オペル
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オペル(正式社名:アダム・オペル/Adam Opel GmbH)はGM(ゼネラルモーターズ)100%傘下のドイツにある自動車メーカーである。本社はフランクフルト・アム・マインやマインツに近いヘッセン州の都市、リュッセルスハイム(Rüsselsheim)にある。
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[編集] 概要
創業者はアダム・オペル(1837年-1895年)。ミシン、自転車の製造を経て、創業者没後、5人の息子達によって1899年に自動車製造を開始。ルッツマンやフランスのダラック車をライセンス生産して技術を修得し、1902年に独自開発車を完成(一方でモーターサイクルも製造したが、後年に事業をNSUに売却している)。この後、大衆車「ラウフプロッシュ(『雨蛙』。シトロエンから設計が酷似していると訴えられた)」等の成功でドイツ車の大手メーカーとして君臨するが、アメリカ資本流入が激化した1931年、オペルはそれらと協調する道を選び、GMの完全子会社となった(第二次世界大戦中にGMはナチスの圧力で権利を放棄し、「ブリッツ」トラック等を製造していたが、1948年にGMが権利を回復した)。
ドイツ本国を初め、ヨーロッパ大陸ではフォルクスワーゲンが最大のライバルであり、大戦後、VWビートルの対抗車を永らく出現させていなかったが、1962年、新設のボッフム工場生産で新型「カデット(『士官候補生』。戦前にあった名称の復活)」を登場させ、ビートルと熾烈な競争を展開した。このカデットは、FRの極常識的な設計ながら、手頃な価格や広い室内とトランク、信頼性の高さで人気を得た。以後、オペルは中型車「レコルト」とその上級仕様「コモドーレ」、大型車「アドミラル」/「ディプロマート」も擁し、ヨーロッパ有数の自動車メーカーに成長した。
1970年代、親会社GMは自身が進めていた『一つのプラットフォームから、世界中で販売出来る車種を設計する』"ワールドカー"(世界戦略車)構想の開発基地としてオペルを抜擢した。その流れから、"Tカー"として構想された第3世代のカデット(通称:カデットC)はいすゞ・ジェミニや「シボレー・シェベット(アメリカとブラジルでは仕様が異なる)」などのバリエーションを登場させた。
1980年代、日本のメディアに「日本車の刺客」とアメリカで騒がれたシボレー・キャバリエ等と血縁関係にあったのが1983年"Jカー"として登場したアスコナの第3世代(アスコナC)であり、この日本版はいすゞ・アスカである。これ以後、オペルは世界中のGM拠点と連携を深めながら活動している。また最近では、部品のリサイクル率を高める等、環境保全対策にも重点的に取り組んでいる。
イギリスではヴォクスホールのブランド名で販売されている。これは1960年代から活発化した技術交流が拡大し、1980年代までにに同社車種の内容がオペルと共通化した結果である。
[編集] 日本での販売
日本では、1950年代から東邦モーターズ、1980年代後半からいすゞ自動車、1993年からヤナセが、2000年頃から日本ゼネラルモーターズが正規輸入していたが、2006年で新車販売を終了した。(1970年代の排気ガス規制での輸入中断は1980年代前半に再開した)。
1995年にはコンパクトカー、ヴィータを発売し、エアバッグやABS標準装備など安全を重視した輸入車としては低価格(150万円台)で販売されたため、スマッシュヒットとなった。また、同じ1995年、自動車メーカーで初めて日本語の公式ウェブサイト(www.opel.co.jp)を開設した(国産メーカーでは日産自動車がオペルに続いて開設)。
その後、日本ゼネラルモーターズとヤナセの確執(GMが富士重工業へザフィーラをスバル・トラヴィックの名称でOEM供給、しかもオペルブランドより割安な価格で販売)からヤナセがオペル取扱店を削減し販売に注力しなくなったうえ、主力車種だったヴィータの輸入を打ち切るなど低価格路線を変更して価格が上昇。さらにフルモデルチェンジでの各車の大幅なサイズアップ、点検・修理費用も含めて国産車よりかなり割高な維持費、中古買取価格の低さなどが消費者に受け入れられず、販売は低迷した。(新車登録台数:1996年約3万台→2005年2000台未満)
親会社であるGM(ゼネラルモーターズ)の経営悪化に伴う世界的な事業効率化の流れにより、GM日本法人のGMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)は2006年5月8日に、在庫限りでオペルのすべての車種の新車販売を終了すると発表した。(メンテナンスは継続する)。
今後、GMAPJは「オペルはGMの欧州地区限定ブランドとして生き残っていく」と発表していたが、実際は台湾や南アフリカ共和国でもオペル車の販売が行われている。
[編集] 生産車種
日本導入モデル
- 1900GT
- スピードスター (80台限定)
- モンツァ
- マンタ
- カリブラ
- レコルト
- ディプロマート
- セネター
- オメガ
- ベクトラ
- シグナム
- カデット
- アストラ
- ザフィーラ
- コルサ(日本名ヴィータ)
- ティグラ
- メリーバ
日本未導入モデル
[編集] かつての生産車種
- オリンピア・レコルト/1200 当時の代表的小型車。2ドアながら故障が少なかったため、タクシー業界では人気であった。1200はカデット復活までの大衆車市場対策モデルだった。また、史上初めてステーションワゴンがセダンのほかに用意された。
- カデット 1962年戦後型発表の主力車種、1984年FF化し、1991年アストラに代替される。
- レコルト 当時の代表的中級車種。レコルトCは、人気TVドラマ「ザ・ガードマン」のガードマンたちのパトロールカーとして登場している。1986年オメガに代替される。
- コモドーレ レコルトの上級高性能仕様。レコルトと共にオメガに代替。
- カピテーン 1960年代までのオペルの代表車種。1969年に上級車アドミラル等と共に更新されたが、その後生産終了。
- アドミラル/ディプロマート 1960年代後半、本国GMの中型プラットフォームを利用して登場した最上級モデル。ディプロマートには5.4リッターV8も搭載された。
- オリンピア 1967年発表の豪華版カデット。1970年アスコナに代替される。
- GT(1100/1900) 当時の「オペル=保守的」イメージを打破したスポーティモデル。対米輸出でも成功した。
- アスコナ 1970年発表。レコルトに代わって中級レンジのオペル代表となった。1988年ベクトラに代替される。
- マンタ アスコナとプラットフォームを共用した2ドアクーペ。1975年発表の2代目はアスコナと同じくWRC用のホモロゲーション(認定)モデルも製造された。
- セネター 1977年発表。ディプロマート等に代わる最上級車種。1986年、オメガと共に新世代に更新されたが、1994年生産終了。
[編集] 関連項目
[編集] 人物
- フリッツ・フォン・オペル - 創業者アダム・オペルの孫
- 児玉英雄 - かつて所属していた日本人デザイナー
- マルチナ・ヒンギス - スポンサーだった。
- 鈴木雅之 - 2代目オメガの日本での広告キャラクター
- hitomi - 2代目ヴィータ(コルサC)の日本での広告キャラクター
[編集] 外部リンク
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