Α (カメラ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
α(アルファ)は、ソニーのレンズ交換式デジタル一眼レフカメラのブランド名。
目次 |
[編集] ソニーαシステム
2006年初頭のコニカミノルタによる光学事業撤退に伴い、αマウントシステムをはじめとしたデジタル一眼レフ関連事業が一括してソニーへと譲渡された。ソニーはαブランドとしてこのデジタル一眼レフシステムをワールドワイドに展開している。
旧ミノルタ時代、αシリーズはヨーロッパではDynax、北米大陸ではMaxxumとしてブランド展開してきた。αというブランドは日本とアジア地域のみで展開してきたものである。そのために欧米ではαというネーミングにブランド力はない。それでもコニカミノルタの事業をソニーが受け継いだということで、かなりのインパクトを持って受け入れられているようである。
ソニーに旧コニカ・旧ミノルタの技術者もその多くが吸収雇用されており、それぞれが培ってきた一眼レフカメラの技術や光学テクノロジーをベースにCCDイメージセンサーの開発やCyber-shotの画像エンジンなどのソニーの技術を活かしたシステムとなっている。特にコニカミノルタ時代には自社技術として持ち得なかった半導体技術をソニーから大幅に取り入れられたことで、デジタルカメラとして大きく進歩した部分があるという。
[編集] α100
2006年7月21日にソニーαの第一弾、1000万画素のCCDを搭載したα100を発売した。コニカミノルタ時代のαSweet DIGITALの後継機となる初心者向けの入門機である。コニカミノルタの技術が大幅に受け継がれており、メニューなどはほぼαSweet DIGITALと同一のものが搭載されている。また、コニカミノルタが開発したCCDシフト方式の手ぶれ補正機構をボディに内蔵しており、すべてのレンズで手ぶれ補正機構の恩恵を受けられる。過去のレンズ資産活用という点で他社に対しての優位点として挙げられる。
また、ローパスフィルターに静電気対策を施したコーティングを行った上で、手ぶれ補正機構を動作させることによって埃を落とすという「アンチダストシステム」も実現させている。このほこり対策はキヤノン、ペンタックスも同様の機構を搭載して追随している。
今後、α-9相当のフラッグシップ機や、α-7相当となる上級機の発売も予定されている。
[編集] ソニーαレンズ
レンズはこれまでのαマウントシステムを引き継いでおり、コニカミノルタとの共同開発によるものが中心となっている。生産工場はコニカミノルタのものが流用されており、ソニーへと卸されているという形態をとっている。
αマウントシステムにおけるハイグレードレンズとなるGレンズも35mm、70-200mm、300mmにおいて発売されている。また、新たにカール・ツァイスレンズがαマウント用に開発されており、古くからのツァイスファンの間でも話題となった。コニカミノルタ時代ではGレンズであった85mmはT*コーティングを施され、カール・ツァイスレンズとして発売されている。
なおカール・ツァイスレンズを含めた新規開発のαレンズは、これまで発売されたミノルタ・コニカミノルタ製αマウントシステムの銀塩・デジタル一眼レフカメラでも利用可能な互換性を保っている。もちろん、これまで発売されたミノルタ・コニカミノルタ製αマウントシステム用レンズも、そのすべてが新システムのデジタル一眼レフボディにも使用可能である。
αレンズをソニーが継承したことはミノルタ時代からのユーザーにも高く評価されている。問題点としては、ミノルタ時代に較べて小売価格が非常に高価になった点、ツァイスに勝るとも劣らない銘品との評価を得ていた85mmのGレンズを始め、17-35mmGなどミノルタ時代の銘品中の銘品の何種類かが発売されていない点が指摘されている。
[編集] アクセサリー
基本的にコニカミノルタが発売していたαシステム用のアクセサリーはその多くがソニーαで利用できる。
[編集] イメージカラー
鮮やかなオレンジの辰砂色(シナバーカラー)がイメージカラーとして採用されている。ロゴはもちろん、ボディのマウント部分やレンズのマウント、パッケージにもこの色が使用されている。
[編集] ミノルタαシステム
旧ミノルタが世界初の一眼レフにおけるオートフォーカス機構を搭載したα-7000用に開発したシステムをいう。1985年発売。現在のソニーαシステムはコニカミノルタから事業譲渡されたもの。
[編集] αショック
α-7000は世界ではじめてオートフォーカスを一眼レフに搭載したことで、カメラ業界にαショックと呼ばれる衝撃を与えた。それまでマウントの継承ができなくなりレンズ資産が無駄になる(実際には、ニコン・ペンタックスがマウントを変更することなくAF化を実現している)という理由から、原理的には可能であったが他社はオートフォーカスシステムの搭載に消極的な姿勢を見せていた。しかし、少なからず一眼レフ市場で劣勢を強いられてきたミノルタはオートフォーカスを搭載することで逆転を狙ったのである。
こうしてα-7000は発売され、一般ユーザーに大きく受け入れられた。以降、すべてのメーカーがオートフォーカス搭載へと動くのであった。この大きな転換点を指して、当時のマスコミはαショックと呼んだのである。
[編集] 特許訴訟
[編集] デジタル化の遅れ
ミノルタのデジタルカメラへの参入は同業他社と比べても遅く、また参入してからの取り組みも強力なものとはいえなかった。これは当時のミノルタの経営状況も少なからず影響があった。参入初期に当時の社長自らデジタルカメラからの撤退宣言も出たほどである(後に撤回)。また、RD-175という3CCDのαマウント対応デジタル一眼レフを各社に先んじて発売したものの、3CCDを導入したためかボディ形状が明らかに異様で取り回しが異常なほどに面倒なものであった。また解像度も175万画素と充分なものとはいえなかった。
それ以降、ミノルタがコニカに吸収合併される形になり、両社が持つ技術の融合が期待されたがα-7 DIGITALが登場するまでαマウントという財産を持ちながら、ミノルタ・コニカミノルタはデジタル一眼レフを発売することはなかった。
[編集] α-DIGITAL発売へ
ニコンのD1から遅れること5年、コニカミノルタは2004年の年末にようやくα-7 DIGITALを発表する。独自技術でボディ内に手ぶれ補正機構を搭載することに成功し、また他社では見られないリバーサルフィルム的な色を再現するなど評論家やファンからは賞賛を得た。しかし、当時既に他社はマニア向けでなく初心者向けのカメラをも発売しており、完全に時代の潮流に乗り遅れた。この遅れが他社へのユーザー流出の原因ともなり、銀塩時代のシェアを回復するまでには到らなかった。
さらに2005年の夏モデルとしてα-Sweetのデジタル版となるαSweet DIGITALを発売する。αSweet DIGITALは製品としては好評を得たものの、このあたりから旧ミノルタ時代のレンズが次々とディスコンとなり、新たなレンズは発売されないことにユーザーから不安の声が上がるようになっていく。
[編集] ソニーとの共同開発の発表
2005年、ソニーはαマウントを採用したデジタル一眼レフをコニカミノルタと共同開発するとの発表を行った。ソニーは撮像素子を製造していることもあり、コニカミノルタの光学技術との融合が期待された。また、ソニーはカール・ツアイスとの協業を行っていることもあって交換レンズがどのように展開されるかが注目された。
[編集] 光学事業からの撤退
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 書きかけの節のある項目 | ソニーのカメラ | デジタルカメラ | カメラメーカー・ブランド | カメラ関連のスタブ項目