エーリヒ・ラインスドルフ
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エーリヒ・ラインスドルフ(Erich Leinsdorf, 1912年2月4日 - 1993年9月11日)は指揮者。
ウィーンに生まれ、同地で音楽を学ぶ。1934年から1937年までザルツブルク音楽祭でブルーノ・ワルターやアルトゥーロ・トスカニーニの助手を務める。1938年からニューヨーク市のメトロポリタン歌劇場で指揮者を務め、とりわけリヒャルト・ワーグナーの解釈で名声を博す。
クリーヴランド管弦楽団音楽監督の地位は、3年と短かった。比較的若かったためと、アメリカ国籍を取得したばかりだったために、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍からの徴兵をまぬかれ得なかったからである。終戦までに軍楽隊のバンドリーダーという地位から何とか離れようとしたものの、クリーヴランド時代の名声に付けられた傷は深く、契約は更改されなかった。
1947年から1955年までロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に、1962年から1969年までボストン交響楽団の音楽監督に就任する。その後は数々のオーケストラに客演した。
1963年11月22日、ボストン交響楽団の公演中にラインスドルフは演奏を中断して、聴衆にケネディ大統領の暗殺を告げ、テロリストへの憤りと、大統領への哀悼の意を述べた。
回想録(Cadenza: A Musical Career )は1976年に上梓された。
カテゴリ: クラシック音楽関連のスタブ | オーストリアの指揮者 | 1912年生 | 1993年没