クロアチア独立国
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クロアチア独立国(Nezavisna Država Hrvatska)とは、現在のクロアチアなどに存在した国家のひとつ。ナチスの傀儡国家である。
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[編集] クロアチア自治州
ユーゴスラビア王国は1918年に「セルビア・クロアチア・スロベニア王国」として建国された当初から、セルビア人とクロアチア人の不和という問題を抱え、ヴェルサイユ体制に支えられたセルビア人の専制政治に対しクロアチア人が大きな不満を抱いていた。これを重く見たセルビア人の王アレクサンダルは、1929年クーデターを起こして独裁政権を樹立し、国号もユーゴスラビアと改めた。しかしその後1934年、アレクサンダルがマルセイユで暗殺されるという事態が起こったため(当時クロアチア民族主義者の犯行と思われたが、現在真相は不明)、1939年ユーゴ政府は国内の一部をクロアチア自治州とすることで、セルビア人とクロアチア人との対立をなんとか収束しようとした。だがこの政策は国内の矛盾を拡大させただけで終わった。
[編集] クロアチア「独立国」
だがクロアチア民族主義者はこれに飽き足らず、北方で勢力を拡大していたナチスと関係を強くして、1941年クロアチア独立国を設立した。先鋒となったのは、クロアチア民族主義団体ウスタシャのアンテ・パベリッチであった。ウスタシャは旧ユーゴスラビア王国から以下の領土を割取した。
ウスタシャはこれらの地域に住むセルビア人に対する復讐を開始し、70万人近いセルビア人を強制収容所に収監して虐殺したといわれている。
ユーゴスラビア王国の国土はクロアチア独立国・ブルガリア・ルーマニア・ハンガリーの枢軸国軍によってあっという間に占領された。ユーゴ国王や政府要人はロンドンに亡命してセルビア人軍人を中心にチェトニックを組織し、クロアチア独立国に対抗した。だがチェトニックはクロアチア人を虐待するなど旧来のユーゴ軍の矛盾を内包していたため、セルビア人以外からはあまり支持されなかった。代わってドイツへの抵抗運動を指揮したのはユーゴスラビア共産主義者同盟のヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザンであった。1945年「クロアチア独立国」は独立を取り消され、その構成地域はすべてユーゴスラビアに戻された。
[編集] 関連項目
- ウスタシャ
- トミスラフ2世 (クロアチア王)
- クロアチア独立国軍
- 国家社会主義ドイツ労働者党
- アドルフ・ヒトラー
- 第三帝国
[編集] 外部リンク
- Independent State of Croatia - NDH
- Axis History Factbook - Croatia
- U.S. Holocaust Memorial Museum Holocaust era in Croatia (1941-1945)
- Independent State of Croatia's Military Decorations
- BBC News: Croatian holocaust still stirs controversy
- Biography of Pavelić
- Another Biography of Pavelic
- Two Bullets for Pavelić
- Miroslav Filipović-Majstorović
- Pavelic's escape to Argentina
- Ivan Goran Kovačić The Pit
- Jasenovac - a prisoner execution
- Independent State of Croatia proclamation
- genocide committed by Ustashi
- unindentified Croatian Ustasha
- Avro Manhattan: "The Vatican's Holocaust", a book about the Ustaše and the NDH