ろ号作戦
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ろ号作戦とは太平洋戦争中の日本軍の作戦。空母艦載機をラバウルに進出させアメリカ軍を攻撃したが、損害が多く作戦は中止された。
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[編集] 概要
1943年10月27日、アメリカ軍はモノ島、スターリング島へ上陸した。ラバウルの航空隊はこれを攻撃したが、航空兵力は連日の戦闘で消耗しており、アメリカ軍の進出阻止は不可能であった。この状況で古賀峯一連合艦隊司令長官は先のい号作戦に倣ったろ号作戦を発動、第一航空戦隊(空母「瑞鶴」、「翔鶴」、「瑞鳳」)の艦載機が11月1日から3日にかけてラバウルに進出した。1日にはアメリカ軍はブーゲンビル島へ上陸し、ラバウルの基地航空隊がこれを攻撃した。
[編集] 11月2日
第一航空戦隊の作戦は2日から開始された。 この日、ラバウルは空襲を受け、空中戦が行われた。 また、セント・ジョージ岬沖の輸送船団に対し攻撃が行われたが、戦果は軽巡「モントピーリア」小破のみであった。
[編集] 11月5日(第一次ブーゲンビル島沖航空戦)
5日、アメリカ軍第38任務部隊(空母「サラトガ」、「プリンストン」基幹)の艦載機がラバウルを空襲した。これによりラバウルに進出していた第2艦隊が被害を受けた。 同日1225、ラバウルの南にアメリカ艦隊を発見した日本軍は1515に攻撃隊を発進させた。 空母1隻撃沈と報告されたが、これは誤認で実際は魚雷艇1隻が沈んだのみであった。
[編集] 11月8日(第二次ブーゲンビル島沖航空戦)
8日、タロキナ沖の輸送船団攻撃のため攻撃隊が発進したが、輸送船2隻を撃破したのみであった。 また、モノ島西の艦隊を攻撃し、軽巡バーミンガムを大破させた。
[編集] 11月11日(第三次ブーゲンビル島沖航空戦)
11日、アメリカ軍は再度ラバウルを空襲した。これにより駆逐艦「涼波」沈没などの被害がでた。 この機動部隊に対し攻撃が行われたが戦果は皆無だった。
[編集] 結果
11日までで艦載機の消耗は70パーセントに達した(173機から52機まで減少)。また、搭乗員も約半数を失った。これら損害の多さから12日、古賀長官は作戦を中止。艦載機搭乗員再育成及び機動部隊再建のためトラックへ引き上げることになった。ただし、この後も12月3日の第6次ブーゲンビル島沖航空戦までブーゲンビル島方面への攻撃は行われた。
本作戦ではい号作戦と同様に、実際にはたいした戦果を挙げることは出来なかったのにも関わらず、誤報により戦果が誇張され、それが誤りだったと判明するのは戦後になってからのことである。
[編集] 関連項目
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