グレート・東郷
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グレート・東郷 (Great Togo) |
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プロフィール | |
リングネーム | |
本名 | ジョージ岡村 |
身長 | 168cm |
体重 | 体重100kg |
誕生日 | 1911年 |
死亡日 | 1973年12月17日 |
出身地 | 未確定(朝鮮説、沖縄説、熊本説) |
所属 | (アメリカで活躍) |
グレート・東郷(Great Togo)のリングネームでの活躍で最も知られるジョージ岡村(George Okamura、1911年 - 1973年12月17日)はアメリカの男子プロレスラー。出自については諸説あり、父は日本人、母は中国人のそれぞれアメリカ移民であったという説、両親とも日本人で熊本あるいは沖縄から移民したという説、朝鮮半島出身説などが語られていて、真相は不明である(この経緯は下記関連書参照)。身長168cm、体重100Kg前後。リング外では、各団体などと契約・金銭トラブルを起こしたこともあるが、戦後の日米プロレス界で一時代を築いたプロレスラーの一人である。
[編集] 経歴
第二次世界大戦後のアメリカのプロレス界で頭角を現した。その後来日し、日本プロレス、国際プロレスなどのリングにも上がった。
特に1962年に行われた「噛みつき魔」フレッド・ブラッシーとの一戦は壮絶で、東郷の額から激しく滴り落ちる流血をテレビで見た老婆がショック死したこともある。
アメリカのリングでは終戦直後の反日感情を利用してヒールに徹した。米国で軍国主義の頭目と見られていた東條英機の苗字にあやかったリングネーム「グレート・トージョー」を当初名乗ったが、「東條」の名字をそのまま使うのはあまりにも刺激が強すぎるという判断から著名な日本人軍人である東郷平八郎にあやかったリングネーム「グレート・東郷」に変更し、晩年までこのリングネームを用いた。リングコスチュームは股引スタイルで、米国人の日本人に対するイメージを満足させた。窮地に陥ったときの卑屈な懇願のあとの「股間への蹴り」や塩による「目潰し攻撃」などの反則技を売り物にした。
日本のリングでは、頭突き攻撃や空手チョップなどの技を使い、根性溢れるベビーフェイスとして活躍した。プロモーターとしても活躍しグレート・アントニオを来日させ、人間離れした獰猛なイメージを宣伝し、アントニオを鎖で繋いでリングに登場するなど、アメリカ仕込みの奇抜なアイデアで日本プロレス界を盛り上げた。
日本プロレスのアメリカにおける窓口として、様々なレスラーを斡旋するが、金銭トラブルから日本プロレスから決別される。その報復として、アメリカ遠征中だったジャイアント馬場に高額の契約金を保証するので、アメリカに定着するように説得するが、失敗に終る。
国際プロレスにも協力し、TBS放送開始初戦のルー・テーズ対グレート草津戦において、草津側のセコンドにもついている。しかし軋轢も多く、当初エースとして迎えられる予定だったヒロ・マツダは東郷の参加を嫌い早々に離脱。また日本のプロレス界を乗っ取ろうとしていると思われ、ユセフ・トルコから暴行を受けた(トルコ側は暴行を否定している)。
[編集] その他
永源遙がアメリカ修行時代に、グレート・トーゴーのリングネームを名乗っていたことがある。
[編集] 関連書
- 森達也 『悪役レスラーは笑う』「卑劣なジャップ」グレート東郷 岩波新書 新赤版 982 岩波書店 ISBN 4004309824
カテゴリ: アメリカ合衆国のプロレスラー | 1911年生 | 1973年没