シガツェ市
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各種表記 | |
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チベット文字: | གཞིས་ཀ་རྩེ ་གྲོང་ཁྱེར་ |
ワイリー方式: | gzhis ka rtse grong khyer |
蔵文ピンイン: | Xigazê |
カタカナ転写: | シガツェ・ドンキェル |
簡体字: | 日喀则市 |
漢語ピンイン: | Rìkāzé Shì |
片仮名転写: | リーカーツォー・シー |
英語名: | Shigatse City |
情報 | |
省級行政区: | チベット自治区 |
地級行政区: | シガツェ地区 |
面積: | 3,700km² |
人口: | 9万人(2002年) |
郵便番号: | 857000 |
市外局番: | 0892 |
自治体公式サイト: | {{{公式サイト}}} |
シガツェ市(しがつぇし)はチベット第二の都市で、ツァン地方の宗教、政治、経済、文化の中心。公用語の公式呼称は、中国語で「日喀則市」、チベット語で「གཞིས་ཀ་རྩེ་གྲོང་ཁྱེར་(シガツェ・ドンキェル)」。チベット仏教第二の指導者パンチェン・ラマが代々住まい、中国政府により国家歴史文化名城に指定された。
チベット語の表記は、གཞིས་ཀ་རྩེ་གྲོང་ཁྱེར་ gzhis ka rtse のほか、 実際の発音に合わせགཞིས་ཀ་རྩེ་ gzhi ka rtse とも綴る。
目次 |
[編集] 歴史
8世紀にインドの高僧パドマサンババがこの地を通った時、山河が素晴らしかったのでここに留まり修行をして、ここがラサに次ぐ都市となると予言したという。1349年、パクモドゥパの大司徒チャンジュプゲンツェンがここに都市を建設し、その名を「最も美しい如意成就荘園」を意味する「シーガ・サムトゥン・ドゥッペー・ツェモ(གཞིས་ཀ་བསམ་དོན་འགྲུབ་པའི་རྩེ་མོ gzhis ka bsam don 'grub pa'i rtse mo)」とした。現行の正式呼称「シガツェ(gshis ka rtse)」はその略称。1563年には、ツァントェ王(gtsang stod rgyal po)を自称するニャクパ(シンシャクパ)政権の拠点となり、大きく発展した。1642年、ゲルク派信者のグシ・ハンによって陥落した際、壮麗な王宮は破壊されたが、以後もタシルンポ寺の門前町として繁栄した。現在チベット(西蔵)自治区シガツェ地区の地方行政機構の所在地。
(沿革)
- 1955年-1959年、チベット動乱
- 1959年、人民解放軍、西蔵のほぼ全域を掌握。
- 1960年、シガツェ県を設置。
- 1986年、国国務院、国家歴史文化名城の称号を授与、同年、県をあらためて市とする。
[編集] 行政区画
[編集] 地理
シガツェはチベット南部、ヒマラヤ山脈北麓、ヤルンツァンポ川とニャンチュ川(楚河)の合流地点に位置する。海抜3840mの中国最高の都市。年平均気温は6℃、降水量は420mm。人口はチベット族が多数で、農業は主にハダカムギ、コムギの栽培とヤクの放牧等、手工業が比較的発達している。 ギャンツェと隣接している。
[編集] 文化と観光
シガツェは歴代パンチェン・ラマの住まう場所である。パンチェン・ラマはゲルク派でダライ・ラマに次ぐ第二の高僧である。パンチェン・ラマが座主を務めるタシルンポ寺は街の南、山に沿って建てられている。それは広大な宗教と政治の機能を具えたシガツェ市の中心にしてゲルク派の四大僧院の一つである。街の東南にあるシャル寺は美しい壁画が数多く残る、ラマ教ゲルク派の起源の地で、11世紀に建設された。ナルタン寺、俄爾寺、安貢寺などの古い寺や住居が今もなお使われている。
- 国家歴史文化名城:シガツェ
- 全国重点文物保護単位:タシルンポ寺、シャル寺