ガブリエル・エインセ
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ガブリエル・イバン・エインセ(Gabriel Iván Heinze, 1978年4月19日 - )はアルゼンチン出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 マンチェスター・ユナイテッド所属。
[編集] プレイスタイル
当たり負けしない屈強な体と3バックでも4バックでも完璧に適応するユーティリティー性が魅力。基本的にはセンターバックか左サイドバックでプレーするが実は右サイドでもプレーできる。サイドバックとしてプレーする際は積極的に攻撃参加もする。テクニカルな選手の揺さぶりには滅法強く、南米、スペイン出身のストライカーへの対応には絶対の自信を持つ。
[編集] 経歴
ヴォルガ・ドイツ人の末裔。14歳でニューウェルスの下部組織へ入団、1996年にプロデビューを果たした。しかし財政難のクラブからスペインへと放出され、出場機会が激減する。その後ポルトガルへとレンタル移籍するがここでも状況を変えられずスペインへ復帰する。すると18試合に起用され、実力を発揮すると瞬く間にレギュラーを奪取し翌年は36試合に出場した。この当時レアル・バリャドリード時代には元日本代表城彰二とも一緒にプレーしていた。そしてパリSGでシーズン計24失点という偉業の立役者となる。
フランスで知名度を上げたエインセは2003年のリビア戦において代表デビューを果たした。さらには同年の日本戦でもピッチに立ち代表での立ち位置を固めた。その後代表では2006 FIFAワールドカップ予選、コパ・アメリカ 2004へと出場した。アテネオリンピックではオーバーエイジ枠で出場、金メダル獲得に大きく貢献した。この年からはマンチェスター・ユナイテッドでプレーしている。2005年に大怪我をし、2006 FIFAワールドカップ出場が危ぶまれたが元気にピッチに立った。
[編集] 所属クラブ
- ニューウェルズ・オールドボーイズ(アルゼンチン) 1996-1997
- レアル・バリャドリード(スペイン) 1997-1998
- スポルティング・リスボン(ポルトガル) 1998-1999
- レアル・バリャドリード(スペイン) 1999-2001
- パリ・サンジェルマン(フランス) 2001-2004
- マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 2004-
マンチェスター・ユナイテッド - 2006-2007 |
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1 ファン・デル・サール | 2 G・ネヴィル | 3 エヴラ | 4 エインセ | 5 ファーディナンド | 6 ブラウン | 7 C・ロナウド | 8 ルーニー | 9 サハ | 11 ギグス | 13 朴智星 | 14 スミス | 15 ヴィディッチ | 16 キャリック | 18 スコールズ | 20 スールシャール | 21 董方卓 | 22 オシェイ | 23 リチャードソン | 24 フレッチャー | 27 シルヴェストル | 29 クシュチャク | 32 カスカート | 33 イーグルス | 38 ヒートン | 監督 ファーガソン | |
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