スティーブ・バルマー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スティーブン・アンソニー・バルマー(Steven Anthony Ballmer, 1956年3月24日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。
目次 |
[編集] 経歴
ミシガン州デトロイトに生まれる。父はスイスの移民。母はユダヤ人[1]。デトロイト近郊のファーミントンヒルズで育ち、父は米フォード・モーター社にマネージャーとして勤務した。私立学校在校時にはバスケットボールチームの監督を務める。1973年、同校を4.0の学業平均値で卒業し、クラスの卒業生総代となる。SAT の数学で800点満点をとり[2]、数学トーナメントにも参加。ハーバード大学への奨学金も獲得。
ハーバード大学在学時には学内機関紙の The Harvard Crimson と The Harvard Advocate の広告部長を務める。ビル・ゲイツとは大学1年生の時に知り合い、同じ学生寮の同じ部屋に住んでいた。その関係はゲイツがマイクロソフトを設立するために大学を中退した後にさえ続くことになる。1977年、第2位優等で卒業し、応用数学と経済学の学士号を取得。
卒業後は米プロクター・アンド・ギャンブル社でアシスタントプロダクトマネージャーを2年間務める。経営学修士号を取得するためにスタンフォード大学経営大学院にも通学したが、ゲイツに米マイクロソフト社への入社を勧められ中退。1980年6月にビジネスマネージャー(事業担当管理職)として採用され、米マイクロソフト社の24人目の従業員になる。
オペレーティングシステム開発、経営、販売、サポート事業部門長などを経て、1998年7月には社長に昇進。2000年1月にはゲイツの辞任に伴い最高経営責任者に就任した。バルマーは、ゲイツに次いでマイクロソフトに最も長く勤務している従業員でもある。
バルマーは、技術者肌であるゲイツに対して経営のアドバイザー的な役割を果たし、マイクロソフトを大企業に仕立て上げた立役者でもある。また、基調講演で「I love this company!」と絶叫するなど[3]、ユーモラスな人柄も持ち合わせている。かつては Windows 1.0 のテレビコマーシャルにも出演し、熱狂的にアピールする姿を見せた[4]。
[編集] 参考文献
- Fredric Alan Maxwell: Bad Boy Ballmer : The Man Who Rules Microsoft, New York, HarperCollins Publishers Inc, 2002, ISBN 9780066210148
- (和訳版)フレデリック・アラン・マクスウェル. 遠野和人 訳: マイクロソフトCEOバルマー : 世界「最強」の経営者, 東京, イースト・プレス, 2003, ISBN 487257334X
[編集] 脚注
- ^ Sachs, David (2000年2月18日). "The Other Mr. Microsoft" Atlanta Jewish Times. 2007年3月10日閲覧.
- ^ Karlgaard, Rich (2001年3月19日). "Microsoft's War Of Attrition" フォーブス. 2007年3月10日閲覧.
- ^ "Why Ballmer's 'monkey boy' dance was a tour de force" ZDNet: 2001年8月24日. 2007年4月10日閲覧.
- ^ Steve Ballmer Windows 1.0 commercial, Google Video
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国の実業家 | マイクロソフトの人物 | ユダヤ系アメリカ人 | 億万長者 | ミシガン州の人物 | 1956年生