アルマス・ヤルネフェルト
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エドヴァルト・アルマス・ヤルネフェルト(Edvard Armas Järnefelt, 1869年8月14日 ヴィープリ - 1958年6月23日 ストックホルム)はフィンランドの指揮者・作曲家。
父親は、ロシア陸軍に勤めるスウェーデン系軍人貴族のアウグスト・ヤルネフェルト将軍で、母エリザベト(旧姓クロット=フォン=ユルゲンスブルク)はドイツ系ロシア貴族。ヤルネフェルト家の8人兄弟の一人で、長兄アルヴィドは作家、次兄エリック(またはエーロ・ヤルネフェルト)は画家、妹のアイノはジャン・シベリウス夫人となった。
ヘルシンキでフェルッチョ・ブゾーニほかに学んだ後、パリでジュール・マスネに作曲を師事。シベリウスと仲が良かった。1905年からストックホルムに拠点を移し、1909年にはスウェーデンに帰化した。ヤルネフェルトは、ワーグナーの歌劇をフィンランドで指揮した最初の音楽家として、歴史に名を残した。作曲家としては多少の管弦楽曲と合唱曲・芸術歌曲を残している。
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カテゴリ: フィンランドの指揮者 | フィンランドの作曲家 | スウェーデンの指揮者 | スウェーデンの作曲家 | 1869年生 | 1958年没