ジミー・コリンズ
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ジミー・コリンズ(James Joseph "Jimmy" Collins, 1870年1月16日 - 1943年3月6日)は、1890年~1900年代のアメリカ・メジャーリーグの選手。主なポジションは三塁手。ニューヨーク州バッファロー生まれ。右投げ右打ち。打撃・守備に優れた名三塁手で、現ボストン・レッドソックスの初代監督。
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[編集] 略歴
- 1895年にナショナルリーグのボストン・ビーンイーターズからデビュー、同年5月にルイビル球団に貸し出されるような形で移籍、翌年またボストンに復帰する。デビューからすぐは主に守備力を買われた選手だったが、1897年には打率.346、132打点、1898年には本塁打王となるなど、打撃面で目立った活躍をし始める。
- 1901年アメリカンリーグ創設とともに新球団のレッドソックスに移籍、選手兼任監督となる。チームは1903年,1904年にリーグ優勝、第1回のワールドシリーズも5勝3敗で制覇するが、翌年のワールドシリーズはジョン・マグローが率いるニューヨーク・ジャイアンツが対戦を拒否、シリーズは開催されなかった。
- リーグ設立後最初の5年間は常に上位にいたレッドソックスだったが、1906年はシーズン105敗を喫する不振にあえぎ、コリンズはシーズン途中でチック・スタールと監督を交代する。翌年アスレチックスに移籍、1908年に現役を引退する。1943年生まれ故郷のバッファローで死去。
- 1945年、ベテランズ委員会により、アメリカ野球殿堂入り選手に選出された。三塁手としての選出は彼が最初であった。
[編集] 所属球団
- ボストン・ビーンイーターズ (1895-1900年)
- ルイビル・コロネルズ (1895年)
- ボストン・アメリカンズ (1901-1907年) ※監督兼任 (1901-1906年)
- フィラデルフィア・アスレチックス (1907,1908年)
[編集] 通算成績
[編集] 打撃成績
※数字の後の"(+)"は、記録不明の箇所があることを示す。
- 試合:1726
- 打数:6795
- 安打:1999
- 二塁打:352
- 三塁打:116
- 本塁打:65
- 得点:1055
- 打点:983
- 盗塁:194
- 三振:32 (+)
- 四球:426
- 死球:84
- 打率: .294
- 出塁率: .343
- 長打率: .409
[編集] 獲得タイトル・記録
[編集] 監督としての戦績
- 所属:ボストン・アメリカンズ (1901-1906年)
- 戦績:455勝376敗、勝率.548、リーグ優勝2回 (1903,1904年)
[編集] エピソード
- 特にバント守備の名手としてたたえられた。当時のスポーティングガイド誌は、その守備を「鷹が獲物をさらっていくよう」だと形容した。
[編集] 出典・外部リンク
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