ヴォルフガング・リーム
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ヴォルフガング・リーム(Wolfgang Rihm, 1952年3月13日 - )は、ドイツのカールスルーエ生まれの現代音楽の作曲家。
ドイツの同姓の作曲家に、カールスルーエ音楽大学の音楽理論の教授と人智学系作曲家のペーター=ミヒャエル・リーム(Peter-Michael Riehm, 1947年 - )とフランクフルト音楽大学で作曲と音楽理論を教えていたロルフ・リーム(Rolf Riehm, 1937年 - )がいるが、3人とも重要な異なる作曲家であるので、ファースト・ネームに注意し区別する必要がある。
目次 |
[編集] 略歴
高校を卒業する以前から、地元のカールスルーエ音楽大学でオイゲン・ウェルナー・フェルテに作曲と理論を師事。この頃から頻繁にダルムシュタット夏季現代音楽講習会やドナウエッシンゲン音楽祭に通うようになる。1973年にはケルン音楽大学のカールハインツ・シュトックハウゼンに師事するが一年余りで離れ、1974年からフライブルク音楽大学のクラウス・フーバーに師事するようになる。
これら師事した作曲家の他に、ヘルムート・ラッヘンマンやモートン・フェルドマン、ルイジ・ノーノなどを手本とし、本人の趣向はドイツ人には珍しく多種多様である。この頃までに10回余りの作曲コンクールに入賞、程なくして母校のカールスルーエ音楽大学で教え始め、まもなく教授の地位に登り詰める。クラーニヒシュタイン音楽賞を20代前半で受賞し、現在も依然として精力的な作曲活動が出来る稀少な作曲家でもある。
作曲家として著名な存在となったきっかけは、クラウディオ・アバドが第一回ウィーン・モデルンにおいて、ノーノやジェルジ・リゲティと並んでリームをテーマ作曲家の一人に選び、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で新作を初演したことであろう。その後、アバドの伝手でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンスに就任。この頃から世界的に評価され、その後のベルリン自由大学の名誉博士号や2003年のジーメンス音楽賞は単なる駄目押しに過ぎない。
[編集] 作風
デビュー当初は「新ロマン主義」や「新しい単純性」などといわれていたが、すべての表現は間違っていて正しくないと言うのが現在定説にされている。すなわち、「彼の作風を表現できる言葉が存在しない」と言うのが正しい。辛うじて近い言葉を挙げるとすれば、そのクラシカルな音楽言語の豊富さから「擬伝統音楽」と評することが出来よう。
今日までに少なくとも500曲の作品が存在するとされ、その殆どが楽器や歌と始めとするアコースティックな音楽であり、純粋な電子音楽は存在しない。特殊奏法にも殆ど興味を示さず、自己の作品では使われることは非常に稀である。従って、譜面は非常に保守的な五線紙に書かれるが、旋律があっても特に伝統的な音がしないことが大きな特徴である。これは、「旋律があれば伝統的な音がする」と考えられていた前衛の世代の価値観を覆す大きな発見でもあった。
初期には調性や引用が度々用いられたが、最近はそういう傾向はほとんど影を潜めているため、ベルント・アロイス・ツィンマーマンのような作曲者本来のスタイルであるとは言い難い。非常に保守的な音の重ね方の中に斬新な側面もあり、一貫して強弱の対比が極端に大きく、その中間のメゾフォルテやメゾピアノは殆ど見られない。現在も「フォルテのないページは一切ない」くらい強烈な音量を好んでいるが、ヴァイオリンとオーケストラのための「歌われしとき」のようにPPに徹し続けることもできるので、初演前に彼の表現は予測しにくい。多くの管弦楽曲は編成が膨大で演奏時間も長い、これほどスケールが大きい作曲家はヨーロッパでも極めて稀な例である(ちなみに、本人は大柄でかなりの体力があるらしいが)。特に管打楽器奏者と声楽家への負担は非常に大きいとされる。
多くの作品は、極めて即興的に作られるので早書きになり、最短で一週間に一曲のペースと言われている。また、特殊奏法が少なく、演奏法上の問題が発生することも為本人は練習に口を出さない。これこそが、現代アンサンブルやオーケストラのみではなく、一般のクラシックの管弦楽団に好意で積極的に受け入れられている所以である。
[編集] 代表作品
国内外とも専門家の評価が高い代表作は次の通りである。
- ベートーヴェン的なオスティナートとリズムによる意思の表現とが特徴の「3人の弦楽器奏者の為の音楽、全3部計7楽章」(1977) 約62分
- 同じくベートーヴェン的な動機展開と構成法が見られる「弦楽四重奏曲第4番」(1981)
- マーラー的なゾリステン・少年合唱・語り手・しゃべるだけの合唱・混声合唱と大管弦楽の為の「これ・Dies」(1984)
- ハンブルクで初演された当時賛否両論だったが新しい境地を開いたとされるオペラ『メキシコの征服』(1989)
- 「大河交響曲へ向かってI-IV」(2000)約95分
- 音数を非常に限定しているが、その上で奏者に極限的な要求を要するアコーディオンと弦楽四重奏のための「断片」(1999-2004)
必ずしも評価は高くないが初演以来話題になったのは次のような曲である。
- 管弦楽部門での事実上のデビュー作の暴力的な「離接輪郭と副次輪郭・Dis- und Sub-Kontur」(1974と1975)
- 同じくマーラーに極めて近い「交響曲第三番」(1977)約60分)
- ドナウエッシンゲンで2回の休みを入れたが第二曲目は技術的に演奏が止まってもただひたすら初演された超巨大な「音の記述I‐III」(1987)約110分
- 初期のオペラの代表作『狂ってくるレンツ』(1978)
- 暴力の限界を感じさせるオペラ『ハムレットマシーン』(1986)
- 極端な表現のオペラ『エディプス』(1987)
- 珍しくテープによる音響管弦楽が入って経済的にオーケストラを節約しているオペラ『セラフィン』(1996)
[編集] 日本の受容
現代音楽特有の修練を経ずに演奏しやすいということで、オペラから独奏曲までいくつかの作品はデビュー当時から演奏されている。日本初紹介は松平頼暁著「現代音楽のパサージュ」にピアノ曲第五番の譜例が載ったのが最初になる。ピアノ曲も第一、五、六、七曲は日本初演がすでに済んだ。NHKFMでも現代音楽の割りには演奏打率の高い作曲家である。