サラリーマン新党
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サラリーマン新党(さらりーまんしんとう、)は、昭和・平成期における日本の政党・政治団体。略称はサラ新。
昭和58年(1983年)、全国サラリーマン同盟の青木茂らにより結成。
現在も書類上は存続しているが、実質的な政治活動は行っていない。
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[編集] 概要
[編集] 源泉徴収の撤廃
1982年(昭和57年)8月18日、参議院選挙の全国区が比例代表区に変わることが決まり、無所属での立候補ができなくなった。そこで立候補するため便宜上の政党(制度上は確認団体)が多く結成されたが、サラリーマン新党もその一つであった。
サラリーマン新党は、1983年5月8日、青木茂らによって結成された。サラリーマンの(より広義には年収2000万円以下の全ての給与所得者の)ほとんどは源泉徴収により所得税などの税金を自動的に天引きされている。また、サラリーマンには必要経費が認められず、確定申告を行える医師や自営業者などより収入では劣るのに、納税額は逆に高い不公平税制になっていると主張した。サラリーマンには源泉徴収によって、高率で税を捕捉されている(いわゆるクロヨン、トーゴーサンピン)との不満が背景にあった。また、サラリーマンの多くは労働組合に加入しておらず、自らの政治的立場を代弁する勢力は存在しなかった。
こうした不公平税制の是正、サラリーマンの必要経費容認を公約に訴え、1983年の参院選では2議席(青木・八木大介)を獲得し注目を浴びた。1986年の参院選でも1議席(平野清)。さらに、当選には及ばなかったが、衆議院選挙にも候補を擁立した。
サラリーマン新党の訴えは、給与所得控除の増額という形で一定の成果を見た(個別に必要経費を算出するのが困難であるとの理由で、給与所得に応じて概算した経費を控除する方法である)。実質的には、自営業者などよりもむしろ有利になったとの指摘もある。
しかし、源泉徴収によるサラリーマンへの徴税という制度の根本は、その効率の高さから変えられることはなかった。確定申告への一本化はもちろん、その拡大も事実上果たせなかった。加えて一口にサラリーマンといっても、高額所得者と低額所得者、大企業社員と中小企業社員の利害は必ずしも一致せず、また、党自体も野党的立場をとりつつも大企業から積極的に政治献金を募るなど自民党的体質が見られ、社会党には「保守」、自民党には「革新」と批判されるなど、政治的立場は不安定であった。また、新党のインパクトが薄れ、党の求心力が落ちていったことも衰退の理由だった。
1989年の参院選の直前に八木が離党。更に元副代表の佐々木清成が同名の政党で立候補の動きを見せる(結局、佐々木らは立候補を断念)など分裂状態になり、折りしも日本社会党の土井たか子ブームの煽りを受け現職の青木代表を含め全員落選の憂き目に遭った。落選した青木に代わり平野が党代表になるものの、翌年に平野も自民党に移籍。国政の議席を失ったが、井上信也(元摂津市長)を中心に活動を続けた。
1992年の参院選では党としての独自候補擁立を見送り、井上代表は社会党の比例代表区から立候補(落選)。また青木は江田五月らに誘われ社民連から立候補したが落選。以降、党としての活動は見られなくなった。
[編集] 党史
[編集] 党勢の推移
[編集] 衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結党時) | 0/- | 511 | |
第38回総選挙 | ●0/1 | 512 |
[編集] 参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(結党時) | 0/- | - | 252 | |
第13回通常選挙 | ○2/10 | 0 | 252 | |
第14回通常選挙 | ○1/9 | 2 | 252 | |
第15回通常選挙 | ●0/10 | 1 | 252 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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