第二次ベララベラ海戦
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第二次ベララベラ海戦 | |||
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沈没した米駆逐艦シュバリエ |
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戦争: 太平洋戦争 | |||
年月日: 1943年10月6日 | |||
場所: ソロモン諸島、ベララベラ島沖 | |||
結果: 日本の戦術的勝利 | |||
交戦勢力 | |||
大日本帝国 | アメリカ合衆国 | ||
指揮官 | |||
伊集院松治中将 | フランク・R・ウォーカー | ||
戦力 | |||
駆逐艦9、補助艦艇20 | 駆逐艦6 | ||
損害 | |||
駆逐艦1沈没、戦死138 | 駆逐艦1沈没、駆逐艦2大破、戦死64 | ||
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第二次ベララベラ海戦(Battle of Vella Lavella)とは太平洋戦争中の1943年10月6日に、ソロモン諸島のベララベラ島沖で発生した海戦。日本軍のベララベラ島撤収部隊とアメリカ軍が交戦し、双方駆逐艦1隻が沈没した。
[編集] 概要
ベララベラ島の日本軍は8月15日に上陸した連合軍によって島の北西部へ追い詰められていった。 そして、10月6日にはベララベラ島からの撤収が行われることとなった。 参加部隊(伊集院松治大佐)は夜襲部隊(駆逐艦6隻、第3水雷戦隊より抽出)、輸送部隊(駆逐艦3隻)、収容部隊(駆潜艇5隻、艦載水雷艇3、大発1)である。
夜襲部隊、輸送部隊は朝ラバウルを出航し、収容部隊は夕方にブーゲンビル島ブインを出航した。 連合軍は哨戒機より日本軍の部隊の情報を得、迎撃のため駆逐艦3隻(フランク・ウォーカー大佐)がベララベラ島沖へ向かった。
日本軍はベララベラ島付近でアメリカ艦隊を察知し、輸送隊を退避させ、2055時より夜襲部隊の駆逐艦4隻はアメリカ軍と交戦を開始した。 アメリカ軍の駆逐艦シュバリエが魚雷を受け航行不能となり、これに駆逐艦オバノンが衝突した。 さらに、別行動をしていた日本軍夜襲部隊の駆逐艦2隻が駆逐艦セルフリッジを雷撃し、魚雷1本が命中した。 日本軍の駆逐艦夕雲にも魚雷が命中し、沈没した。
この戦闘中にベララベラ島からの部隊の収容が行われ、撤退は成功した。