パシフィックグランプリ (4輪)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パシフィックグランプリ(パシフィックGP, Pacific Grand Prix)とは、1994年と1995年にTIサーキット英田(現岡山国際サーキット)で行われたF1のレース。
F1は、原則として年間1国1開催であるが、人気のある国や収益が見込める国などにおいては同国内で2~3レースが行われる場合がある。この際、2つめ以降のレースには隣国の名前などを冠することが多い(例外:ドイツ・ニュルブルクリンクでのヨーロッパGPなど)が、日本の場合は太平洋を意味する「パシフィック」が冠せられた。
1994年は、直後に開催されたサンマリノGPで事故死したアイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの、日本での最後のレースとなった。
1995年は、当初は1994年と同様、第2戦に実施される予定であったが、阪神・淡路大震災による交通機能マヒなどの影響が考慮され、第15戦に延期。その結果、第16戦として実施された、鈴鹿サーキットでの日本グランプリとあわせて、過去のF1でも珍しい1国2週連続開催が実現した。
優勝ドライバーは、1994年、1995年とも、当時ベネトンに在籍していたミハエル・シューマッハである。
サーキットまでの交通アクセスの劣悪さや日本におけるF1ブームの沈静化などにより、2年で廃止された。
2000年に富士スピードウェイを買収したトヨタは、2006年に鈴鹿サーキットのF1開催の契約が終了するため、ホンダはF1を統括するFIA(国際自動車連盟)に来年以降の継続を申請した。 しかし2007年10月から富士スピードウェイでの日本GP開催が内定した。鈴鹿サーキットのF1開催が来年4月に「パシフィックGP」として再スタートを切る可能性が示唆されたものの、2007年に開催される事はなかった。また、2008年以降に開催される可能性は残されている。
なお、日本での第2のF1開催としては、1990年代初めに、大分県のオートポリスでアジアGP開催が話題になったこともあるが、管理会社の破産により計画は頓挫した。
[編集] 過去のレース結果
年 | 決勝日 | ラウンド | PP | 優勝 | FL |
---|---|---|---|---|---|
1994 | 4月17日 | 2 | アイルトン・セナ (ウィリアムズ) |
ミハエル・シューマッハ (ベネトン) |
ミハエル・シューマッハ (ベネトン) |
1995 | 10月22日 | 15 | デビッド・クルサード (ウィリアムズ) |
ミハエル・シューマッハ (ベネトン) |
ミハエル・シューマッハ (ベネトン) |
[編集] 関連項目
F1世界選手権: |
2007年に開催されるGP: オーストラリア | マレーシア | バーレーン | スペイン | モナコ | カナダ | アメリカ | フランス |
かつて開催されていたGP: アルゼンチン | オーストリア | サンマリノ | オランダ | インディ500 | ルクセンブルグ | メキシコ | モロッコ | |