マツダ・キャロル
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マツダ・キャロルとは、マツダが販売する軽自動車。もともとは、1962年に発売された、軽自動車初の4ドアセダンタイプの車で、1970年まで生産された。その後、1989年にマツダが立ち上げた軽自動車中心のオートザムブランドの中心車種として復活した。現在は、アルトの完全なOEM供給となって現在に至っている。
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[編集] 歴史
[編集] 初代・KPDA系(1962年-1970年)
1962年製造開始。4サイクルOHV360cc直列4気筒水冷アルミシリンダーエンジンをリアに積む後輪駆動車。当初は2ドアが、翌年の1963年にデラックス仕様車の4ドアが発売され大ヒットした。600ccのエンジンを持つキャロル(1960年代当時の軽自動車規格は総排気量は360cc以下であり、小型登録車規格扱いだった)も発売されている。全幅は1m30cm前後と狭く、現在の感覚ではかなり窮屈な乗車姿勢を強いられる。モデル末期には1ローター仕様のロータリーエンジン搭載の計画もあったが、排気量換算上の出力のクレームが当時の運輸省ないし、他メーカー(当時主力が軽自動車だったメーカーと言われている)との兼ね合いにて許可が下りず、試作もされたがエンジン振動自体が大きい、燃費等のデメリット、1ローターだと逆作用の力が加わってしまうとローターが逆回転してしまう等もあり問題は克服したが計画は実現しなかった。後継車はREでの発売が頓挫した事から名を変えたシャンテ。独特のクリフカット屋根から取ってついた別名が「走るぜっぺき頭」。 チューンショップRE雨宮が当時のオマージュなのか12A型3ローターターボエンジンを換装したRE雨宮シャンテを製作しており、一時期話題になっていた。
[編集] 2代目・AA系(1989年-1995年)
1989年製造開始。スズキのアルトとF5A/F6Aエンジンや各種プラットホームを共通としながらも外装、内装やエアコン、オプションパーツ類を独自開発でマツダは新規販売チャンネルオートザムを設立、独自チャンネルのフラッグシップとして発売。商用モデルは設定されていない3ドア構成。
丸くファンシーなボディーデザインは日産のパイクカー(Be-1、パオ等)を彷彿させ、特に女性から支持されヒットモデルになり、ミスタードーナツでのノベルティーグッズ(キャンディーポット)にも採用された事もある。
当初、550c.c.(F5A)の規格だったが後に軽自動車新規格に併せ660c.c.(SOHC52馬力版F6A)化で車台自体ロングノーズとなる。 F6A前期、後期とテール、ヘッドランプ形状、バンパー含むマスク形状、内装等のマイナーチェンジが加えられ、SOHCターボや4WD、キャンバストップ、特徴的なルーフスポイラー等のアクセサリー、グレードも豊富に設定。以後前期には無かったミレディ等オプションを充実させたモデルやリヤセクションがハイルーフ化された昇降リフトつきの車いす福祉車両も発売される。 オプション等、グレード種類は関連リンクの「Calol&Life」を参考にされたい。
アフターマーケットではこのルーフスポイラーを「キャロスポ」と称し、一枚羽のNA用、両端が湾曲、中央が底面に隆起したハイマウントストップランプ付きのターボ用とあり、カプチーノやAZ-1等に後付け流用されることが多い。 アフターマーケットにおける部品転用はワゴンR前期、さらにはKeiからの強化部品流用、エンジンに至ってはF6AであればNAからのターボ換装等が書類上DOHCターボもSOHC・NAも原動機形式が変わらない為、2・3・4(前期)代目はF6Aであれば公認なしでできる点も知られており、社外、スズキスポーツ製の強化アクセサリーの転用もNAだと選択幅が狭いがターボ車であれば幅広く流用できる。 唯一アルトと違う点はエアコン関連で、そのまま単品移植とはいかない為、部品毎の転用は不可である事に加え、F6A前期は旧ガス(R12)車であるので留意の事。
[編集] 3代目・AC系(1995年-1998年)
1995年製造開始。先代モデルからドアアウターハンドルとリアバンパー(ただし先代の660ccモデル用)を流用している。先代の丸みを帯びたスタイルをコンセプトとしつつも、ボディ後半を同年式セルボモード共通のノッチバック風のスクエアなフォルムにするなど、女性ユーザーだけではなく男性ユーザーもターゲットに据えた「アウトビアンキA112アバルト」風の勇ましいデザインに変貌した。特徴のある丸目2灯が小型のものとなった。先代ほど人気は伸びなかった事で、マツダ(オートザム)オリジナルの3ドア構成のボディは最後になる。SOHCターボ車も設定されていたが、タコメーターは装備されていなかった。 尚、アフターマーケットでは3代目キャロルがベースとなる事が多いのか
1996年12月にはミツオカが3代目キャロルをベースとしたクラシカルな井出達のレイを発売している。
1997年マツダスピードからは一段とレーシーな外装パーツ「キャロル(AC)用ツーリングキットA-スペック」としてマツダからは台数限定で装着限定車が販売されていた。 未明に「アウトビアンキA112アバルト」の外装を利用した「アウトザムンキA112キャロル」等アフターマーケット市場では今尚、勢いがある。
[編集] 4代目・HB12、21、22系(1998年-2004年)
1998年、軽自動車規格改正と同時のモデルチェンジ。コスト削減のため、外装も5ドアのアルトと同一のOEM化がなされたが、2000年10月のマイナーチェンジでフロントグリルをマツダ特有の五角形に変更。この代からキャンバストップの設定は無しで鉄板屋根、ターボ、MTの設定はなく規模縮小となったオートザムブランドから独立された形となった為、エンブレム、メーカー名共にマツダロゴを冠する事となった。 又、エンジンはこれまでのスズキ製のF6AおよびK6A(2000年10月のマイナーチェンジ以降K6Aに統一)。 アフターマーケットに目を移すと光岡レイはこの代でも販売されており、外装メーカー「夢久(ムーク)」ではCalブランドで2代目AA系ライクなスタイルのバンパーセットをリリースしている。その為か、マツダ地方ディーラー(まだ名残のあるオートザム店)ではHP等で店頭入手可能であるが如く装着販売車両が掲載されている事がある。
[編集] 5代目・HB23、24系(2004年-)
2004年、アルトのモデルチェンジに伴い製造開始。 グリルとエンブレム以外では見分けがつかなくなってしまった。 エンジンは同年のアルトやワゴンRなどと同様K6A。
2006年12月26日、マイナーチェンジを実施し、主にフロントデザインが変更される。
2007年1月22日、日産自動車もスズキからアルトのOEM供給を受けてピノの名称で発売を開始した。これにより、軽としては初の3姉妹化が実現した。
[編集] 2代目以降のアフターサービスにおける懸念材料
尚、2代目以降の平成一桁年式車において、自動車業界全体の問題なのか、エンジンオーバーホールはマツダディーラーに聞けば「エンジンはスズキなのでスズキで見て頂きたい」と言われ、スズキディーラーに聞けば「マツダ車なのでうちでは見れない」等と言った生みの責任の擦り合い問題も出てきている[要出典]。 選択肢としてはリビルドエンジンを買って壊れたエンジンは使い捨て程度の選択幅しかなく、餅は餅屋であるのに所詮は軽自動車。工賃で手が掛かる為、よっぽどの好き者で無い限り減価償却前に手放すユーザーが多いのもOEMの皮切りとしての盲点でもあり事実なのである。
[編集] 部品供給
尚、部品供給に至っては2代目より一部スズキからの取り寄せパーツとなる為、マツダ品番で頼む時はスズキ純正部品の品番赤シールの上にマツダの青い品番シールの重ね貼り。ブレーキライニング等の箱には堂々とスズキ純正部品のロゴがはいっている[要出典]。 フォードとの繋がりがマツダには在る為、品番さえ解っていて無理を言えばフォードも扱っている部品商でもオーダーできると言うメリットが在る[要出典]。(フォードOEM部品は一部マツダで生産している為)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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