シルヴィオ・ベルルスコーニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シルヴィオ・ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi, 1936年9月29日 - )は、イタリアの実業家・政治家。首相(在任1994年4月 - 1994年12月、2001年6月 - 2006年5月 )。フォルツァ・イタリア党首。イタリアフットボール1部リーグ(セリエA)ACミラン会長。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] メディア王
ミラノ生まれ。ミラノ大学法学部卒。歌手、掃除機販売業を経て、建設業で成功する。また、1978年に地方民放TV局「テレミラノ」を開局 、1988年には百貨店「スタンダ」会長に就任し、一代で建設・流通・メディアにわたる企業グループ、フィニンベストを築き上げた。特にメディア部門を統括するメディア・セットは、全国的な地上波放送を行う民放4局のうち、Italia 1、 Rete 4、Canale 5の三つを所有する。イタリアのメディアの70パーセントをコントロールするといわれる。
[編集] 政界
政界への進出は1990年代に入ってから。1993年頃から追求が始まった汚職疑惑で、キリスト教民主党を始めとした政権与党が崩壊寸前に陥る間隙をぬって、1994年1月フォルツァ・イタリアを結成。豊富な資金力と支配下のメディアの積極的な活用で下院議員に当選し、国民同盟・北部同盟と連立政権を画策した。自身は同4月、戦後第53代イタリア首相に就任。しかし翌年には政界入り前の贈賄の疑いで起訴(この事件については2004年12月、時効を理由として無罪判決が下ったが、分離裁判においてベルルスコーニの元側近が贈賄罪で1審有罪判決を受けている)され、更に連立与党間の対立が引き金となって政権は崩壊。一度は下野したものの、2001年総選挙で再び勝利し、再度首相となった。
再び政権について以降は、国営放送RAIに対しても影響力を行使しようと画策。2002年にはメディア・セット社が、民放1局を衛星放送に切り替えるように憲法裁判所から判決を下されたものの、翌2003年12月にいわゆるガスパリ法案が議会で可決。メディア寡占規制が緩和されると同時に、国営放送RAIは分割民営化されることになると見られていた。しかし、イタリア内外で非難を浴びたため、カルロ・アツェリオ・チャンピ大統領は署名を拒否し、法案を下院に差し戻した(参照:イタリア憲法)。
2003年7月2日、2003年下半期のEU理事会の議長国の首相として欧州議会で演説し、彼を批判したドイツのマルティン・シュルツ議員に対し、「Signor Schulz, so che in Italia c'è un produttore che sta montando un film sui campi di concentramento nazisti: la suggerirò per il ruolo di kapò. Lei è perfetto!」(シュルツさん、私はナチス時代のドイツの強制収容所に関する映画の製作者を知っています。あなたを看守役に提案しましょう。あなたならピッタリだ!)と発言し、問題となった。2004年の夏季休暇中に、密かにプチ整形と植毛を行ったことで世界中の話題となった。
2005年10月19日に来日する予定であったが、2006年4月9日、10日投票のイタリア総選挙の準備のため、来日は中止された。意外にもベルルスコーニは主要国首脳会議参加経験者であるにもかかわらず生涯一度も来日したことがない。また日本にとってイタリアは、主要国首脳会議参加国の中ではカナダに次ぎ政治的経済的関係が薄く、内閣総理大臣のイタリア公式訪問は2000年の森喜朗を最後に行われていない。2001年には小泉純一郎がイタリアを訪問したが、この時は主要国首脳会議に参加するための非公式訪問であり、主要国首脳会議の参加以外での内閣総理大臣のイタリア訪問は2000年の森を最後に行われていない。
2006年4月9、10日に行われた総選挙では、ロマーノ・プローディ元首相・前欧州委員会委員長率いる中道左派連合との一騎打ちとなり、最後まで大接戦を繰り広げたが、僅差で野党が勝利。票の再集計など混乱が続いたが最終的に敗北宣言した。事前に苦戦が伝えられた中で善戦したことで、中道右派連合において一定の求心力を維持し、引続き野党指導者として新政権と対決していくことを表明した。
[編集] 評価
政党が乱立し、政権基盤が不安定で短命に終わりがちなイタリア内閣史の中で、失業率の改善など経済の漸進的な回復を背景に、ベッティーノ・クラクシ政権を超える戦後最長の任期を誇った。他方で危機的な財政状況を改善させることはできず、また、圧倒的なメディア支配力と資金力を背景に強圧的な政治姿勢を取る姿勢には、独裁的であるとの批判が内外から寄せられた。他にも、政界入りする以前より、度々マフィアとの親密な関係が報じられている。
[編集] 家族
前妻カルラ・デッローリオとの間に長女マリア・エルヴィラ(通称マリーナ)と長男ピエルシルヴィオ、現在の妻ヴェロニカ・ラリオ(本名:ミリアム・ラッファエッラ・バルトリーニ)との間に次女バルバラ、三女エレオノーラ、次男ルイージを持つ。
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
- Italian young fans of Silvio Berlusconi
- Italian government: official Silvio Berlusconi biography
- Profile: Silvio Berlusconi, BBC
- Forza Italia, Berlusconi's political movement; click on International for an English version.
- A popular paper spread among the members of the European Parliament about Berlusconi's life chronology, mysteries and trials. By Marco Travaglio and Peter Gomez.
- A chronology of Berlusconi's life from Ketupa.net
- The fall and rise of Silvio Berlusconi
- Berlusconi cuts stake in television company, IFEX
- Il Cavaliere
- Silvio Berlusconi
- Forbes.com: Forbes World's Richest People
- BBC News Europe: Berlusconi in his own words
- The handbill against the Urbani decree
|
|
|
|