ハリバット (原子力潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1957年4月11日 |
進水: | 1959年1月9日 |
就役: | 1960年1月4日 |
退役: | |
除籍: | 1986年4月30日 |
その後: | 原子力艦再利用プログラム |
性能諸元 | |
排水量: | 水上:3,655トン、水中:5,000トン |
全長: | 350 ft |
全幅: | 29 ft |
吃水: | 28 ft |
機関: | S4G reactor |
最大速: | |
兵員: | 士官9名、兵員88名 |
兵装: | レキュラス・ミサイル発射機1基 21インチ魚雷発射管6門 |
ハリバット(USS Halibut, SSGN/SSN-587)は、アメリカ海軍の原子力潜水艦。艦名はカレイ目の一種、オヒョウに因む。その名を持つ艦としては2隻目。同型艦はない。
[編集] 艦歴
ハリバットはカリフォルニア州ヴァレーオのメア・アイランド海軍造船所で1957年4月11日に起工し、1959年1月9日にチェット・ホリフィールド夫人(カリフォルニア州議会議長チェット・ホリフィールドの妻)によって命名、進水、1960年1月4日に初代艦長ウォルター・デドリック少佐の指揮下就役した。
ハリバットは巡航ミサイルの運用を目指した初のアメリカ軍潜水艦であった。レギュラス・ミサイルを運用するためメインデッキは水線上から高い位置にあり、「フライト・デッキ」として運用された。ハリバットのミサイル・システムはコントロール室から遠隔操作され、水圧により動作する機械式の完全自動システムであった。
ハリバットは1960年3月11日に整調巡航に出航する。オーストラリアへ向かう途中の3月25日、ハリバットはミサイル発射を行い成功、巡航ミサイルを発射した最初の原子力潜水艦となった。1960年6月18日にメア・アイランド海軍造船所に帰還し、その後11月7日に真珠湾に向けての訓練巡航に出航、太平洋艦隊に加わり作戦活動に従事する。最初の配備では東南アジア条約機構での演習で連続7回レギュラス・ミサイルの発射に成功した。1961年4月9日に真珠湾へ帰還し、5月1日には2度目の配属が始まる。続く数ヶ月にわたって各種演習に参加、ミサイル発射を行い、集中的な訓練を経験した。
1961年後半に太平洋西部へ3度目の展開を行ったハリバットは、1964年まで訓練と作戦準備に繰り返して従事した。1964年5月4日、ハリバットは真珠湾を出航し太平洋で潜水艦によってなされる最後のレギュラス・ミサイル巡航に出航した。その後、9月から12月までハリバットは他の8隻の潜水艦と共にパーミット級原子力潜水艦の攻撃能力評価試験に参加した。
1965年2月、ハリバットは真珠湾海軍造船所に入りオーバーホールを受ける。8月15日には攻撃型潜水艦に艦種変更され、SSN-587 の船体番号を与えられた。9月6日に西海岸へ向けて真珠湾から出航し、9月20日にワシントン州キーポートに到着する。10月5日にキーポートから真珠湾に向けて出航し、メア・アイランドに8日間停泊した後10月21日に真珠湾に到着した。太平洋では対潜水艦戦訓練に参加、8月まで訓練を行った後メア・アイランドでオーバーホールと改修を受ける。改修によってハリバットは特殊任務艦として電子情報収集及び分析装置を多数搭載された。
ハリバットは1970年に真珠湾に戻り、太平洋艦隊及び第1潜水艦開発部隊に所属し、1976年に退役するまで情報収集活動を続けた。退役後はバンゴールでモスボール化の上保管され、1986年4月30日に除籍された。その後1994年9月9日にピュージェット・サウンド海軍造船所で原子力艦再利用プログラムに基づき解体された。
ハリバットはソ連に対抗した秘密作戦に使用された。主な業績としては以下の物が挙げられる。
[編集] 外部リンク
- USS Halibut Webpage
- http://www.regulus-missile.com - Some good US Navy pictures and about the Documentary film produced by Nick T. Spark, "Regulus: The First Nuclear Missile Submarines" which aired initially on the History Channel in Europe.