上田交通サハ20形電車
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上田交通サハ20形電車(うえだこうつうサハ20がたでんしゃ)は、上田交通及び前身の上田丸子電鉄にかつて在籍した付随車である。
全長12m前後の小形車で、元の経歴が5通り異なる21~28の延べ9輛(22に初代・2代があるため)が在籍した。28を除いて日本車輌製気動車の改造車であり、また27を除いて電動車に牽引され編成後尾に付く後付付随車である。
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[編集] 21~25
元は飯山鉄道(現、飯山線)が1930年に新造した気動車キハニ1形1~5である。1944年の鉄道省による戦時買収後もそのまま使用されていたが、1949年に3・4がエンジン等を撤去の上、上田丸子電鉄に譲渡された。この2輛は最初ハフ100形102・103と称していたが、翌1950年の改番によりサハ20形21・22となった。続いて1951年には1・2・5が譲渡され、同様にサハ23~25となった。
21~24は真田傍陽線、25は別所線で主にラッシュ時の増結用として使われた。
25は1956年に丸子線のモハ3213の鋼体化用に車体を供出し廃車され、同車はモハ3223となって1969年の丸子線廃線まで使用された。また、台車は下述のサハ28に流用された。
22は1967年に事故廃車された(その後モハ3122が付随車化され、サハ22 (2代)となった)。1972年の真田傍陽線廃線時に21・23は廃車されたが、24は別所線に転じた後、1980年に廃車された。
[編集] 26
元は秋田鉄道(現、花輪線)が1933年に新造した気動車ジハ6である。翌1934年の秋田鉄道の鉄道省買収によりキハ36470となり、更にキハ40300となった後、1937年に東武鉄道に譲渡され、キハ20形21となった。1951年に上田丸子に譲渡され、エンジン等を撤去の上サハ26となり、別所線に投入された。1957年に丸子線のモハ3214の鋼体化用に車体を供出し、同車はモハ3224となって1969年の丸子線廃線まで使用された。
[編集] 27
元は神中鉄道(現、相鉄本線)が1936年に新造した気動車キハ30形30である。小形車であったことからキハ1形 (2代)の投入に伴い、東武に譲渡され、キハ10形11となった。1956年にキハ21に続いて上田丸子へ譲渡され、エンジン等を撤去してサハ27となった。
当初は別所線に投入されたが、後に丸子線に移った。丸子線ではモハ2320形2輛の中間車として編成を組んでいたが、2320形の貫通化改造以後はモハ3350形2輛の中間車として編成を組み、1969年の丸子線廃線まで使用されたた後、1972年に廃車された。本形式で唯一、通常の付随車として使用された車輛である。
[編集] 28
1958年に自社工場の新造名義で登場したが、車体は江ノ島鎌倉観光201 (初代)の譲受品、台車は上述サハ25の流用品である。別所線に投入され、増結用に使用されたが、1972年に廃車された。本形式で唯一、気動車の車体を持たない車輛である。
[編集] 22 (2代)
丸子線の前身である丸子鉄道が停電時対策として1934年に製造した気動車キハ1の後身であるモハ3122を、1967年のサハ22 (初代)事故廃車に伴い電装解除したもの。別所線・真田傍陽線で使用された後、1972年の真田傍陽線廃線に伴い21・23とともに廃車された。
詳しくは上田丸子電鉄西丸子線#車輛のモハ3122を参照。