標津町
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標津町(しべつちょう)は、北海道東部、根室支庁管内標津郡にある町。日本有数の鮭の産地として知られる。
移住促進策を実施しており、3年以内に住宅を建てれば町有地を無償で貰える。但し定住者は建築後5年間転売や貸与はできない。1区画は約400-450平方メートルと広く、全国的に話題となっている。
町名の由来はアイヌ語の「シペッ」(大きな川)から。
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[編集] 地理
根室支庁管内の中部に位置する。北は植別川で羅臼町と、北西・西は斜里岳をはじめとする知床連山により斜里町・清里町と隔てられる。南西は中標津町、南は別海町に接している。町域は西半が知床連山から続く山地・台地(根釧台地)だが、東半は標津川・忠類川などの中小河川沿いに低湿な平地が広がっている。東は根室海峡に面しており、海岸からは国後島を望むことができる。南部から海峡に突きだした砂嘴・野付半島の一帯は風蓮湖とともに野付風蓮道立自然公園に指定されている。
釧路市から北東に約120km、根室市から北西に約95km、中標津町から東に約20kmに位置。衆院選の小選挙区では北海道第7区に、天気予報の二次細分区域では根室北部に属する。
- 山 : 武佐岳(1005.7m)など
- 河川 : 標津川、忠類川、ウラップ川、薫別川など
[編集] 隣接している自治体
[編集] 歴史
- 1879年(明治12年) 4月に戸長役場を標津に設け(標津町の開基)、標津と伊茶仁の2ケ村を統治し、6月には標津郡戸長役場となる。
- 1880年(明治13年) 標津・目梨両郡戸長役場となり、管轄を標津村、伊茶仁村、薫別村、崎無異村、忠類村、植別村の6ケ村とする。
- 1884年(明治17年) 野付郡茶志骨村を編入し、標津外6ケ村戸長役場となる。
- 1901年(明治34年) 植別村が植別村戸長役場(現在の羅臼町)として分離する。
- 1923年(大正12年) 二級町村制が施行され、標津外5ケ村戸長役場を標津村役場に改称する。
- 1937年(昭和12年) 国鉄標津線が根室標津駅まで延伸。
- 1946年(昭和21年) 中標津村(現中標津町)が分村。
- 1958年(昭和33年) 町制施行、標津町となる。
- 1979年(昭和54年) 標津町百年記念式典が行われる。
- 1989年(平成元年) JR標津線廃止。
[編集] 経済
[編集] 産業
- 農業は畜産がほとんどで、近隣の中標津町、別海町とともに酪農地帯を形成している。他にテンサイの栽培も行われる。豊富な森林資源を背景に林業も行われる。
- 漁業は古くから盛んで、特に鮭が多く獲れ、秋サケは日本有数の水揚げ量を誇る。サケ・マスの年漁獲量は、約17,000t(約530万尾)。ホタテガイの漁獲も多い。隣接する羅臼町とは違い、昆布などの採藻は行われない。
[編集] 姉妹都市・提携都市
- 友好都市
2005年 大畑町のむつ市との合併により、友好都市を解除
[編集] 地域
[編集] 教育
- 1996年3月 上古多糠小閉校 古多糠小に統合
- 2005年3月 北標津(小、中)閉校 川北小、中に統合
- 2006年3月 忠類小閉校 標津小に統合
[編集] 交通
[編集] 空港
[編集] 鉄道
かつては標茶駅まで標津線が通っていたが、1989年に廃止され、現在は阿寒バスによる代替輸送(最寄駅は釧路駅、標茶駅)。以前は根北線の計画もあった。
[編集] バス
阿寒バスが上記のほか、釧路市立病院(釧路駅経由)、羅臼、白鳥台(別海町)を結んでいる。
[編集] 道路
- 高速道路
- 現在はなし。
- バイパス
- 現在はなし。
- 一般国道
- 道道
- 北海道道737号標津停車場線
- 北海道道774号川北中標津線
- 北海道道863号川北茶志骨線
- 北海道道950号野付風蓮公園線
- 北海道道975号開陽川北線
- 北海道道1145号薫別川北線
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 観光
[編集] その他
混同を防ぐため、テレビ・ラジオ放送ではこちらを「根室標津」、士別市を「サムライ士別」などと呼ぶ。
[編集] レジャー
- 北海道をはじめ日本の河川で鮭を釣る事は水産資源保護法や北海道内水面漁業調整規則により、原則として禁じられているが、忠類川ではサケ・マス有効利用調査の対象河川として、調査目的での釣行が許可されており、秋のシーズンには多くの釣り師が集まる。
釣行には事前申込みが必要で、手法などにもいくつかの制限がある。
[編集] 出身有名人
- 大菅小百合 スピードスケート選手
- 椙田圭輔 アメリカンフットボール選手
- フジモトタカコ シンガーソングライター