ロバート・ゴダード
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ロバート・ハッチングス・ゴダード(Robert Hutchings Goddard, 1882年10月5日 – 1945年8月10日)は、現代のロケット工学の開拓者のうちの一人。革命的な業績を残すが、その理論は時代から先走っていたため、同時代にはしばしば嘲りの対象になった。
[編集] 生涯
ゴダードはマサチューセッツ州ウースターで生まれ、16歳でH・G・ウェルズのSF古典『宇宙戦争』を読むことで宇宙に対する興味を持ち始めた。クラーク大学とプリンストン大学に入学し、1914年までに彼はスミソニアン協会からの財政援助を受けロケット・モーターの設計に取り組んだ。1919年には月飛行の可能性について執筆した。
ゴダードは1926年3月16日にマサチューセッツ州オーバーンで最初の液体燃料ロケットを打ち上げた。その歴史的な出来事を彼は日記に簡潔に記入した。「液体推薬を使用するロケットの最初の飛行は昨日エフィーおばさんの農場で行われた。」「ネル」と名付けられたロケットは人間の腕くらいのサイズで、2.5秒間に41フィート上昇した。それは液体燃料推進の可能性を実証した重要な実験だった。
ゴダードは他人を信用せず独りで研究を進め、その業績の波及は限られたものだった。彼の非社交性は、他の科学者およびメディアから受けた酷評によるものだった。1929年に行われた実験の後にウスターの地方紙は「月ロケットは238,799.5マイルの目標を失った」との見出しで記事を掲載した。ゴダードの画期的な論文「高々度に達する方法」に対してニューヨーク・タイムズ紙は、真空中ではロケットを推し進める物質が存在しないので移動できないことを「誰でも知っている」として痛烈に批判した。記事はゴダードが「高校で学ぶべき知識を持っていないようだ」と非難した。
結局ゴダードは後にUFO騒ぎで有名になるニューメキシコ州のロズウェルで働くことになった。彼はアメリカ陸軍のためにロケット工学の研究を行ったが、陸軍はその研究の価値を理解できなかった。唯一の例外は第一次世界大戦の終了直前1918年11月にプロトタイプの実験を行ったバズーカだった。皮肉にも、彼の研究に一番の興味を抱いたのはドイツだった。ドイツの科学者、ヴェルナー・フォン・ブラウンは、ゴダードの理論からV2ロケットを完成させた。
1969年、アポロ11号の月着陸のちょうど前日にニューヨーク・タイムズ紙は49年前に発表したゴダードについての社説を撤回した。同紙はゴダードの実験を「より進んだ実験と調査」と呼び「17世紀のアイザック・ニュートンの実験結果を確認し、大気中と同様に真空中でも(作用・反作用の法則によって)ロケットが機能できることは明確にいま実証された。タイムズは過ちを後悔する。」 との社説を発表した。
ゴダードはその業績から214の特許を得たが、ほとんどは1945年の彼の死後与えられた。1959年に設立されたゴダード宇宙センターは彼にちなんで命名された。
[編集] 外部リンク
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