駅)
- 只見線(大白川駅~小出駅)
- 越後線(全線)
- 弥彦線(全線)
- 白新線(全線)
なお、旧国鉄新潟鉄道管理局との相違点は次のとおり。
- 上越線:水上駅が境界だった。
[編集] 車両基地
- 新潟車両センター(新ニイ、旧上沼垂運転区)
- 長岡車両センター(新ナカ、旧長岡運転区)
- 新津運輸区(新ニツ)
- 新潟新幹線車両センター(新ニシ、旧新潟新幹線第一車両所)
- 所属車両・ジョイフルトレインについては各項目を参照。
[編集] 営業所
- 阿賀野川ライン営業所
磐越西線のうち、新潟支社が管轄する喜多方~新津間の管理を担当している。事務所は五泉駅に置かれている。
[編集] 運輸区
[編集] 自動改札・Suica
[編集] 新潟都市圏
2004年秋より、新潟駅を中心とする30km圏内(新潟都市圏)に自動改札機が設置された。続いて2005年10月以降、委託駅・無人駅など13駅に簡易Suica改札機を導入する作業が進められ、2006年1月21日からSuicaのサービスを開始した。JR東日本管内の在来線で自動改札およびSuicaが導入されたのは首都圏、仙台都市圏に次いで3エリア目である。
また2008年と2009年にはサービスエリアが拡大される予定で、2008年春には羽越本線・新津~新発田間、磐越西線・五泉~新津間、信越本線・長岡~東三条間、弥彦線全線の区間各駅で新たにSuicaのサービスが開始される。これにより、新潟近郊区間及び新潟市域のJR線内は全区間でSuicaが利用できるようになる。さらに2009年春には上越新幹線・長岡~新潟間で定期券に限り利用可能となる(首都圏と同様、Suicaフレックス〔パル〕定期券と新幹線の駅が2つ以上含まれるSuica定期券のみが対象)。
- 太字:磁気・Suica対応自動改札機設置駅
- 細字:簡易Suica改札機設置駅
- 信越本線
- 東三条駅 - 保内駅 - 加茂駅 - 羽生田駅 - 田上駅 - 矢代田駅 - 古津駅 - 新津駅 - さつき野駅 - 荻川駅 - 亀田駅 - 越後石山駅 - 新潟駅
- 越後線
- 吉田駅 - 北吉田駅 - 岩室駅 - 巻駅 - 越後曽根駅 - 越後赤塚駅 - 内野西が丘駅 - 内野駅 - 新潟大学前駅 - 寺尾駅 - 小針駅 - 青山駅 - 関屋駅 - 白山駅 - 新潟駅
[編集] 改札機運用開始日
[編集] 管内主要駅
支社管内ではこの他、新潟近郊区間に含まれない主要駅7駅にも自動改札機が導入されている。尚、Suicaは利用できない。
尚、2005年12月期の自動改札機導入に関しては、新幹線の停車駅である燕三条駅、長岡駅、浦佐駅、越後湯沢駅では見送られている。このうち長岡駅では2006年秋から改札口周辺の改修工事が行われ、完工後の翌2007年3月28日から導入された。
[編集] 新潟近郊区間
この自動改札導入に伴って2004年11月27日、下記の区間が大都市近郊区間に設定された。これは東京、大阪、福岡に次ぐもの。下記の区間内各駅相互発着の運賃は、最短経路で計算される。
但し、上越新幹線は含まない。
[編集] 関連事業
[編集] JR東日本 新津車両製作所
- 新津車両製作所を参照
[編集] 関連会社
[編集] ジェイアール新潟ビジネス
- 新潟鉄道管理局時代から1990年代前半まで、駅業務受託や支社管内の不動産管理を行っていた新鉄開発(しんてつかいはつ)を改組し社名を変更した。新潟支社管内の一部の駅で、駅業務を受託している(参考:業務委託駅)。受託している駅の中には府屋駅や分水駅のように、出札窓口にみどりの窓口のマルス端末機が設置されている駅と、北三条駅や脇野田駅のように、端末機が設置されていない(POSの発券端末で対応している)駅がある。なお、受託駅員は東日本旅客鉄道の正社員と同じ制服を着用している。
[編集] トッキー
- 管内の新潟駅、長岡駅、越後湯沢駅の3駅にある駅ビル「CoCoLo」の他、スーパー、食料品店、酒店、駅構内駐車場の運営など、主に物販事業を展開。新潟支社管内にあるJR東日本ホテルチェーン2軒(ホテルメッツ長岡、ファミリーオ佐渡相川)の運営も受け持つ。
[編集] 売店・コンビニエンスストア事業
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- 国鉄民営化直前の1985年頃から、新潟鉄道管理局が直営で新潟駅、越後石山駅、早通駅、新潟大学前駅など新潟市近郊の駅や上越新幹線停車駅で「ハロー」の名称で売店の運営を開始したのが、トッキーの事業の前身である。前出のうち石山・早通・新大前の各駅では「ハロー」の店舗で乗車券の受託販売も行っていた。これは単なる有人駅としての駅業務だけでは採算がとれないことから売店営業との組合せで増収を意図したものである。株式会社トッキーはJRに改組された際に発足したが、その後開業した青山駅にも当初は売店が設けられていた。しかし無人各駅の乗降客数が増加して有人駅で採算が取れるようになった一方、売店業務での採算が取れなかったことや、新幹線駅においては既存キヨスクとの競合などの問題もあって、駅売店事業からは撤退することになる。90年代に入るとJR東日本が当時展開していたコンビニエンスストア「JC」を新発田駅、白山駅、長岡駅東口で運営していたが、この際も程なく撤退した。現在、管内の一部主要駅構内もしくは駅前には、トッキーの仲介によりデイリーヤマザキが出店している(新発田駅、新津駅、亀田駅、長岡駅など)。
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- JCの展開以前には、新潟市の国鉄アパート敷地内、新津駅前(現東口)、長岡駅に国鉄物資部が店舗を設けていた。このうち「新潟ストア」は立地上、業態を職員向けの小型食品スーパーとしていた。また新津の物資部店舗「新津ストア」は小型スーパーとコンビニエンスストアの中間的業態に転換し「トッキーコンビニエンスにいつ」に改称、新津駅の他さつき野駅西口に店舗を置いた。また長岡も「トッキーコンビニエンスながおか」に転換して運営していた。だが、後に「ながおか」は薬品部門以外を前述のJCに転換、残った薬品部もその後閉店した。「にいつ」も新津駅前を閉鎖、さつき野店のみを旧名に近い「トッキーにいつストア」に改称し運営していたが、既に撤退している。また「新潟ストア」もその後、地元スーパーに営業権を譲渡したが廃業した。2007年現在、旧物資部店舗で存続しているのは直江津駅近くにある「トッキーなおえつストア」のみ。
[編集] 食品
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- トッキー発足後、JR新潟支社は経営の多角化に注力する。その一つが食品事業だった。新潟新幹線第一車両所の構内に排熱を再利用した養殖池を設けてスッポンを養殖し、これを生食用として県内の食品業者に卸すというもので、JR発足後に東日本管内で初めて着手された多角化経営策だった。スッポンの養殖には約3年を要するが、排熱で温水を使用することにより養殖期間を短縮できるメリットがあった。ところが、いざ成長してみるとスッポンが共食いを始めてしまい、結局僅か数ヶ月で事実上頓挫した。しかし、このスッポン養殖は巷間で「JRグループの多角化経営の旗手」などと喧伝されたことから引っ込みがつかず、養殖は対外的なPRのためだけに暫くの間続けられていた。養殖は失敗したが、代替策として他所から取り寄せた缶入りの「すっぽんスープ」やスッポン抽出エキスを添加した清涼飲料水「スポルチェゴールド」(後に女性向商品「シルティH&S」も追加)の販売を開始、三国コカ・コーラボトリングに販売を委託していた。しかし売上げは伸びず、1994年を最後に、静かに販売を終了した。このスッポンに関する事業は現日本レストランエンタプライズ社長の荻野洋がJR新潟支社で総務部長を務めていた際に立ち上げたもので、荻野はよく取材などで「失敗談」としてこの事業のこぼれ話を語っている。
[編集] 駅ビル「CoCoLo」
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- トッキーは駅ビル事業のうち、新潟駅の「パティオ」(万代、東、西)を運営していたが、2004年10月1日、管内の駅ビルのうち「セゾン」(新潟、長岡)、「プラトー」(越後湯沢)を運営していた「越後ステーション開発」と合併。この際に「パティオ」も含めた駅ビルの愛称を「CoCoLo(ココロ)」に統一した。
[編集] 新潟交通機械
- 新津車両製作所の製造工程の一部請負、上越新幹線や新潟支社管内で使用する車両の改造・修繕、車両部品の製作の他、駅設備の設計・施工などを行っている。
- 社名から誤解されがちだが新潟交通とは関係は無い。
[編集] ガーラ湯沢
- 上越新幹線の支線にあるガーラ湯沢スキー場を運営している。
[編集] JR東日本新潟鉄道健診センター
国鉄時代、国鉄職員を対象とした鉄道病院として「新潟鉄道病院」が新潟市八千代1の国鉄アパート東側の敷地に設けられていた。民営化の際、合理化の一環で診察科目を大幅に削減し「新潟鉄道健診センター」に改称。さらに老朽化したのに伴って建物を撤去し、幸西のJRアパート敷地内に移転した(鉄道病院跡地は現在、新潟市総合福祉会館とNTTドコモ新潟支社が立地)。現在の診察科目は内科のみとなっている。
[編集] 不祥事
社員による不祥事の多発と、その隠蔽体質が次々と表面化している。
- 2001年から2004年にかけて、JR東日本新潟支社所属の上越新幹線車掌が勤務中にデジタルカメラで車窓からの風景写真を撮影し、自身のホームページで公開した。JR東日本新潟支社は職務専念義務違反を理由に2004年3月15日に懲戒解雇したが、事実の公表は1年半以上経過した2005年11月15日だった。
- 2004年9月から10月にかけて、JR東日本新潟支社所属の運転士が知人に裏口入社を持ちかけ、5回にわたり現金67万円を騙し取った。加害者は書類送検されたものの、JR東日本新潟支社から処分を受けることなく、2006年1月末に依願退職した。事件の公表は依願退職後の同年2月15日だった。
- 2005年4月24日深夜、JR東日本新潟支社所属の運転士4人が、JR東日本高崎支社所属の車掌3人を暴行し、重軽傷を負わせる。被害者は所轄警察署に被害届を出し、加害者は書類送検された。JR東日本新潟支社は加害者を懲戒処分したが、事件の公表は発生から半年以上経過した同年11月8日だった。
- 2005年9月29日、JR東日本新潟支社所属の男性運転士が制服姿で駅の女子トイレに侵入した。JR東日本新潟支社は当該運転士を懲戒処分しないまま、同年10月26日付で依願退職を認めた。事件の公表は発生から1ヶ月以上経過し、加害者の依願退職後の同年11月1日だった。
- 2006年1月23日、JR東日本新潟支社所属の営業主任が不正に発券した新幹線回数券を金券ショップで換金し、同年2月16日警視庁に偽造有価証券行使と詐欺容疑で逮捕された。
- 2006年3月、JR東日本新潟支社所属の男性運転士見習いが公道上で女性に下半身を露出して、同年4月4日に公然わいせつ容疑で逮捕された。2004年3月にも公道上で女性に抱きつき、2006年4月14日に強制わいせつ容疑で逮捕された。