電子音楽
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電子音楽(でんしおんがく)は、現代音楽の一種。語義としては電子楽器を用いた音楽全般であるが、一般には、電子楽器や、録音テープを用い、それらなくしては演奏し得ないような技法によって作り出された、前衛的な現代音楽をいう。
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[編集] 技法
- 楽器音やその他の音を録音したテープを切ってつなげたり、走行速度を変えたり、逆方向に走行させて再生する。
- シンセサイザーを用いて、伝統的な楽器音以外の音を音楽に用いる。
- サンプラーを用いて、音素材を自由に組み合わせる。
- それらをコンピュータによって制御する。
- コンピューターによる制御を、偶然性に任せたり、そのときどきの演奏によって即興的に変化させたりする。
[編集] 電子音楽の歴史
[編集] 電子音楽の黎明期
19世紀におけるピアノの構造的な発展が、音楽のそれと同調しているように、電子音楽の歴史は、電子工学というテクノロジーと道を同じくしている。従って、電子音楽について説明する時、特にその黎明においては電子・電気楽器の開発と重なる事項が多い。
史上初の実用化された本格的な電子楽器は1897年に米国の発明家サディウス・ケイヒルが特許を取得し1906年に一般公開したテルハーモニウム、別名ダイナモフォンとされている。 これは145個の改造されたダイナモにより可聴周波数帯域の交流信号を生成することを原理とし、ポリフォニック・ベロシティ・センシティブのキーボード(7オクターブ、40Hz-4kHz間で調律可能な36音/オクターブ)を備えていた。初期モデルはピアノ響板で製造されたラッパ型ホーンから、後のモデルは直結した電話回線を経由、もしくは特製アコースティック・ホーンに接続された電話受話器で音を聴いた。この方法はアンプ(増幅器)が誕生する以前に電子音を聴く唯一の方法であった。重さ200トン、長さ60フィート、総工費20万ドルと、ばく大な規模であるこの「電子楽器の始祖」は20年間ニューヨーク39丁目のTelharmonicホール全体の床を占領していた。1911年、3号機にして最後に製造されたテルハーモニウムの設置場所は535 west 56th street New York Cityで1916年まで作動した。しかし、電話回線を経由して、ホテル、レストラン、劇場、一般家庭への有線音楽配信をもくろんだケイヒルのビジネスは、電話回線への著しい通話干渉によりとんざした。録音は残っていないとされている(基本的な発音原理はやがてハモンドオルガン=トーンホイールへと継承された)。
一般に広く認知された最初の電子楽器は1917~1919年ごろにソ連の発明家レブ・セルゲイヴィッチ・テルミン教授によって発明されたテルミンである。これはアンテナ間の静電容量を手で遮ることによって調整し、その変化を音に変えることで演奏する。ソ連では1930年代にも技師ムルジンによって光学式(サウンド・トラックと同様の原理)を用いる方式が考案されている。1928年、オンド・マルトノという電子楽器がフランスのモーリス・マルトノによって発明された。これはテルミンと同様に単音で奏される楽器であったが、音程は糸(リボン)によりコントロールする。この楽器は、トーン・フィルターで正弦波を加工することで作った音を、弦、シンバル等の様々な加工を施したスピーカーから出力する。オリヴィエ・メシアンのトゥランガリーラ交響曲の中で使われ、現在でもしばしば演奏される。1930年には、フリードリッヒ・トラウトバインがテルミンやマルトノをさらに進化させたトラウトニウムを開発する。使用例として、ヒンデミットのトラウトニウムと弦楽の為の協奏曲等がある。1935年にはハモンド・オルガンが開発される。
戦前の日本においても、これらの動向から隔絶されていたわけではなく、時として欧米のこれらの成果と同期した事例を見ることが出来る。例えば、宮城道雄の発明による八十絃筝に電気増幅器(アンプ)を付ける試み(1929年)や、長唄奏者の四世杵屋佐吉(本名・武藤良二)と楽器製作師の石田一治の共同製作による三味線をマイクロフォンとアンプで増幅する電子楽器「咸絃(かんげん)」の製作(1931年)等が挙げられよう。
[編集] 第二次大戦後:1940-50年代
第二次世界大戦後の数年間、電子音楽は進歩的な作曲家によって作曲され、従来の楽器の表現を超越する方法を実現するものとして迎えられた。
現代的な電子音楽の作曲はフランスで、1948年のレコードを用いたミュージック・コンクレートの作曲から始まった。これは町の中の音など具体音を録音し、レコードで編集するものである。したがって最初のミュージック・コンクレート作品は、フランスでピエール・シェフェールやピエール・アンリによってレコードを切断して作られた。その他アメリカでは、フランスから渡ったエドガー・ヴァレーズなどがミュージック・コンクレートなどより編集しやすいテープ音楽を製作している(デイヴィット・メイゾンとエアハルト・カルコシュカからの出典)。
一方で電気的に生成された音による電子音楽(この場合の電子音楽という言葉は狭義で、具体音を使うミュージック・コンクレートに対して、電子音のみの音楽という意味で使われる)が、ドイツのケルンにある西ドイツ放送WDRの電子音楽スタジオでテープを使って生まれた。こちらの分野ではカールハインツ・シュトックハウゼンやゴットフリート・ミヒャエル・ケー二ッヒが最初期から活躍した。少し遅れてハンガリーから亡命したジェルジ・リゲティも参加し、初期の管弦楽曲「出現」や「大気」、「ロンターノ」の作曲技法の大きな指針となった。イタリア国立放送RAIの電子音楽スタジオでは、ルチアーノ・ベリオ、ブルーノ・マデルナなどが活躍した。
当時のドナウエッシンゲン現代音楽祭ではフランス人はレコードを、ドイツ人はテープをそれぞれ持参して自作を発表した。この少し後、ポーランドのクラクフのクシシュトフ・ペンデレツキらは独自に電子音楽を研究し、「広島への原爆の犠牲者にささげる哀歌」などを作曲する技術を開拓している。作曲者本人へのインタビューによると、彼の初期の優れた楽器のための作品群は電子音楽なしでは全く考えられなかった。このミュージック・コンクレートと、狭義の電子音楽の2語をまとめてテープ音楽と総称する。
日本ではNHK電子音楽スタジオが世界の電子音楽の初期から設立され、黛敏郎によってミュージック・コンクレートと電子音楽がいち早く日本に紹介された。シュトックハウゼンが来日し作品「テレムジーク」を作るなど、NHK電子音楽スタジオの当時の功績は大きい。日本の作曲家では武満徹、湯浅譲二、松平頼暁などがここで活躍した。
武満や湯浅はNHKスタジオにかかわる以前から、ソニーの前身会社東京通信工業から開発されたばかりのテープレコーダーおよびそれとスライド写真を組み合わせたオートスライドを借りてきて、その機械を使ってテープ音楽を製作していた。また彼らの属する芸術家グループ実験工房で、それらテープ音楽やオートスライドの作品発表会を行っている。これらの活動は草の根ながら、世界的に見てもテープ音楽の歴史の初期にあたり先鋭的な活動をしていたことを意味する。
音を発生することを目的に作られた電子音楽スタジオではなく、一般的な計算機としてのコンピュータを、作曲上のパラメータを決定する自動作曲として用いた最初の例としては、レジャレン・ヒラー(Lejaren Hiller)とレオナルド・アイザックソン(Leonard Isaacson)による、イリノイ大学のコンピュータILLIAC I を使ったイリアック組曲 (1957年)が挙げられる。
[編集] 1960-70年代
その後初期のアナログ・シンセサイザーの発明(特にモーグ・シンセサイザー)により、電子音楽は飛躍的に発展し、クラシック系現代音楽以外にも多くの音楽ジャンルで用いられた。日本では冨田勲がアナログ・シンセサイザーを多く用いた作曲家として有名である。
テープレコーダーが比較的安価になり一般の手にも触れるようになったため、大学や放送局などの研究機関とかかわりのない在野の作曲家たちもテープ音楽の制作に参加できるようになった。スティーヴ・ライヒは、同じ録音で同じ長さのテープループを用い、同時に再生することでわずかな回転数のずれからディレイが生まれ、2つの周期がずれていくことに注目し、「カム・アウト」「イッツ・ゴンナ・レイン」などのテープ作品を生み出した。これがやがてミニマル・ミュージックのアイデアにつながっていく。
[編集] 1980年代
1980年代よりコンピュータを用いる音楽がそれまでの電子音楽に代わって主流となった。1976年に生まれたパリのポンピドゥー・センターの併設組織IRCAM(イルカム)は、現在でもなおヨーロッパのコンピュータ音楽の最先端の研究施設である。初代所長はピエール・ブーレーズ。生楽器を演奏して特定の音程や音色をマイクで拾い、瞬時にコンピュータによる音響処理に連動させるソフトウェアMAX(現在の名称はMAX-MSP)は、IRCAMで開発され現在では世界中で使われている。ブーレーズはこのソフトウェアを使った音楽作品として「レポン」、「二重の影の対話」、「シュル・アンシーズ」、「アンテーム2」などを書いている。ダルムシュタットやドナウエッシンゲンではライヴ・エレクトロ二ックという分野を特別に設けている。
パリにはもうひとつラジオ・フランス内にINAという組織が持つGRMというコンピュータ音楽研究施設があり、これをINA-GRM(イナグラム)と呼んでいる。こちらはジャン・クロード・リセ、リュック・フェラーリなどの作曲家を生み出した。INA-GRMは現在ではIRCAMと技術を競い合っている。
またイアニス・クセナキスはパリのフランス郵政省内のCEMAMu(数理的自動音楽研究センター)で、タブレットボードに線を描いて入力した図形を電子音響処理する装置UPIC(ユーピック)を開発し、湯浅譲二、高橋悠治及び嶋津武仁といった日本の作曲家たちの創造力を大いに刺激した。
イタリアのルイジ・ノーノはこれとは別に、ドイツのフライブルクのSWR南西ドイツ放送のハインリッヒ・シュトローベル財団の電子音楽スタジオに頻繁に通い、晩年の「アン・デア・ドナウ」などのライヴ・エレクトロ二ック電子音楽作品や、東京で初演された「ノ・アイ・カミノス、アイ・クエ・カミナール」等、傑作管弦楽曲の作曲の大きな助けとした。
アメリカのカリフォルニア大学、コロンビア大学、ドイツのロベルト・シューマン音楽大学やフライブルク音楽大学(メシアス・マエグアシュカ)・フランクフルト音楽大学・シュトットガルト音楽大学(エアハルト・カルコシュカ)・ベルリン工科大学などにも優れたコンピュータ音楽の研究施設があり、和声学・対位法・楽式・12音-セリエル技法等と並ぶ音響作曲法修得としての理論科・作曲科大学院学生の卒業試験の必須科目とされている。
これらの音響研究施設では、電子的に生み出される音響の研究のほか、作曲にかかわる理論をコンピュータに計算させることについても多く試みられている。現在の代表的な作曲用計算ソフトとしてオープン・ミュージックが挙げられる。
一方商業用に一般販売されたシンセサイザーは、1982年に発明されたFM音源を用いたFMシンセサイザーにより大きく発展した。それまでのアナログ・シンセサイザーの原理である加算合成は音色を作るのに理論的な制限は無いが、複雑な音を得ようとすると何百何千という多数の回路とそれを処理する高性能な演算装置(つまり当時では大型コンピュータを意味する)が必要であり、そのような音色を得るための装置を作るには大学の研究施設並みの設備と資金が必要である。したがって一般的に販売される十数万円程度のアナログ・シンセサイザーの回路数は多くて十数個程度であり、音色もずいぶん制限された。それに対し、FMシンセサイザーは厳密に言えば音色は有限であるものの、FM音源回路は基本的には単音ごとにわずか2つの回路で音色を合成するために演算装置も簡単なもので良く、したがって経済的な視点から見ると、例えば十数万円といった同じ価格でこれまでよりもずっと多彩な音色を得られるようになった。初期の代表的な機種にヤマハのDX7があり、リチャード・タイテルバウム、ジャック・ギヨネが愛用した。
[編集] 1990年代以後
1990年代の日本では「テクノ」などのポピュラー系の要素が追加され、渡辺晃一などの電子音楽だけの専門の作曲家も出てきていて専門性の分化・住み分けが顕著になってきている一方、逆にヨーロッパではケルンのミキ・ユイやシュトットガルトのウォルフガング・カイムなどのような、必ずしも音楽の専門教育を受けない美術大学系の芸術家たちが総合芸術と称して、生の即興音楽や電子音楽の切り貼りなどの作曲も自分の美術の展覧会のオープニングなどで一緒に行ってしまう傾向が強い。今日ではケルン放送協会のWDR-3がFMラジオ番組で積極的に、毎週一回・各一時間の純粋な電子音楽(テープ音楽、CD音楽、パソコンのライブ音楽、ライブ・エレクトロニックなど)だけの時間と同じく音響芸術(サウンド・デザインや環境音楽、ラジオ・ドラマなど)の二番組を設けるほどの大きな分野となってきている。電子音楽の専門番組はWDRだけにとどまらず、例えばラジオ・フランスのFrance Musiques、スウェーデンのSR-P2、オランダのConcertzenderなどでも専門枠として放送されており、またそれら以外の放送局の既存の現代音楽番組の中でも頻繁に取り上げられている。これらは現在インターネットを通じて世界中で聴取可能である。
[編集] 音響芸術/ラジオドラマ
- HörspielまたはAkustische Kunst独語
現代のラジオをメディアとした電子音楽の一部門。ドラマのようにNHKのFMのような脚本がある場合と、ドイツのFM放送のように単なるテープによる電子音楽のように話の筋が全くないものと、その中間の形、いろいろな音響の要素を混ぜた(コンクレート)形などいろいろある。さまざまな音響テクニックを駆使したラジオ芸術として、また音響作曲法(Klangkomposition)の典型的な一形態としてFMラジオで流す目的のために制作・作曲される。即興演奏とは違ってすべてテープなどに形として録音・編集されライブはほとんどない。マウリッシオ・カーゲルやジョン・ケージ(Roaratorio:1979など)の作品等が有名であるが、古典的音楽理論を特に必要としないため、美術系や音響系の人が制作する場合も頻繁にあり、カール・シュカのような専門の作曲家・製作者も欧米には存在する。この分野の有名な賞に毎年ドナウエッシンゲン現代音楽祭で授与されるカール・シュカ賞がある。別名「ラジオ芸術」(Radiokunst独語)とも言う。