スペイン人民戦線
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スペイン人民戦線は1936年~1939年までスペインにて存続した社会主義連合政権。首班はマヌエル・アサーニャ。
[編集] 経緯
1936年2月、スペイン革命によりブルボン朝のアルフォンソ13世が退位すると、共和派、農民・労働者・知識人は当時のソ連の繁栄の影響を受け社会主義政権発足を目指し始めた。当時スペイン国内に散在していた共産党をはじめとする社会主義政党をまとめ上げ、挙国一致内閣を成立させた。これは、フランスのレオン・ブルム政権とともに、ソ連がコミンテルンを通じて各国の共産党に社会主義勢力や自由主義勢力との連合政権樹立を指示した人民戦線戦術の成功例であった。
これに反対する軍部・右翼・地主・旧貴族・カトリック教会などの保守階級は当時モロッコに赴任していたフランコ将軍を推し、人民戦線政府に対し反乱を起こす。これにより、スペイン内戦が開始された。
ソ連をはじめ、世界各国の社会主義政党・共和派・反ファシズム派の援助を受け、人民戦線はしばらくは持ちこたえたものの、ブルム政権が短命に終わった後のフランスや、人民戦線政府で勢力を拡大しつつあったスペイン共産党を嫌ったイギリスやアメリカは中立を維持した。一方、ファシズム政権の誕生を期待したナチス・ドイツ、イタリアなどのファシズム国家の大量の軍事支援を受けたフランコ軍は圧倒的軍事力で人民戦線を壊滅に追い込む。
1939年2月に人民戦線政府は国外に亡命し、フランコ軍は首都のマドリードを攻め落とし内乱は終結した。
人民戦線の敗因は社会主義政党間の不和や軍備の寄せ集めで対抗したことなどで、その後に多くの課題を残した。
[編集] 政党
- 全国労働者連合(スペイン)(CNT)
無政府主義者(アナーキスト)系の政党。初期は構成員の一部である農民にカトリック教徒が多かったため比較的穏健だったが、1934年頃から過激派になる。傘下に戦闘的労働組合「イベリア・アナーキスト連盟」(FAI)を持つ。
- マルクス主義統一労働者党(POUM)
人民戦線中、最大の政党。アンドレス・ニンら指導者は基本的にトロツキー主義を標榜していたが、後にトロツキーと対立し、1935年にトロツキー主義を放棄。 その後、共産党と対立して内輪もめを起こし、ニンは粛清された。傘下に青年組織「イベリア共産青年団」を持つ。
- カタルーニャ社会主義統一労働者党(PSUC)
スペイン共産党系の組織。スターリン主義を標榜し、CNTやPOUMと対立していた。傘下に青年組織「社会主義青年同盟(スペイン)」(JSU)を持つ。
- 労働総同盟(スペイン)(UGT)
1882年8月12日に結成された社会党系組織。社会民主主義を標榜し、スペイン共産党と対立していたが、人民戦線の結成時に協力。