ヤマハ・SR
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SR(えすあーる)とは、ヤマハ発動機が販売しているオートバイで、単気筒エンジンを搭載したシリーズ車種を指す。
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SR400
SR400は1978年に発売された。現在はこのSR400のみが製造・販売されている。
発売に至る経緯
オートバイ雑誌「モトライダー」が、1977年のエイプリルフール企画として、実在しない車を「近日発売の新車 ヤマハ・ロードボンバー(Road Bomber)」として掲載したことが発端となっている。このロードボンバーは、ヤマハのオフロードバイクXT500のエンジンを使い、島英彦氏設計によるオリジナルのダブルクレードルフレームに搭載したロードスポーツバイクであった。紙面の写真で見る限り非常に完成度の高いオートバイであったため、まさかエイプリルフール企画の架空の新車とは思わなかった読者からの注文が殺到した。そこにマーケットがあることが判明したことから、XT500のメーカーであるヤマハが本気になって設計し生産を始めたという、冗談のような経緯でSRシリーズは誕生した。
ただし「モトライダー」誌の企画とはまた別に、ヤマハはXT500のオンロード版を独自に企画していたという説も存在することに注意。
ロードボンバーとSR400/500のコンセプト
ロードボンバーのコンセプトは、「単気筒エンジンを搭載したロードスポーツバイク。単気筒であるからエンジンが非力であるのはいたしかたないが、しかし全体として軽量にすることができ、そのことを最大限に生かして操縦性の良さに照準をあわせたバイクを設計するならば、それは乗っていて『とても楽しい』バイクになるはずだ」というものであった。ロードボンバーは当時のオンロードスポーツバイクとしてはかなり過激な設計であったため、SRシリーズはそのコンセプトをマイルドな側に倒すかたちで設計された。例えばSR400/500のフレームはXT500のものをベースとしたセミダブルクレードルでしかない(ロードボンバーは完全新設計のダブルクレードル)。しかし基本的なコンセプトは、おおむね同一のものであったと言える(なお、後日ロードボンバーときわめてよく似た構成のSRXという派生車種も登場する)。
そしてロングセラー車へ
車体の足回りなどはモデルチェンジで数回の変更を受けているが、単気筒・2バルブ・SOHCといったシンプルなエンジンや、スリムでトラディショナルな車体は販売開始時からそのままであることから人気を博し、スポーツバイクとしては異例ともいえる25年を超えるロングセラーとなっている。また、カフェレーサーカスタムのベース車としても代表的であり、さらに近年はトラッカーカスタムなど、様々にカスタマイズされている。
発売当初はワイヤースポークホイールだったが、アルミキャストホイールへと仕様変更し販売数量は急激に下降した時期もある。ワイヤースポークホイール仕様車の復活要望の声が多くのユーザーから出された。決して大量の販売数量は望めないが安定的に販売が見込めるとの見通しのもとに、ワイヤースポークホイール仕様車が復活発売された。この仕様変更がロングセラーに結びついたと見る向きもある。
1985年に、フロントブレーキをディスクからドラムに変えるという、当時としては非常に異例な退化的モデルチェンジを行った。これはアフターマーケットでドラム化カスタムが存在するなど、SRがレトロバイクとして人気を博していたためだと思われる。また同年に、より高いパフォーマンスを狙った兄弟車のSRX400/600が登場しており、それとの差別化でもあったようだ。ドラムブレーキ化はSRをクラシックバイク風カスタムのベースとして見ていた層には好評だったが、ブレーキをあえて旧式なものに変えるモデルチェンジに否定的な目を向ける層もあったようだ。同時にハンドルの高さがやや低くなり、ステップ位置が後退するなど、メーカー純正状態でややカフェレーサー的スタイルになった。
2001年、SRは再度フロントブレーキをディスク化する。エンジンは排気ガス規制に対応する改良が加えられた。排気ガスや騒音に対して世界的に厳しい規制が行われている中、SRは基本設計を大きく変えずに21世紀まで生き延びることに成功したわけだ。
SR500
SR500も1978年に発売された。XT500のエンジンをチューンした単気筒2バルブSOHC499ccのエンジンから絞り出される最大出力は32馬力。XT500から派生した車種という点では、SR400よりも正統派といえよう。SR400はショートストロークで、単気筒としては比較的マイルドな味わいなのに対し、SR500はロングストローク(あくまで400と比べて、である。実際は87.0×84.0mmでストロークよりボアが大きい為、定義上はショートストロークエンジンと言うことになる)のためにXT500に近い弾けるような鼓動感があると評する向きもある。普通自動二輪免許で乗ることが出来るSR400と比べて国内登録台数はケタ違いに少ないものの、欧州にも輸出していたため長い間生産されたが、ブレーキが前後ともドラムであったため欧州の規制強化に対応できず、日本国内の排ガス規制も強化されたため、2000年に生産が中止された。しかし相前後して大型自動二輪免許保持者が激増し引き合いが強まったため、中古車両でもタマ数が少なくプレミア化しつつある。
SR250・SR185・SR125・YD250・YD125
SR250は1980年に、SR125は1981年に発売された。しかし共に上位車種とは違ってアメリカンスタイルの外見をしていたため、評判は芳しくなかった。SR125のボアとストロークを上げた、SR185Exciter(エキサイター)1981年も輸出仕様で存在する。SR250はそのまま販売が終了したが、SR125は欧州輸出との兼ね合いで製造販売が1991年と1995年に復活再販され、1996年からは前輪ディスクブレーキが装備され、1997年にはビジネス仕様のSR125Bも発売されたが、現在は生産終了。YD250とYD125は、SRと同じエンジンを搭載したシングルシート+荷台つきビジネスモデル。いずれも生産終了。このダブルシート仕様が、いわゆるSR500・SR400スタイルに近い。
SRX600・SRX400・SRX250
SRXは単気筒エンジンのスポーツ車種であり、SRの派生シリーズである。SRシリーズがどちらかというとトラディショナルな雰囲気を持つおとなしいオートバイとして設計されたのに対し、SRXシリーズは「単気筒で可能な限りの高性能を狙う」という方向で設計された。
SRX250は1984年に発売された。SRシリーズというよりスポーツ車種としての性格が濃いオートバイであり、DOHCエンジンとディスクブレーキが装備され、カウル仕様まで発売されていた。
SRX600・SRX400は共に1985年発売。こちらはSRを普通に発展させたスポーツライディングを目的としたシリーズであり、車体はほぼ共通仕様で4バルブエンジンとディスクブレーキが装備されていた。当時のシングルレースでは上位を独占していた車輌である。
その後は250・400・600共に1990年モデルチェンジを受けたが、この型を最後として数年後に全車種とも生産終了した。
SRV250・ルネッサ
SRV250は1992年に発売された。外装をレトロ調にアレンジしたビンテージ風車種であり、エンジンはビラーゴの空冷V型2気筒を流用していた。後に外装を簡略化したルネッサという派生車種も発売されている。どちらも長期の販売を目指して製造された車種であったが、販売台数の伸び悩みと各種規制の強化により、目標を果たせず生産終了となった。
ロードボンバー・プロジェクト
そもそもの発端となった「ロードボンバー」は、「バイクはパワーじゃない、操縦性だ!」というコンセプトを実証すべく、SRが発売された1978年に鈴鹿8時間耐久ロードレースへエントリーした。なみいる4気筒のハイパワーマシンや当時はまだそれなりの勢力だった2ストローク大排気量車の中で勝算はまったくないと思われ「よせばいいのに」という声まで上がった。しかしこの非力な単気筒のバイクは、それらの車に伍してステディに走り、結果8位に入賞してしまった。
「非力ではあるかもしれないが、軽量で操縦性が良いバイク」は、SRの誕生とロードボンバーの鈴鹿8耐での入賞から、ひとつの時代を築き始めることとなった。「こんなバイクがほしい」というユーザ側の願いがトレンドを築いた事例として、ロードボンバーとSRの物語は、日本のバイク史の中で特筆すべきものであろう。