のと鉄道能登線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
能登線(のとせん)は、石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅と石川県珠洲市の蛸島駅を結んでいたのと鉄道の鉄道路線である。
国鉄再建法により特定地方交通線に選定された旧国鉄能登線を引き継いだ路線である。七尾線と異なり、のと鉄道が第一種鉄道事業者である。
乗客の減少が続いており、2005年3月31日限りで全線が廃止され、路線バスに転換された。
廃止決定後、地域住民の活動が活発化。2005年3月には県議会議員の間で「廃止」ではなく「休止」にしようとする論調も強まってきていた。廃線後も能登線を復活させようという動きが続いている。詳しくは廃線後の動き、外部リンクを参照のこと。
目次 |
[編集] 路線データ
※廃止時点
- 路線距離(営業キロ):61.0km
- 軌間:1067mm
- 駅数:29駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:特殊自動閉塞式(穴水~珠洲間)、スタフ閉塞式(珠洲~蛸島間)
[編集] 運転
各駅停車のみが運行されており、運行系統としては七尾線とほぼ一体であった。
かつては、金沢から直通の急行「能登路」や、自社のパノラマ気動車を使用した急行「のと恋路号」が運転されていたが、「能登路」は2002年3月23日のダイヤ改正で、「のと恋路号」はさらにその半年後の2002年10月に廃止された。また、多客期には快速列車も運転されていた。なお、能登線廃止を惜しみ、2004年夏に金沢~珠洲間で急行「リバイバル能登路」号が、2005年3月には金沢~蛸島間で急行「さよなら能登路」号が、国鉄時代の車両及び塗色にて運転された。
[編集] 歴史
改正鉄道敷設法別表第68号及び第68号の2に掲げる予定線で、1959年から1964年にかけて計画の全線が開業している。 なお、鵜川~宇出津間では開業から1961年5月20日までの間擬制キロを採用し、割増運賃が適用された。(9.9km→15.8km。のち運賃改定により12.9km)
- 1959年(昭和34年)6月15日 - 能登線 穴水駅~鵜川駅間(22.9km)開通。中居駅、比良駅、鹿波駅、甲駅、前波駅、古君駅、鵜川駅開業。
- 1960年(昭和35年)4月17日 - 鵜川駅~宇出津駅間(9.9km)開通。穴水駅~宇出津駅間で貨物営業を開始。矢波駅、波並駅、藤波駅、宇出津駅開業。
- 7月8日 - (臨)立戸の浜駅開業。
- 1963年(昭和38年)10月1日 - 宇出津駅~松波駅間(13.8km)開通。波根駅、能登小浦駅、真脇駅、能登小木駅、能登白丸駅、能登川尻駅、松波駅開業。
- 1964年(昭和39年)9月21日 - 松波駅~蛸島駅間(14.5km)開通により全線開通。宇出津駅~珠洲駅間で貨物営業を開始。恋路駅、鵜島駅、南黒丸駅、能登鵜飼駅、上戸駅、珠洲飯田駅、珠洲駅、正院駅、蛸島駅開業。
- 1981年(昭和56年)11月20日 - 穴水駅~珠洲駅間の貨物営業を廃止。
- 1985年(昭和60年)7月11日 - 古君駅~鵜川駅間で豪雨のため盛土が崩れ、急行「能登路5号」が脱線転覆。7人死亡。
- 1986年(昭和61年)5月27日 - 廃止承認(特定地方交通線第3次廃止対象)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が第一種鉄道事業者となる。
- 1988年(昭和63年)3月25日 - JR能登線廃止。のと鉄道能登線 のと穴水駅~蛸島駅間(61.0km)開業。
- 穴水駅から分離し のと穴水駅開業、立戸の浜駅を通年営業とし沖波駅に、能登小浦駅を小浦駅に、真脇駅を縄文真脇駅に、能登小木駅を九十九湾小木駅に、能登白丸駅を白丸駅に、能登川尻駅を九里川尻駅に、能登鵜飼駅を鵜飼駅に、珠洲飯田駅を飯田駅に改称。恋路駅を通年営業とする。
- 1991年(平成3年)9月1日 - のと鉄道七尾線開業。のと穴水駅を穴水駅に改称。
- 1994年(平成6年)12月3日 - 穴水駅~甲駅間に列車集中制御装置(CTC)を導入。
- 1995年(平成7年)3月17日 - 七見駅開業。
- 1996年(平成8年)12月6日 - 甲駅~珠洲駅間にCTCを導入。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 穴水駅~蛸島駅間(61.0km)廃止により全線廃止。
[編集] 駅一覧
穴水駅(穴水→のと穴水) - 中居駅 - 比良駅 - 鹿波駅 - 甲駅 - 沖波駅(立戸の浜) - 前波駅 - 古君駅 - 鵜川駅 - *七見駅 - 矢波駅 - 波並駅 - 藤波駅 - 宇出津駅 - 羽根駅 - 小浦駅(能登小浦) - 縄文真脇駅(真脇) - 九十九湾小木駅(能登小木) - 白丸駅(能登白丸) - 九里川尻駅(能登川尻) - 松波駅 - 恋路駅 - 鵜島駅 - 南黒丸駅 - 鵜飼駅(能登鵜飼) - 上戸駅 - 飯田駅(珠洲飯田) - 珠洲駅 - 正院駅 - 蛸島駅
- 括弧内は転換前の旧駅名。*印は転換後開業の新駅
[編集] 接続路線
- 穴水駅:のと鉄道七尾線
[編集] 延長構想の頓挫
蛸島より東の鉢ヶ崎海岸にリゾート施設を建設するにあたり、アクセスとして当路線の延長が検討されたことがある。しかし予定ルートに道路との交差があり、そこを立体化しないと運輸省の認可が下りないことが判明する。既存路線の立体化と異なり、自治体がその費用を負担することができず、財源を確保できないとしてこの構想は取りやめになった。もっともこの延長が実現していても、リゾート客のどの程度が能登線を利用するかは不透明であり、延命の切り札とはなり得なかった可能性が高い。
[編集] 廃線後の動き
廃線に向けた動きが出てきた頃、存続を求める沿線住民らで市民団体が結成された。廃止手続きが実施されると事業の継承が困難になることから、鉄道事業廃止を休止にするよう国土交通省などに要望が出され、廃線直前の2005年2月には存続の受け皿会社を設立することを発表していた。廃線に反対した市民団体は廃線後も復活に向けて活動中であるが、しかし、2006年11月より全線にわたる線路の撤去作業が開始され、珠洲市内では外されたレールや掘り起こされた枕木が整理され並べられた光景が見受けられる。 なお、この撤去作業は2007年8月まで続く予定。
能登線の廃止後、2005年10月に公共交通問題に取り組む地元市民グループが元利用者を対象に「奥能登の公共交通と暮らしに関するアンケート」として地域や生活がどのように変化したかを調べるアンケートを実施した。
その結果、96.8%の人が「廃線が地域商業、観光、通学生等に影響があったと思う」と回答し、「今現在、能登線の廃止についてどう思っておられますか。」という問いに対しては59.1%の人が廃線は失敗で、もっと反対をすれば良かった・復活を望むと回答、「今後の奥能登の公共交通はどうあるべきか。」という問いには68.3%の人が鉄道を復活整備と回答していた。