ライン同盟
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ライン同盟(ラインどうめい, 英:Confederation of the Rhine, 独:Rheinbund, 仏:Confédération du Rhin)は、19世紀のドイツにおいて、フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により成立した国家連合である。ナポレオンの敗退とともに解体した。
[編集] 概要
1806年7月12日、フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により、神聖ローマ帝国内の全ドイツ諸侯は名目だけ存続していた帝国を離脱してフランス帝国と同盟し、ライン同盟が成立した。同盟は、ナポレオンを盟主とし、大司教ダールベルクを総裁としたフランス主導の国家連合であった。
ライン同盟には、1808年の最大期には4つの王国(Königreich)、5つの大公国(Großherzogtum)、13の公国(Herzogtum)、17の侯国(Fürstentum)、3つの自由市(Freie Stadt)が加盟していた。公式には同盟という対等の名称であるが、その実態はフランスの属国というものに等しかった。国家連合内では法令は全てナポレオン法典が使用された。国家連合自体の力は脆弱で、ナポレオンに援助した総兵力はわずかに6万人ほどだったという。
1813年、ライプツィヒの戦いでのナポレオンの敗退とともに解体した。1815年のウィーン会議により、ドイツにはオーストリアを盟主とするドイツ連邦が成立した。
[編集] 加盟諸邦
以下はアルファベット順。
- アンハルト=デッサウ公国 (1806年12月15日加盟)
- アンハルト=ベルンブルク公国 (1806年12月15日加盟)
- アンハルト=ケーテン公国 (1806年12月15日加盟)
- アレンベルク公国 (設立時の加盟国)
- バーデン大公国 (設立時の加盟国)
- バイエルン王国 (設立時の加盟国)
- ベルク大公国 (設立時の加盟国)
- ヘッセン=ダルムシュタット大公国 (設立時の加盟国)
- ホーエンツォレルン=ヘッヒンゲン侯国 (設立時の加盟国)
- ホーエンツォレルン=シグマリンゲン侯国 (設立時の加盟国)
- イゼンブルク=ビルシュテイン侯国 (設立時の加盟国)
- ライエン侯国 (設立時の加盟国)
- リヒテンシュタイン侯国 (設立時の加盟国)
- リッペ=デトモルト侯国 (1806年12月15日加盟)
- マインツ大司教領 (設立時の加盟国)
- メクレンブルク=シュヴェリン公国 (1806年12月15日加盟)
- メクレンブルク=シュトレーリッツ公国 (1806年12月15日加盟)
- ナッサウ公国 (設立時の加盟国)
- オルテンブルク公国 (1806年12月15日加盟)
- ロイス=エベルスドルフ侯国 (1806年12月15日加盟)
- ロイス=グライツ侯国 (1806年12月15日加盟)
- ロイス=ローベンシュタイン侯国 (1806年12月15日加盟)
- ザルム侯国 (設立時の加盟国)
- ザクセン=コーブルク公国 (1806年12月15日加盟)
- ザクセン=ゴータ公国 (1806年12月15日加盟)
- ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国 (1806年12月15日加盟)
- ザクセン=マイニンゲン公国 (1806年12月15日加盟)
- ザクセン=ヴァイマル公国 (1806年12月15日加盟)
- ザクセン王国 (1806年12月11日加盟)
- シャウムブルク=リッペ侯国 (1806年12月15日加盟)
- シュワルツブルク=ルードルシュタット侯国 (1806年12月15日加盟)
- シュワルツブルク=ゾンデルスハウゼン侯国 (1806年12月15日加盟)
- ヴァルデック侯国 (1806年12月15日加盟)
- ヴェストファーレン王国 (1807年11月15日、最後の加盟国)
- ヴュルテンベルク王国 (設立時の加盟国)
- ヴュルツブルク大公国 (1806年9月15日加盟)