反日感情
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反日感情(はんにちかんじょう、英語 Anti-Japanese sentiment)とは、日本や日本人に対して抱いている反感。反日感情という表現は日本のリベラル、共産主義に対する反感にはあまり使用されない。また欧米に関してはジャパンバッシングという表現が使われる傾向がある。しかし本項では世界の日本に対する反感をまとめて扱う。
目次 |
[編集] 反日感情の原因
原因として真っ先に挙げられるのが第二次世界大戦や旧日本領に対する行為である。現在でもこれらの行為に肯定的あるいは擁護する発言を行った政治家が、しばしば右翼的だとして批判されている。(右翼は批判する側からの呼び方)。高度経済成長期においては、その成長に対して摩擦が起こった。
一例としてはバブル経済最中の、三菱地所がニューヨークのシンボルであるロックフェラー・センターを買収してニューヨーク市民の反感を買った事がある。また海外旅行が一般的になると、旅行者による迷惑行為に不信感を覚える現地の人もいる。主にタイ、ベトナム、カンボジアなどにおいて児童買春を目的とする日本人旅行者には世界的批判を浴びている。また日本の文化、風習が思わぬ反感や誤解を生むこともある。海外在住の日本人社会や日本国外の日系企業において、日本人の比較的同民族同士の集団にまとまりやすい傾向は現地人との相互理解を妨げている。それが昇進、昇給の差別とされ訴訟問題に発展したことにもなった。
イスラム教徒の間ではイラク戦争におけるアメリカ追随の姿勢に反感を覚える人もいる。(ごく一部のイスラム過激派によるとみられるイラクにおける、自衛隊に対する攻撃や人質事件。日本人が巻き込まれたバリ島爆破。)
国内においては、日本国内で就労を斡旋された外国人出稼ぎ労働者が、日本人ではやる人が居ないような過酷な職場に不当拘束される事件もあるなど外国人就労者の反発を招いている。また本人の意志に反して売春させられる女性外国人に関して人身売買と批判される事がある。
[編集] 東アジアの反日感情
特に中国・韓国・北朝鮮において、日本が韓国併合を行った事や日中戦争(支那事変)など、太平洋戦争(大東亜戦争)を中心とした近代の日本の活動が反日感情の主な原因とされる。また領土問題、歴史教科書問題、日本の首相の靖国神社参拝問題、保守(右翼)政治家の発言、なども原因として挙げられる。ただしこの中には中国や韓国の現地政府の政策との関連やマスコミの扇動による影響が少なからずある。最近ではインターネットの普及で日本人の本音を知ることが出来たことや、反日感情を刺激するサイトの影響もある。
東南アジアでは華僑が日本に対する抗議行動の急先鋒となることがあるが、戦後の日本の援助が評価されたこともあり歴史問題についての反感は表に出にくい。
[編集] 中華人民共和国における反日感情
かつて日本の侵攻を受けた中国でも南京大虐殺や日本軍の化学兵器遺棄、中国人強制連行などの歴史的背景が原因となって反日運動が行われている。 また日中戦争における日本の残虐性に重点のおかれた、戦争の事実を学校で教えている。この教育については、「反西洋を愛国」とし、「野蛮な犯罪を革命」とする思想であるという指摘がある[1]。
また尖閣列島の領有権や東シナ海の海底資源をめぐって対立も歴史問題に加えて反日感情を助長した。中国マスコミも2003年9月に起こった珠海日本人買春事件など対日感情を悪化させる報道をすることがある。中国では自由な報道が許されていないため、これらの報道の背景には国民の不満を外に向けさせることで体制の延命を図りたいという中国政府の意思が働いているものと考えられている。
[編集] 2005年の中国における反日活動(デモ)
2005年日本の国連安保理常任理事国入りの可能性が濃厚になると、中国で反発が高まり、ネットで1,000万人を越える反対署名が集められた。4月9日には北京で日中国交回復以来最大となる1万人の学生が参加した反日デモが発生した。このデモ隊は日本大使公邸まで行進の後、一部が日本大使館や日本企業に投石を行うなど暴徒化した。4月10日には広州で2万人参加のデモが行なわれた。デモ隊はいっそう過激化して、日本人が中国人に殴られたり、中国人経営の日本料理店や中国人が乗る日本車に対して攻撃するなどした。北京政府の謝罪は無く、これらに対する補償はあくまで上海市当局や国営企業名義で行なわれた。
[編集] 香港における反日感情
中国香港では反日感情は中国に比べて穏やかである。しかしながら、2005年4月17日中国大陸のデモに伴い、数千人規模の反日デモが発生した。秩序だった示威行動のみで、暴力的な事件は起きていない。
[編集] 台湾(中華民国)における反日感情
尖閣諸島で意見の相違があるものの、中華民国政府は日本寄りの行動や発言をすることが多い。しかしこれは中国に対する牽制の意味合いが強く、反日感情は非常に少ないが皆無ではない。靖国神社を議員団(国会議員ら)が参拝した事に対しては限度を越えているとして、統一派から抗議がその議員団に浴びせられた。また、本省人が親日、外省人が反日という見解がしばしばあるが、実際はそう単純ではない。
[編集] 朝鮮半島における反日感情
朝鮮半島と日本は、古く有史以前より度々人的交流が見られるなど、かなり関係深い間柄であるが、それだけに根強い軋轢があるのも事実である。日本海呼称問題のような韓国サイドの対日コンプレックスに関わる問題もある。戦前の朝鮮半島においては、却って戦後直後に生まれた世代より日本に反感を感じない人も多く、反日感情の原因は戦後の反日教育と親日的韓国人、朝鮮人への締めつけだという意見もある。
韓国では1998年の金大中大統領訪日以前には、日本の文化に対して否定的な風潮もあった。日韓併合(日本の敗戦により終了)で一時朝鮮半島が日本の領土となっていたこともあり、若干の親日派が存在する一方で、現在でも反日感情は根強い。また在日コリアンの問題もあって、それらの人々の扱いを巡る感情的な問題が起こることもある。特に1990年代やそれ以前には、日本文化に関する表現も、厳しく制限されていた。
日本の映画や音楽の流通と広告は禁止されていた。しかし、実際には、韓国南部では日本語放送を傍受できたほか、日本国内で録音、録画したものが密輸入され、海賊版として流通していた。一部のアニメは日本から輸入され、スタッフ欄、作品内の表現や文字を書き換えて、あたかも韓国内で作られた作品であるかのように捏造され、或いは和服などの日本を連想させる描写をカット、或いはそのようなシーンを含む回を隠蔽・放送しない形で放送されていた。これらのアニメは手塚治虫作品など、日本国内でも高い評価を受けた作品が中心であり、韓国では日本の大衆文化を排除しつつ、一般的な韓国人が気がつかない形で日本文化の"摂取"が行われていた。また日本統治時代の名残である日本の武道が韓国式にアレンジされ、それを韓国独特のもの、甚だしきは韓国のそれらの武道こそが日本武道の起源と称していた。このため、韓国人は、それらを日本文化と知らず、韓国独自のものだと錯覚し続けてきた(韓国起源説参照)。日本文化の露骨な模倣が行われることも多々あり、その結果、韓国の大衆文化は現在でも日本の大衆文化の二番煎じ的類似性を有している。このような事実を知らないため、韓国では日本の大衆文化が韓国のものに似ているのは、日本が韓国の模倣を行っているためであると信じている人も多い。近年の大衆文化開放は、このような誤解を解くと同時に、新たな論争も呼んでいる(関連項;倭色)。
1991年に従軍慰安婦捏造問題において、実際に拉致されたと主張する人が名乗り出始め、この問題が一部マスコミで取り上げられた。この名乗り出に、当時の日本政府は当初、戦後補償に含まれて居たとしてこの申し出に関して取り下げさせようとしたが、逆に事態を悪化させる結果を招き、韓国国内における反日感情の高まりへと発展した。ソウルの日本大使館への侵入やデモ、国旗を焼き捨てるなどの暴動が発生した。この事態を重く見た日本政府が同年12月に調査を指示、1995年には同女性らに対する補償を目的とした財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(略称:「アジア女性基金」)を設立、同問題の終息化に向かった。
2003年に発足した現在の盧武鉉政権は政治的に反日を利用している。2005年に韓国政府が日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約交渉議事録を公開し、韓国国民個人への補償は韓国政府が行うので日本政府は韓国政府へ一括して支払うこととしていることが明らかになった。しかし、その後盧武鉉大統領は日本側に一部補償義務が残されているという演説をおこなった。2005年3月には島根県議会が竹島の日条例を制定したことから韓国政府や地方自治体レベルの抗議や交流停止が相継ぎ、これに抗議するわずか10人程度の小規模なデモが今も頻繁に起きている。(竹島の日参照)
一方、日本側では、1998年には同国大統領金大中の訪日や、日韓合同のワールドカップ開催、また2000年代の韓国製テレビドラマ日本国内放映による親韓ムードや日韓間の文化交流などが関係改善に貢献している。
北朝鮮では反日感情を当局が政治的に利用している。基本的には韓国の反日感情を時を追って再現する形である。また彼らの深層心理にある小中華思想に基づき、彼ら曰く本来もっとも文化的に劣っているはずの日本が、いまや大国になっていることに対する嫉妬の表れであるいう意見もある。しかし同様の感情は日本にも加藤紘一や二階俊博、河野洋平といった形で現れている(小中華思想参照)。
[編集] 欧米等における反日感情
第二次世界大戦当時、旧日本軍は戦時初期にイギリス・オランダの植民地を攻撃、また大戦当初と後期にはアメリカと戦闘状態に陥った。そして日本に対する反感は日系人に向けられ強制収容された。戦時捕虜は、一定の範疇内で人道的に扱われていたとされるが、戦後の東京裁判において、捕虜への虐待や必要以上の重労働に動員といった事実が捏造された。
また日本は当時、オーストラリアにも攻撃を加え、北部・西部沿岸部に空爆や潜水艦による攻撃を行った。この際、医療船セントールを攻撃した事件(戦時活動中の医療関係への攻撃は、殊更問題視される)においても、戦時史実上の悲劇と伝えられている。また東南アジア方面で活動していたオーストラリア兵2万2000名が日本軍によって捕虜とされたが、内1/3が収容所で死亡しており、捕虜の扱いに関する非人道性が問題とされる。
今日でもイギリスを始めとする関係国では、戦時博物館などに於いて日本軍との戦闘に関する資料が展示され、学校教育の一環で見学者も絶えない。高齢者を中心として、一定のネガティブな印象をもつ者が居る。教育は戦勝国の被害に重点をおいて行なわれている。
欧米は欧米同士の戦いからアジアをも植民地支配をしていた経緯などもあり、これらの反日感情は極めて薄いものである。
2005年の中国のデモと同時期に、中国系、韓国系アメリカ人により国連本部前でのデモが行なわれた。
[編集] ジャパンバッシング(経済摩擦)
米国の自動車産業は1980年代、小型低燃費な日本車の輸入がオイルショックの追い風もあり壊滅的打撃を被っていた。アメリカの農家からは日本の農家保護を目的とした輸入制限措置により、不満が噴出していた。そのため次第に米国内の国民対日感情は悪化していった。この時期、日本の商業捕鯨が環境団体に取り上げられると、自然保護団体と環境ロビイストに押された議員などが日本批判のキャンペーンを実施、これに貿易不均衡に不満を持つ業界団体を加えて、大規模な反日キャンペーンが方々で開催された。この中には、日章旗を燃やしたり、日本製乗用車をハンマーで叩き潰すといった過激なパフォーマンスが行われた。(捕鯨問題の項を参照の事)
[編集] 注釈
- ^ 中国の歴史教科諸問題(袁偉時著、2006年、日本僑社)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 古森義久「中国の‘反日’教育」(中国の教科書に見る反日教育)