ベニントン (空母)
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艦歴 | |
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発注: | 1941年12月15日 |
起工: | 1942年12月15日 |
進水: | 1944年2月28日 |
就役: | 1944年8月6日/1952年11月13日 |
退役: | 1946年11月8日/1970年1月15日 |
除籍: | 1989年9月20日 |
その後: | 1994年にスクラップ |
性能諸元 | |
排水量: | 基準27,100トン、満載36,380トン |
全長: | 水線長820 ft、全長872 ft |
全幅: | 水線長93 ft、全幅147 ft 6 in |
吃水: | 満載:34 ft 2 in |
機関: | ウェスティングハウス製蒸気タービン4機, 4軸推進, 150,000 shp |
最大速: | 33ノット |
航続距離: | 20,000海里(15ノット時) |
兵員: | 士官、兵員 2,600名 |
兵装: | 連装38口径5インチ砲4基、単装38口径5インチ砲4基 56口径40mm4連装機関砲8基 単装78口径20mm機関砲46基 |
航空機: | 90 - 100 |
ベニントン(USS Bennington, CV-20)は、アメリカ海軍の航空母艦。エセックス級航空母艦の9番艦。艦名はアメリカ独立戦争でベニントンの戦いが行われたバーモント州ベニントンに因む。その名を持つ艦としては二隻目。
[編集] 艦歴
ベニントンは1944年2月28日にニューヨーク海軍造船所で進水、メルビン・J・マース夫人(ミネソタ州選出国会議員マースの妻)によって命名、1944年8月6日にJ・B・サイクス艦長の指揮下就役した。
12月15日、ベニントンはニューヨークを出港、21日にパナマ運河を通過した。1945年1月8日真珠湾に到着し、カロリン諸島のウルシー環礁に進出、空母機動部隊に2月8日合流する。ウルシー環礁から日本本土攻撃(2月16、17日、25日)、小笠原諸島(2月18日 - 3月4日)、沖縄(3月1日)、そして沖縄戦支援(3月18日 - 6月11日)を行った。4月7日、ベニントンの艦載機は東シナ海での戦闘に参加する。この戦闘では戦艦大和、軽巡洋艦矢矧および4隻の駆逐艦が沈没している。6月5日、ベニントンは沖縄本島沖合で台風のため損傷し、修理のためレイテ島に後退、6月12日に到着している。修理完了後7月1日にレイテ島を出港、7月10日から8月15日にかけて日本本土攻撃に参加している。
ベニントンは10月21日まで西太平洋における作戦活動を継続、日本占領支援を行った。9月2日、日本の降伏調印式典においてベニントンの艦載機は東京湾上を飛行した。ベニントンは1945年11月7日にサンフランシスコに到着し、1946年3月にパナマ運河を通過、バージニア州ノーフォークに向かう。不活性化オーバーホールの後1946年11月8日に予備役となる。
その後ベニントンは1950年10月30日からニューヨーク海軍造船所で近代化改修に入り、1952年11月13日にCVA-20に艦種変更、再就役する。ベニントンの飛行甲板は43フィート延長され、8フィート幅が広げられた。近代化の目的はジェット機の運用であった。飛行甲板からは5インチ砲が撤去され、3インチ砲に変更された。
1952年11月13日、艦長デヴィッド・B・ヤングの指揮下ベニントンは再就役した。再就役式典には海軍長官ダン・A・キンボールを含む1,400名以上が参加し、R・H・ヒレンコーター海軍少将はベニントンを「我が艦隊で現在最も近代的な空母である」と語った。
ベニントンは1970年1月15日に退役した。1989年9月20日に除籍され、1994年1月12日に売却、インドでスクラップにするため太平洋を牽引された。