ポリティカル・コレクトネス
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ポリティカル・コレクトネス(英:political correctness、PC)とは、言葉の表現や用語に人種・民族・宗教・性差別などの偏見が含まれていないことを指す。特に多民族国家であるアメリカにおいては差別・偏見を取り除くという政治的(Political)な観点から見て正しい(Correct)という意味で使われるようになった用語である。またこれらの偏った用語を追放し中立的な表現を使用しようという運動のみでなく差別是正全体を指す事もある。ポリティカル・コレクトネスは名詞形で、形容詞形は「ポリティカリー・コレクト」(politically correct) となる。また、日本語では「政治的に正しい」と訳される場合がある。(これを皮肉った書の書名『―おとぎ話』等。)
例えば、職業名に“-man”とつくものは女性差別的でありポリティカル・コレクトネスに反するとして、“-person”などに変更される。議長(英:chairman)の場合は“chairperson”又は単に“chair”、警察官は“police officer”、消防官は“fire fighter”と表現する。女性が専業主婦であると決め付けるような表現も問題となる。
また、身体的特徴を持つ人を述べる際には、その特徴に直接言及することは避けて婉曲表現を用いる。(例:mentally challenged、hearing-impaired)
また特定の用語の使用だけでなく言葉の表現の仕方だけで問題になる場合もある。例えば、アメリカの大統領候補であったロス・ペロートはある公開質問の場において黒人の観衆からの質問に対して「あなたたち」(You People)という表現を多用した。これが黒人をよそ者扱いしているとして批判された。
最近では多様な宗教に配慮をしようという動きもある。クリスマスはキリスト教の行事であるため、公的な場所ではほかの宗教のことも考慮して「メリー・クリスマス」と言わずに「ハッピー・ホリデーズ」(他の宗教の人たちも年末年始は休日になるので)と言い換えたほうがよいとされる。2004年の年末の記者会見ではブッシュ合衆国大統領も「メリー・クリスマス」ではなく「ハッピー・ホリデーズ」と述べた。また、イタリアでは小学校の年末の演劇会において例年恒例であったキリスト生誕劇をやめて赤ずきんに変えるというところも現れた。しかし、これらに対しては伝統や文化の否定であるという意見もあり論争となっている。
「マンホール(manhole)」を「パーソンホール(personhole)」と言い換える[要出典]のはさすがに行き過ぎであるとの批判も存在する。また日本における言葉狩りの批判と同じように表層を変えるだけで何の本質的な意義がないとの批判も存在する。Short(身長が低い)→“vertically challenged”(垂直方向に(神から)試練を受けた)、blind(盲目の)→"optically challenged"(光学的に試練を受けた)など、極端かつ不自然な言い換え例[要出典]を挙げた言い換え辞典も過剰な言い換えに対する批判として出版された。また一部の言語では、そもそも女性がその職務につくことを想定していないため、女性がその地位にあるときの言い方がない場合もある。無理に女性形にすると、「(職業名)の妻」などの意味になってしまう。
日本語では、職業名や資格をあらわす「士」を「師」に書き換える。看護婦・看護士のように女性の場合「~婦」が用いられたものに関しては男女とも「~師」と呼ぶようになった。また、男女両方に用いられる「~士」に関しては、たとえば「弁護士」を「弁護師」に改めるべきだという主張する人もいる。[要出典]
学校などで名前を呼ぶとき男子に「~君」、女子に「~さん」を用いていたのを、男女とも「~さん」と呼ぶことが提案され、義務教育でも一部の学校で実行されている。また、呼び捨てを好んで用いる教師もいる。
近年の合衆国においては、保守派の巻き返しにより人権政策において政策をポリティカル・コレクトネスと表現する場合は見てくれのみを狙った政策であるという批判の意味で使われる。
なお、ポリティカル・コレクトネスは、「その対象に対して、どのように述べ、考え、行動するのが"私にとって"政治的に正しいのか」というような意味で用いられる事もある。(大元の意味はこちらであった。)これは決して「差別も偏見もなく、ニュートラルな」という意味ではない。
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