ワスレナグサ
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?ワスレナグサ | ||||||||||||||||||
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![]() シンワスレナグサ (ワスレナグサ) |
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分類 | ||||||||||||||||||
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おもな種 | ||||||||||||||||||
シンワスレナグサ (ワスレナグサ) Myosotis scorpioides |
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ノハラワスレナグサ Myosotis alpestris |
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エゾムラサキ (ミヤマワスレナグサ) Myosotis sylvatica |
ワスレナグサ(勿忘草、忘れな草)は、広義には、ムラサキ科ワスレナグサ属の種の総称。狭義には、ワスレナグサ属の一種、シンワスレナグサ(学名:Myosotis scorpioides)の和名。ただし、園芸業界でワスレナグサとして流通しているのは、ノハラワスレナグサ(学名:Myosotis alpestris)、エゾムラサキ(学名:Myosotis sylvatica)、あるいはそれらの種間交配種である。一般には、広義の意味で称される。
目次 |
[編集] ワスレナグサ属
ヨーロッパ原産で、北半球の温帯から亜寒帯(ユーラシア大陸・アフリカ大陸・オセアニア)に約50種が分布している。日本に渡来したのは、明治時代に園芸業者がノハラワスレナグサ(学名:Myosotis alpestris)を輸入したのが最初と言われている。(しかしワスレナグサ属ということでは、日本には元来、エゾムラサキ(学名:Myosotis sylvatica)一種が自生分布している。)
日本では、主に花壇や鉢植えなどで園芸観賞用として栽培されている。また一方で、野生化して各地に群生しており、日本全国(北海道・本州・四国)に分布している。一般に日当たりと水はけのよい湿性地を好み、耐寒性に優れているが、暑さには弱い。二年生もしくは多年生植物の宿根草であるが、日本で栽培すると夏の暑さに当てられて枯れてしまうことから、園芸上は秋まきの一年生植物として扱われる。(北海道や長野県の高地など冷涼地では夏を越すことが可能である。)
季語が春であるように、花期は3月~5月(冷涼地では4月~7月)。春から夏にかけて薄青(紫)色・鮮青(紫)色(園芸種はさらに白色・ピンク色など)をした 6~9ミリ径の小さい5弁の花を咲かせ、花冠の喉に黄色・白色の目(小斑点)をもつ。花は多数でさそり型花序をなし、開花とともにサソリの尾のような巻きは解けて真っ直ぐになる。
高さは20~50cm になり、葉が互生に付く。葉は平らで細長く、長楕円形(葉の中央付近が最も葉の幅が広い)、もしくは倒披針形(葉先近くが最も葉の幅が広い)である。葉から茎まで軟毛に覆われており、属名のMyosotis は、そうした葉の様子(細長く多毛で柔らかい)が、ネズミの耳に似ていることに由来している。(ギリシャ語の「二十日鼠(myos)+耳(otis)」が語源。)
この属の種は全般に、ヨーロッパにおいて、肺などの呼吸器疾患(喘息や慢性気管支炎など)に効果があるとされ、民間療法で薬(シロップ薬)として用いられることがある。
欧米諸国では、古来より友愛や誠実の象徴として広く親しまれ、アメリカ合衆国ではアラスカ州の州花にもなっている。(Forget-me-not としてで、種小名は特定されていない。)
[編集] 日本で見られる種
- シンワスレナグサ(学名:Myosotis scorpioides、和名:ワスレナグサ)
- ノハラワスレナグサ(学名:Myosotis alpestris)
- 種小名のalpestris は、「亜高山の、草本帯の」という意味。
- 英名は、Alpine Forget-me-not.
- 多年生植物。花は薄青色・鮮青色。
- 日本の園芸業界では、ワスレナグサとして流通している。
- エゾムラサキ(学名:Myosotis sylvatica、別名:ミヤマワスレナグサ、ムラサキグサ)
- 上記の他、ノハラムラサキ(学名:Myosotis arvensis)、ハマワスレナグサ(学名:Myosotis discolor Pers)、品種改良で作られた園芸品種など。
[編集] 名前の由来
- 昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、「Vergiss-mein-nicht!((僕を)忘れないで)」という言葉を残して死んだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。
このような伝説から、この花の名前は当地ドイツで「フェアギスマインニッヒト(Vergissmeinnicht)」と呼ばれ、英名もその直訳の「フォーゲットミーノット(Forget-me-not)」である。日本では、1905年(明治38年)に植物学者の川上滝弥によって初めて「勿忘草」「忘れな草」と訳された。それ以外の国々でも、同様の意味の名前が付けられている。
[編集] ワスレナグサにまつわる文学作品
- 先述した悲恋伝説を詠んだ、ドイツ擬古典主義の詩人・プラーテン(August Graf von Platen-Hallermnde,1796年 - 1835年)の詩
- ドイツの詩人ウィルヘルム・アレント(Wilhelm Arent,1864年 - 没年不明)の詩「わすれなぐさ(Vergismeinnicht)」
- 上田敏(1874年-1916年)が翻訳したものが、名訳として知られている。(上田敏訳詩集『海潮音』に所収)
- 北原白秋(1885年 - 1942年)の短歌(『桐の花(1913年)』に所収)