ベルギーグランプリ
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ベルギーグランプリ(ベルギーGP, Belgian Grand Prix)はベルギーで1950年以降断続的に行われているF1のレースのひとつ。1970年代から1980年代初めを除き、スパ・フランコルシャンにて行われている。有名なオー・ルージュを含む高速コースで行われ、またスパ・ウェザー(降雨)による波乱の展開が多く見られることから、レースファンに人気の高いサーキットである。しかし2003年はタバコ広告禁止法の施行により開催されず、2006年はコース改修により開催中止となっている。
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[編集] 特筆すべき過去のレース
- ベルギーGPは、かつてはアイルトン・セナが得意としており、1988年から1991年までの4連勝を含む、通算5勝をあげていた。しかし、1992年にこの地でF1初優勝をあげたミハエル・シューマッハが、2002年にセナの記録を破る通算6勝の新記録をマークした。この他にも、ジム・クラークが4勝、ファン・マヌエル・ファンジオが3勝とF1史上に残るドライバーが名を連ねており、まさに「ドライバーズ・サーキット」の名に相応しい結果となっている。
- 1982年にゾルダーで行われたレースでは、予選でフェラーリのジル・ヴィルヌーヴが事故死するアクシデントが発生。決勝レースはヴィルヌーヴのチームメイト、ディディエ・ピローニが撤退し、フェラーリ勢抜きで行われた。この年からウィリアムズに加入したケケ・ロズベルグが序盤からトップを快走していたが、ラスト2周というところで後方グリッドから追い上げを見せたマクラーレンのジョン・ワトソンにかわされてしまい、自身F1初優勝はならなかった。
- 1985年にスパ・フランコルシャンで行なわれたレースでは、補修したばかりの路面のアスファルトが剥がれるというアクシデントに見舞われた。このため、予選後に路面の再補修が行なわれ、予選終了から3カ月後に決勝が開催された。
- 1991年には、ベルトラン・ガショーの代役としてミハエル・シューマッハがジョーダン・フォードからF1デビューを果たした。シューマッハはいきなり予選7位の健闘を見せたが、スタート直後にリタイアとなっている。レースはシューマッハのチームメイトのアンドレア・デ・チェザリスが終盤まで2位走行し、トップ走行していたマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナを追い上げるも、トラブルにより惜しくも自身とチームのF1初優勝を逃してしまった。
- 前述の通り1992年には、ベネトン・フォードのミハエル・シューマッハがF1初優勝を果たすが、これは、レース序盤の雨による混乱の中、チームメイトのマーティン・ブランドルのタイヤのわずかな変化を見逃さずに、いち早くドライタイヤに交換してトップに立つという戦略の勝利で、その後のシューマッハの強さの礎となったばかりか、F1が純粋な速さだけでなく、戦略的な要素も含めた総合的な強さを必要とすることになる、転機のレースになった。
- 1994年には、2回の予選セッションともに雨となったが、ジョーダン・ハートのルーベンス・バリチェロが絶妙のタイミングでアタックを敢行し、自身及びチームのF1での初めてのポールポジションを獲得した。レースではベネトン・フォードのミハエル・シューマッハがトップでゴールするも、レース終了後にスキッドブロック(レギュレーションでマシン底部に付けることを定められている板)が削れ過ぎているという違反を問われて失格になった為、2位でフィニッシュしていたウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルが繰上げ優勝となった。
- 1995年も、前年同様予選は雨となったが、途中から雨がやんだことにより、アタックのタイミングにより大きくタイムに影響する結果となった為、チャンピオン争いをしていたウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルが8位、ベネトン・ルノーのミハエル・シューマッハに至っては16位に沈むことになった。レースでも、途中から降り出した雨による大きな順位変動が見られたが、最終的にはシューマッハが大逆転優勝を果たすことになる。これはF1史上最多勝を誇るシューマッハの数多くの勝利の中でも、最も後方グリッドからのものである。
- 1998年には、レーススタート直後に、マクラーレン・メルセデスのデビッド・クルサードのスピンをきっかけに後方の多数のマシンを巻き込む事故が発生した。レースは赤旗再スタートとなるが、再開後のレースでも、チャンピオン争いをしていたミカ・ハッキネンが1コーナーでスピンし、リタイアとなった。その後レースは大雨となり、多くのドライバーがリタイアとなるが、視界不良の中、トップ走行していたフェラーリのミハエル・シューマッハが、周回遅れのクルサードのマシンに後方から追突するアクシデントが発生、シューマッハが、リタイア後にマクラーレンのピットへ抗議に出向く(正確には怒鳴り込む)一幕があった。結局レースは、ジョーダン・無限のデイモン・ヒルが、チームメイトのラルフ・シューマッハを従え、チーム初優勝を1-2フィニッシュで飾ることとなった。
- 2000年のレースでは、トップ走行中に、濡れた路面に足を取られてスピンを喫したことにより2位を走行していたマクラーレン・メルセデスのミカ・ハッキネンが、先行するフェラーリのミハエル・シューマッハを猛然と追い上げる展開となった。この争いの決着は、レース終盤に、周回遅れを走行していたBAR・ホンダのリカルド・ゾンタを挟み、ケメル・ストレートの終わりで、ハッキネンがシューマッハを追い抜くという形であった。このオーバーテイクは、最近のF1シーンのうちでも最も見ごたえのあるシーンであった。
- 2001年には、レース序盤にジャガーのエディ・アーバインとプロストのルチアーノ・ブルティが接触し、ブルティは高速コーナのブランシモンのタイヤバリアに突っ込むという大事故が起こった為、赤旗中断となった。この事故でブルティが大事に至らなかったことは不幸中の幸いであった。レースはフェラーリのミハエル・シューマッハが優勝を果たすが、これはアラン・プロストの記録を破る、F1史上最多となる52勝目であった。
- 2003年は、タバコ広告規制の問題が影響し、22年ぶりにベルギーGPが開催されなかった。
- 2年ぶりにカレンダーに復活を果たした2004年のレースでは、フェラーリのミハエル・シューマッハが5年連続7回目のチャンピオンを決定した。これはファン・マヌエル・ファンジオの4年連続を上回る、史上最長期間連続のチャンピオン獲得の記録となった。また、ミシュランタイヤのトラブルにより、B・A・Rホンダのジェンソン・バトンなど数名のドライバーがリタイアとなるが、高速走行中のもので、一歩間違えば大惨事につながりかねないものであった。
- 2006年、暫定の開催カレンダーには決勝日9月17日の第16戦として掲載されていたが、ベルギーGP主催者側がFIAに開催辞退の申請をし受理され、同年の開幕戦直前(2月8日)に開催中止が発表された。スパ・フランコルシャンサーキットの改修が理由となっているが、財政難による中止がささやかれていた中での発表だった。
- 2007年は、FIAから発表されたF1開催の暫定カレンダーで、9月16日に第14戦として復活することになった。
[編集] 過去の結果
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム |
---|---|---|---|---|---|
1950 | 6月18日 | 5 | スパ・フランコルシャン | ファン・マヌエル・ファンジオ | アルファ・ロメオ |
1951 | 6月17日 | 3 | スパ・フランコルシャン | ジュゼッペ・ファリーナ | アルファ・ロメオ |
1952 | 6月22日 | 3 | スパ・フランコルシャン | アルベルト・アスカーリ | フェラーリ |
1953 | 6月21日 | 4 | スパ・フランコルシャン | アルベルト・アスカーリ | フェラーリ |
1954 | 6月20日 | 3 | スパ・フランコルシャン | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ |
1955 | 6月5日 | 4 | スパ・フランコルシャン | ファン・マヌエル・ファンジオ | メルセデス |
1956 | 6月3日 | 4 | スパ・フランコルシャン | ピーター・コリンズ | フェラーリ |
1958 | 6月15日 | 5 | スパ・フランコルシャン | トニー・ブルックス | ヴァンウォール |
1960 | 6月19日 | 5 | スパ・フランコルシャン | ジャック・ブラバム | クーパー |
1961 | 6月18日 | 3 | スパ・フランコルシャン | フィル・ヒル | フェラーリ |
1962 | 6月17日 | 3 | スパ・フランコルシャン | ジム・クラーク | ロータス |
1963 | 6月9日 | 2 | スパ・フランコルシャン | ジム・クラーク | ロータス |
1964 | 6月14日 | 3 | スパ・フランコルシャン | ジム・クラーク | ロータス |
1965 | 6月13日 | 3 | スパ・フランコルシャン | ジム・クラーク | ロータス |
1966 | 6月12日 | 2 | スパ・フランコルシャン | ジョン・サーティース | フェラーリ |
1967 | 6月18日 | 4 | スパ・フランコルシャン | ダン・ガーニー | イーグル |
1968 | 6月9日 | 4 | スパ・フランコルシャン | ブルース・マクラーレン | マクラーレン |
1970 | 6月7日 | 4 | スパ・フランコルシャン | ペドロ・ロドリゲス | BRM |
1972 | 6月4日 | 5 | ニヴェル | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス |
1973 | 5月20日 | 5 | ゾルダー | ジャッキー・スチュワート | ティレル |
1974 | 5月12日 | 5 | ニヴェル | エマーソン・フィッティパルディ | マクラーレン |
1975 | 5月25日 | 6 | ゾルダー | ニキ・ラウダ | フェラーリ |
1976 | 5月16日 | 5 | ゾルダー | ニキ・ラウダ | フェラーリ |
1977 | 6月5日 | 7 | ゾルダー | グンナー・ニルソン | ロータス |
1978 | 5月21日 | 6 | ゾルダー | マリオ・アンドレッティ | ロータス |
1979 | 5月13日 | 6 | ゾルダー | ジョディー・シェクター | フェラーリ |
1980 | 5月4日 | 5 | ゾルダー | ディディエ・ピローニ | リジェ |
1981 | 5月17日 | 5 | ゾルダー | カルロス・ロイテマン | ウィリアムズ |
1982 | 5月9日 | 5 | ゾルダー | ジョン・ワトソン | マクラーレン |
1983 | 5月22日 | 6 | スパ・フランコルシャン | アラン・プロスト | ルノー |
1984 | 4月29日 | 3 | ゾルダー | ミケーレ・アルボレート | フェラーリ |
1985 | 9月15日 | 13 | スパ・フランコルシャン | アイルトン・セナ | ロータス |
1986 | 5月25日 | 5 | スパ・フランコルシャン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ |
1987 | 5月17日 | 3 | スパ・フランコルシャン | アラン・プロスト | マクラーレン |
1988 | 8月28日 | 11 | スパ・フランコルシャン | アイルトン・セナ | マクラーレン |
1989 | 8月27日 | 11 | スパ・フランコルシャン | アイルトン・セナ | マクラーレン |
1990 | 8月26日 | 11 | スパ・フランコルシャン | アイルトン・セナ | マクラーレン |
1991 | 8月25日 | 11 | スパ・フランコルシャン | アイルトン・セナ | マクラーレン |
1992 | 8月30日 | 12 | スパ・フランコルシャン | ミハエル・シューマッハ | ベネトン |
1993 | 8月29日 | 12 | スパ・フランコルシャン | デイモン・ヒル | ウィリアムズ |
1994 | 8月28日 | 11 | スパ・フランコルシャン | デイモン・ヒル | ウィリアムズ |
1995 | 8月27日 | 11 | スパ・フランコルシャン | ミハエル・シューマッハ | ベネトン |
1996 | 8月25日 | 13 | スパ・フランコルシャン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
1997 | 8月24日 | 12 | スパ・フランコルシャン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
1998 | 8月30日 | 13 | スパ・フランコルシャン | デイモン・ヒル | ジョーダン |
1999 | 8月29日 | 12 | スパ・フランコルシャン | デビッド・クルサード | マクラーレン |
2000 | 8月27日 | 13 | スパ・フランコルシャン | ミカ・ハッキネン | マクラーレン |
2001 | 9月2日 | 14 | スパ・フランコルシャン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
2002 | 9月1日 | 14 | スパ・フランコルシャン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
2004 | 8月29日 | 14 | スパ・フランコルシャン | キミ・ライコネン | マクラーレン |
2005 | 9月11日 | 16 | スパ・フランコルシャン | キミ・ライコネン | マクラーレン |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
F1世界選手権: |
2007年に開催されるGP: オーストラリア | マレーシア | バーレーン | スペイン | モナコ | カナダ | アメリカ | フランス |
かつて開催されていたGP: アルゼンチン | オーストリア | サンマリノ | オランダ | インディ500 | ルクセンブルグ | メキシコ | モロッコ | |