ウェイン・ルーニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
ウェイン・ルーニー(Wayne Rooney、1985年10月24日 - )は、イングランド・リヴァプール出身の同国代表のサッカー選手。マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)でプレー。ポジションはFW。元々はGK志望だったが身長があまり高くない為断念した過去がある。元イングランド代表のポール・ガスコインの再来とも言われている。
目次 |
[編集] プレイスタイル
パス、シュート、ドリブル、フリーキック、ボールコントロール、視野の広さなど攻撃に関するありとあらゆる能力を高いレベルで併せ持つ万能型。フォワードだが少し下がり目の位置を得意とし、ゲームメイクからフィニッシュまでをひとりでこなせる。また、敵を自分の方に引き付けボールをフリーの味方へアシストする能力にも長けている。少々太めに映るが、抜群のバランス感覚と突破力を持ち運動量も多い。「小型戦車」の異名を持ち、ノっている時は手がつけられない。ループが得意であり、よく得点を決める。
反面、非常に気性が荒いことでも知られ、危険なファウルや審判への抗議などでレッドカードを受けることもしばしば。すでにイングランド代表でも絶対的な存在となっており、今後は精神面での成長が望まれている。しかし、その気性の荒い面はサッカーに対する積極性、真剣さと言う意見も少なくない。
[編集] 経歴
弱冠16歳でイングランドFAプレミアリーグ、エヴァートンFCからデビュー。その当時、プレミアリーグ無敗記録を更新中だったアーセナルとの対戦で、プレミアリーグ初得点を挙げてプレミアリーグ史上最年少得点記録を更新(そのすぐあとに当時リーズ・ユナイテッドのジェームス・ミルナー(現ニューカッスル・ユナイテッド)に最年少得点記録を更新される)。さらにチームはその試合に勝利してアーセナルの無敗記録(当時)をストップさせたことで、一躍注目を集める。
以後、イングランド代表に17歳で召集され、イングランド代表でも最年少出場記録、最年少得点記録を更新。(その後、最年少出場記録はセオ・ウォルコットに破られる(17歳75日))
2004年のEURO2004では4得点を挙げ、イングランドのベスト8入りに貢献したが、同大会で右足を骨折。2004年夏の移籍市場終了直前に、エヴァートンからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。これにより、一部のエヴァートンファンの怒りを買ってしまったが、怪我から回復したルーニーは、2003-2004シーズンから再び無敗記録を更新中だったアーセナルとの試合で自らも得点を挙げてリーグ無敗記録を49試合でストップさせた。
ドイツW杯直前の2006年4月29日、対チェルシー戦で右足の甲を骨折。一時はワールドカップへの出場が絶望視されたが驚異的な回復をみせ、グループリーグ第2戦の対トリニダード・トバゴ戦の後半から途中出場した。準々決勝の対ポルトガル戦では、試合中にリカルド・カルヴァーリョの股間を踏んだとしてレッドカードを受け退場処分になった。
マンチェスター・ユナイテッドでの背番号は「8」。
ギャンブル好きで 2006年にはブックメーカーで約1億4000万円の損失を被ったと報道された。
マンチェスター・ユナイテッドでは加入以来ルーニーがゴールを決めると負けはおろか引き分けさえも無し、すべての試合で勝っているというジンクスが2005年12月まで約1年4ヶ月継続した。
[編集] エピソード
「遊び人」「暴力的」と揶揄されるが、プライベートでは幼馴染のコリーンさんと婚約するなど女性問題に関しては純情な面を持っている。 また同居している家の庭には、等身大の二人の銅像が飾ってある。
[編集] トラブル
- 2005年2月、アーセナル戦で受けた警告に抗議しfuckなどを連発。イギリスで物議を醸した。
- 2005年9月、代表戦でルーニーが審判を侮辱しようとした際に止めに入った主将デビッド・ベッカムに対しfuck、bitchを交えた発言。
- 2005年9月、欧州チャンピオンズリーグのビジャレアル戦で警告を出した審判に暴言と手を叩く侮辱的行為を行いその場で二枚目の警告を宣告され退場した。「レッドカード二枚に値する」と審判はコメントしている。
- 2006年7月、ドイツワールドカップ決勝トーナメントでリカルド・カルヴァーリョの股間を踏み付け、退場処分となる。FIFAから二試合の出場停止処分を受ける。
- 2006年9月、ブラックバーン・ローヴァーズのDFマイケル・グレイとナイトクラブで遭遇。婚約者とその女友達を侮辱する発言に激怒し、顔面を殴打した。
[編集] 所属チーム
- エヴァートンFC 2002-2004
- マンチェスター・ユナイテッド 2004-
[編集] 経歴
- 2002年8月17日 - プロデビュー(対トッテナム戦)
- 2002年10月19日 - プロ初ゴール(対アーセナル戦)
- 2003年3月12日 - A代表初出場 (親善試合) - オーストラリア代表戦
- 2003年9月6日 - A代表初ゴール - マケドニア代表戦
- イングランド代表史上最年少ゴール記録(17歳317日)
マンチェスター・ユナイテッド - 2006-2007 |
---|
1 ファン・デル・サール | 2 G・ネヴィル | 3 エヴラ | 4 エインセ | 5 ファーディナンド | 6 ブラウン | 7 C・ロナウド | 8 ルーニー | 9 サハ | 11 ギグス | 13 朴智星 | 14 スミス | 15 ヴィディッチ | 16 キャリック | 18 スコールズ | 20 スールシャール | 21 董方卓 | 22 オシェイ | 23 リチャードソン | 24 フレッチャー | 27 シルヴェストル | 29 クシュチャク | 32 カスカート | 33 イーグルス | 38 ヒートン | 監督 ファーガソン | |