セント・ジョージ岬沖海戦
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セント・ジョージ岬沖海戦 | |||
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米駆逐艦チャールズ・オズバーン |
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戦争: 太平洋戦争 | |||
年月日: 1943年11月24~25日 | |||
場所: ソロモン諸島、ブカ島沖 | |||
結果: アメリカの勝利 | |||
交戦勢力 | |||
大日本帝国 | アメリカ合衆国 | ||
指揮官 | |||
香川清登中将 | アーレイ・バーク大佐 | ||
戦力 | |||
駆逐艦5 | 駆逐艦5 | ||
損害 | |||
駆逐艦3沈没、戦死647 | なし | ||
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セント・ジョージ岬沖海戦(1943年11月24日から25日)とは太平洋戦争中の海戦。ソロモン諸島ブカ島沖で日本軍のブカ島への輸送部隊(駆逐艦5隻、香川清登大佐)とアメリカ艦隊(駆逐艦5隻、アーレイ・バーク大佐)が交戦し、日本軍の駆逐艦3隻が沈没した。日本名ブカ島沖夜戦。
[編集] 概要
1943年11月1日、アメリカ軍はブーゲンビル島タロキナへ上陸した。そのため、日本軍はブーゲンビル島北西のブカ島強化のため、ラバウルより輸送を行うこととなった。
1回目は11月21日に輸送隊(駆逐艦「天霧」、「夕霧」、「卯月」)、警戒隊(「大波」、「巻波」)の5隻で行われた。
2回目も同じ艦艇で11月24日1330にラバウルを出航した。 一方、アメリカ軍はこれを阻止するため駆逐艦5隻を向かわせた。
2049、輸送部隊はブカ島に到着し、揚陸を開始した。そして、2245にブカ島を出発、ラバウルへ向かったが、警戒隊と輸送隊はかなり離れていた。2341、アメリカ軍はレーダーで日本軍の警戒隊を発見、2356に魚雷を発射した。日本軍はアメリカ軍の存在に気づいていなかった。先行していた警戒隊は輸送隊との距離を縮めるために減速した。その時、0002に大波、巻波に魚雷が命中した。大波は轟沈し、巻波もその後砲撃を受け沈没した。さらにアメリカ軍は輸送隊を追撃し0030に砲撃を開始した。夕霧が集中砲火を受け0130に沈没し、卯月も損傷した。