デレク・ジーター
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愛称 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州ペカノック |
出身校 | カラマズー・セントラル高校 |
誕生日 | 1974年6月26日 |
身長 | 6' 3" =約190.5 cm |
体重 | 195 lb =約88.5 kg |
血液型 | |
守備位置 | 遊撃手 |
打席 | 右 |
投球 | 右 |
背番号 | 2 |
年俸 | $21,600,000(2007年) |
デビュー年 | 1995年(MLB) |
キャリア | 12年 |
所属球団 | ニューヨーク・ヤンキース |
前所属球団 | なし |
Template |
デレク・サンダーソン・ジーター(Derek Sanderson Jeter、1974年6月26日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノック出身の野球選手。遊撃手、右投右打。現在はMLBニューヨーク・ヤンキース所属。
目次 |
[編集] プロフィール
アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノックにて父チャールズ、母ドロシーの間に生まれ、ミシガン州カラマズーで育つ。家族には他に妹のシャーリーがいる。
5歳の頃から野球を始める。お気に入りの選手はデーブ・ウィンフィールド(当時のスタープレイヤーで、のちに殿堂入りも果たしている)。高校時代から頭角をあらわし、1992年にはアメリカ野球コーチ連盟(The American Baseball Coaches Association)から高校年間最優秀選手賞(The High School Player of the Year)に選出されている。
その年の6月1日のドラフトでニューヨーク・ヤンキースから1巡目(全米6位)で指名を受け入団し、マイナーリーグA級グリーンズボロからスタート。今でこそゴールドグラブ賞を受賞(2004年 - 2006年)する守備の名手であるが、入団当初は守備に難があり、あまりのエラーの多さから遊撃のポジションから外されかけた経験がある。その後順当にA級タンパ、AA級オルバニー、AAA級コロンバスと昇格していった。1994年にはマイナーリーグでの通算打率.344を残し、マイナーリーグ年間最優秀選手賞(Minor League Player of the Year)に選出される。
1995年に怪我で戦列を離れたトニー・フェルナンデスの代役としてメジャー昇格を果たし、5月29日のマリナーズ戦でデビュー。2本のヒットと初得点をマークしている。翌1996年には、1962年のトム・トレッシュ以来となるルーキーでの開幕スタメン遊撃手に抜擢され、ソロ本塁打を放つなど、インディアンスへの 7-1 の勝利に貢献している。この年にレギュラーに定着、3割1分4厘の打率を残し新人王を受賞。同年のポストシーズンも活躍し、ヤンキースにとって18年ぶりのワールドチャンピオン奪取に大きく貢献した(このときのプレーオフで「観客席の少年が取った」ホームランも、ジーターが打ったものであった)。
ヤンキースは1998年から2000年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成し、ジーターもその中で大きな役割を果たす。2001年にヤンキースと総額1億8900万ドルの10年契約を結んだ。2003年6月には、ドン・マッティングリーが1991年 - 1995年に務めて以来空位となっていた、ヤンキース11代目のキャプテンに就任した。
2006年、ワールド・ベースボール・クラシックに米国代表の一員として出場し、チームは2次リーグで敗退したものの、自身はベストナイン(遊撃手部門)に選出された。その後開幕したシーズンでは打率.343(リーグ2位)、213安打(リーグ3位)と打撃面で好成績を残し、ゲーリー・シェフィールドや松井秀喜が故障離脱するなど苦しいチームを地区優勝に導いたとしてMVP候補の最右翼に挙げられた[1]。結果はジャスティン・モルノー(ツインズ)にMVPをさらわれたものの、ハンク・アーロン賞とシルバースラッガー賞を受賞した。
[編集] エピソード
- 父が黒人、母が白人であったため、幼少時代に両親がアパートを借りようとしたところ、空室があっても父親が賃貸申込みに行くと断られ、母が申し込みに行くと歓迎されたという経験を持つ。人種差別問題は未だアメリカで根深いようで、USA Today紙は2005年オフに手紙による人種差別を基にした脅迫を受け、FBIが捜査を進めていると報じた[1]。
- 強烈なマザコンであった事も有名で、マイナー時代は近くの電話を独り占めにし、毎晩長距離電話で母親に電話をしていたという。
- 彼の一つの特徴として、強烈な印象を残す守備が挙げられる。もっとも象徴的なものとして語られるのが、2001年のアスレチックスとのALDS(アメリカンリーグ・ディビジョン・シリーズ)第3戦で見せたプレイである。ヤンキースの1点リードで迎えた7回、2死一塁からヤンキースの先発投手マイク・ムッシーナがアスレチックスのテレンス・ロングにライト線を破る長打を浴びる。右翼手のシェーン・スペンサーが本塁に返球したところ、中継に入った一塁手のティノ・マルティネスの頭を超える悪送球になってしまう。ボールが本塁数メートル前の一塁側ファウルラインのあたりを転がるところにジーターが飛び込み、右手でつかんだボールをそのまま捕手のホルヘ・ポサダにバックトス、走者のジェレミー・ジアンビを間一髪でタッチアウトにする。当時アスレチックスのジェイソン・ジアンビがフリーエージェントでヤンキースに入団した際、彼は真っ先に「おい、あのプレーの練習を見せろ」と言ったといわれている。
- ポストシーズンやワールドシリーズなど大舞台での活躍が多く、「ミスター・ノベンバー(Mr.November )」の異名を持つ。本来ワールドシリーズは毎年10月に行われるものであるが、2001年に限っては9・11テロの影響から史上初の11月開催となり、そこでの活躍からこの異名がつけられた。
[編集] 特徴
- 1996年以来2003年までの間に平均で年111もの三振を喫していて、2番バッターとしては多すぎるとの声もあったが、当時としては2番・遊撃というポジションでジーターほどの攻撃力を見せる選手はほとんどいなかった。
- 名遊撃手として名を馳せているが、肩の強さやフィールディングの巧さは高い評価を受けている一方、守備範囲はショートの中ではやや狭い部類に入る。そのため、「ジーターの守備は実際より過大評価されている」という声も一部にはある。しかし、的確なポジショニングでその欠点を補っている。2005年には、前年に続いて2度目のゴールド・グラブ賞も受賞している。
- 現代を代表するスラッガー、アレックス・ロドリゲス、アルバート・プホルス、マニー・ラミレスなどのようなパワーが無く、個人成績で他を圧倒するものがないために超一流レベルではないと見られる事もあるが、走攻守(長打・打率・盗塁・守備)でどの選手と比較しても必ず何かで勝るという非常に高い次元でバランスの取れた選手である。
- ヤンキースでは永久欠番となる条件に個人成績や人気は当然の事、更に複数回に及ぶワールドチャンピオンのタイトル獲得が暗黙の条件とされている。ジーターは選手としての成績に加えて絢爛な私生活による人気、複数回に及ぶワールドチャンピオンのタイトル獲得への貢献もあり、彼の背番号「2」は引退後永久欠番となることが確実視されている。
[編集] 野球以外の顔
- 女性からの人気・インターネット上での検索件数は圧倒的で、もっともメジャーリーグで影響力を持つ選手として、公式サイトに掲載されていた事がある。高い人気からオールスターの常連(1998年 - 2002年 、2004年、2006年)である。アメリカ同時多発テロ事件の後のニューヨーク市製作のテレビCMにもニューヨークの顔として彼が出演した。
- 慈善活動にも積極的に参加しており、メジャー昇格当初から家族と共に「ターン2ファウンデーション」という組織を運営し、恵まれない子供への援助を行っている。2003年からはドン・マッティングリー以来空席となっていたヤンキースの11代目キャプテンに指名される。CMの出演も多く、2003年には「夜遊びが過ぎる」と彼を批判したオーナーのジョージ・スタインブレナーとのやり取りを逆手に取り、VISAカードのCMではスタインブレナーと共演し、名演技を披露する。彼の幼少時代からの夢は「ヤンキースのショートになり、一桁の背番号をつける」であった。
- スポーツ用品メーカーのナイキ社と契約しており、彼のシグネチャーモデルがジャンプマンブランドで発売されている。
- 2006年現在独身。これまでにもマライア・キャリーなど数々の女性との浮名を流し、ニューヨークでも指折りのプレイボーイとしても知られる。シーズン中はニューヨークに住み、シーズンオフはヤンキースのキャンプ地があるフロリダ州のタンパに居住。
- 同じくヤンキースに所属する松井秀喜とは同い年(誕生日は2週間違う)。
- TVショッピングの紹介VTRにも出演したことがあり、バッティング練習用の商品(ジップヒット)を紹介している。
[編集] 獲得タイトル
- ア・リーグ新人王:1996年
- オールスターMVP 1回:2000年
- ワールドシリーズMVP 1回:2000年
- シルバースラッガー賞 1回:2006年
- ハンク・アーロン賞 1回:2006年
- ゴールドグラブ賞 3回:2004年 - 2006年
※オールスターゲームとワールドシリーズで、両方のMVPを同じ年に受賞した選手は現在のところジーターのみである。
[編集] 年度別成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
得 点 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
犠 打 |
犠 飛 |
併 殺 打 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1995 | NYY | 15 | 48 | 12 | 4 | 1 | 0 | 7 | 5 | 3 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .250 | .294 | .375 | .669 |
1996 | NYY | 157 | 582 | 183 | 25 | 6 | 10 | 78 | 104 | 48 | 1 | 9 | 102 | 6 | 9 | 13 | 14 | 7 | .314 | .370 | .430 | .800 |
1997 | NYY | 159 | 654 | 190 | 31 | 7 | 10 | 70 | 116 | 74 | 0 | 10 | 125 | 8 | 2 | 14 | 23 | 12 | .291 | .370 | .405 | .775 |
1998 | NYY | 149 | 626 | 203 | 25 | 8 | 19 | 84 | 127 | 57 | 1 | 5 | 119 | 3 | 3 | 13 | 30 | 6 | .324 | .384 | .481 | .864 |
1999 | NYY | 158 | 627 | 219 | 37 | 9 | 24 | 102 | 134 | 91 | 5 | 12 | 116 | 3 | 6 | 12 | 19 | 8 | .349 | .438 | .552 | .989 |
2000 | NYY | 148 | 593 | 201 | 31 | 4 | 15 | 73 | 119 | 68 | 4 | 12 | 99 | 3 | 3 | 14 | 22 | 4 | .339 | .416 | .481 | .896 |
2001 | NYY | 150 | 614 | 191 | 35 | 3 | 21 | 74 | 110 | 56 | 3 | 10 | 99 | 5 | 1 | 13 | 27 | 3 | .311 | .377 | .480 | .858 |
2002 | NYY | 157 | 644 | 191 | 26 | 0 | 18 | 75 | 124 | 73 | 2 | 7 | 114 | 3 | 3 | 14 | 32 | 3 | .297 | .373 | .421 | .794 |
2003 | NYY | 119 | 482 | 156 | 25 | 3 | 10 | 52 | 87 | 43 | 2 | 13 | 88 | 3 | 1 | 10 | 11 | 5 | .324 | .393 | .450 | .844 |
2004 | NYY | 154 | 643 | 188 | 44 | 1 | 23 | 78 | 111 | 46 | 1 | 14 | 99 | 16 | 2 | 19 | 23 | 4 | .292 | .352 | .471 | .823 |
2005 | NYY | 159 | 654 | 202 | 25 | 5 | 19 | 70 | 122 | 77 | 3 | 11 | 117 | 7 | 3 | 15 | 14 | 5 | .309 | .389 | .450 | .839 |
2006 | NYY | 154 | 623 | 214 | 39 | 3 | 14 | 97 | 118 | 69 | 4 | 12 | 102 | 7 | 4 | 13 | 34 | 5 | .343 | .417 | .483 | .900 |
通算 | 12年 | 1679 | 6790 | 2150 | 347 | 50 | 183 | 860 | 1277 | 705 | 26 | 115 | 1191 | 64 | 37 | 150 | 249 | 62 | .317 | .388 | .463 | .851 |
※数字は2006年までのもの。太字はリーグ1位。
[編集] 参考資料
- ^ 出野哲也「ア・リーグMVP&サイ・ヤング賞 真のMVPは誰だ!!」 『月刊スラッガー』104号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、8-13頁。
[編集] 外部リンク
2006 ワールド・ベースボール・クラシックアメリカ合衆国代表 |
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1 マイケル・ヤング | 2 デレク・ジーター | 3 ケン・グリフィー・ジュニア | 5 マット・ホリデー | 6 ヴァーノン・ウェルズ | 7 ジェフ・フランコーア | 8 マイケル・バレット | 10 チッパー・ジョーンズ | 13 アレックス・ロドリゲス | 18 ジョニー・デイモン | 19 アル・ライター | 20 ヒューストン・ストリート | 21 ランディ・ウィン | 22 ロジャー・クレメンス | 23 マーク・ティシェイラ | 24 ブライアン・シュナイダー | 25 デレク・リー | 26 チェイス・アトリー | 32 チャド・コルデロ | 33 ジェイソン・ヴァリテック | 35 ドントレル・ウィリス | 36 ジョー・ネイサン | 38 ゲーリー・マジュースキー | 39 ダン・ウィーラー |40 ブライアン・フエンテス | 45 ジェイク・ピーヴィー | 50 マイク・ティムリン | 54 ブラッド・リッジ | 59 トッド・ジョーンズ | 61 スコット・シールズ |
監督 バック・マルティネス | 項 | |